71    ウエールズとエジンバラ-夏

2009年7月6日、アムス経由で夕方エジンバラに到着。今日はフィシャーマン&美術大学教授の Jakeの家に泊まる事になっていて、空港まで彼が迎えに来てくれた。
空港からMaxton Cross (River Tweedのすく側)の自宅に直帰するのかと思いきや、空港の隣の広大な工事現場の入り口に車を止めた。トラムの工事現場らしいが、今は住民の反対でストップしているとか。球場が何個も入るような広大な堀込があって、何カ所か小さな籾粒のようなものが点在しているのが見える。工事中に地中から掘り起こされた玉石で、処理に困って何カ所かに寄せてあるようだ。
私が使える石かどうか見てくれという。日本から11時間掛けて飛んできて、到着後30分と経たないうちに現場の泥地に足を踏み入れる事になった。柵を乗り越えて土の硬い部分を捜しながら何カ所かの集積箇所を見た。確かに形のいい玉石がゴロゴロあるのだが、割れ傷の見当たらない良さそうな石を選んで、2個ほど印を付けた。8月に私が自分の作品に使うボールダーストーン(玉石)なのだ。しかもタダでもらえるらしい。とは言っても私が石の代金を払う訳じゃないから、関係ないんだけどね。これも資源の再利用、省エネなのだ。Wales landscape
到着当日に石のセレクトを終えて、翌日は1日だけのフリータイム。
当然の如く river Tweedにフライフィッシングに出かける事になった。私は日本から持参したセージロッド9f5#と自分のフライボックスを持って、ウェーダーとシューズは、度々借りてばかりいるのも悪いんで買う事にした。ちょうど女性サイズのウエーダーがあって私にピッタリサイズ(実は私の前の女性客が試着したのだが、彼女には小さかった)、Jakeの口利きで3割引で購入。あいにく今回は水に強いカメラを持参しなかったので、釣りの写真を撮れなかったのが残念だけど・・・。とにかく River Tweedは素晴らしい川だ。
翌日7月8日、エジンバラからウエールズまで鉄道で移動。約4時間半の電車の旅を楽しむ。見渡す限り牧草と麦畑の丘陵が続く。そう言えばイングランドとウエールズには山というモノがないらしい。何処まで行っても同じような丘陵地帯なのだ。羊や牛の姿は確認できるのだが、人家が無い。それこそ3〜4キロ走ってやっと一軒の農家を見付ける程度である。リチャードロングが歩き回り、ゴールズワージが石を積んで廻るというのが、当然の様に理解できる空間ばかりなのだ。そう言えば、農民のフィールドワークやアースワークは、昔からこの地にあったわけだ。Sidney Nolan's house農家の牧草地の境界には延々と石塀が続いている。そこが急峻な丘のだろうが谷だろうが、とにかく一直線に山や谷を越えて、時には直角に折れ曲がり、時には道なりにカーブしながら続いているのだ。羊を集めて毛を刈る場所にはストーンサークルがある。アーチストが作品にするずっと前から、同じ形状の石塀やサークルがこの地には在ったのだ。
写真(左上)は、ウエールズの丘陵地帯の風景である。
7月8日夕刻、これから約1ヶ月を過ごす Sidney Nolan Trustに入った。とにかく田舎である。というよりイギリスのほとんどが丘陵の風景なんだから、街をちょっと外れると田舎の風景になってしまうのだ。
私が寝泊まりするのは Sidney Nolan画伯の嘗ての母屋である。古い大きな3階半建ての家で、ノーランさんのアトリエとか居間とか書斎とか客間とか、その他の多くの部屋がそのまま残されているのだ。ゾウの頭蓋骨があったり鳥の剥製があったり、動物のホルマリン漬けがあったりする。
その大きな家に、お客は私一人。ハウスキーパーのシャーロットさんと孫のハリー君が居るものの、まるでハリーポッターの映画に出てくる様な大屋敷の最上階に私一人なのだ。最初はちょっと勇気が要った。4階の私の部屋に辿り着くのに、薄暗い電灯が点った部屋を抜け、鳥の剥製の側を通ってギシギシと軋む階段を上る。でも日本のお化けの方がもっと怖いよなあ・・・・と思い聞かせながら最初の一週間を過ごした。写真右は、私が寝泊まりしたノーランさんの母屋と、トラストが管理する納屋群。今はトラストの事務所やワークショップ会場や会議・講演をする空間が入っている。
段々と日々の生活に慣れてきた。朝食はパンとヨーグルトとサラダが用意してあって、昼食と夕食はシャーロットさんが作ってくれる。私はただ自分の仕事をするだけでいいのだ。
彫刻素材の石はアントニー(ノーラントラストの敷地内に家を建てて家族で住んでいて、ノーランさんの残した広い牧場や多くの納屋、遺産としての絵画等を管理運営している)さんの案内で近くの石切場を見て回ったのだが、今回私が欲しいと思う素材は見つからなかった。結局トラスト管理の敷地内を探し回って、家の補修材としてストックしてある何個かのバザルトを見付け、それを使う事にした。
今回ここで大きな作品を作るつもりはない。と言うより時間と道具と素材が足りないから、小さな作品を作って、ワークショップの時にみんなが参加して最終仕上げが出来るコンセプトの作品にしたのだ。詳しくは「Exhibition」ページの「'08〜'09」"The S.N.T.-S.Program"を見ていただきたい。下記の「ノーラン・トラストでのワークショップ」からもリンクします。
go to ノーラン・トラストでのワークショップ
abroad7月中半、田舎に隠って仕事ばかりしていて退屈だろうという事で、ロンドン旅行を企画してくれた。このトラストのスカルプチャープログラムの起案者の一人、Rod Buggさんの家に2泊させてもらって、彼の案内でロンドン見物をした。観光旅行じゃ見れない所に案内してもらい、美術館のキュレーターとかチェルシー美術大学のディレクターとかギャラリーのディレクターとか、普通じゃ会えない人達にも会って話した。
私の達ての願いで、アビーロードに行った(写真左)。未だに観光客が絶えないらしい。ちょうど私が写真を撮っていると、若いインド系のお兄ちゃんが「何故ここにいっぱい人が来て写真を撮るの?」と聞いてきた。Yorkshire Sculpture Park
「それはね、嘗てビートルズがね、・・・・・」と、説明したら、「そうだったんですか。有り難う」と言って、差して感動した様子もないまま、去っていったのが印象的だった。アビーロードのアップルスタジオは未だ健在で、入り口の門扉には色取り取りの落書きがいっぱいあったし、折しも一人のおばちゃんが落書きをして写真を撮っているのにも遭遇した。若かりし頃のエネルギーを求めて、団塊の世代は未だにここにやってくるのだ。アビーロードは変わっちゃいない。
後日バーミンガムやヨークシャースカルプチャーパークにも行った。IKONギャラリーのディレクターやスカルプチャーパークのディレクターにも会った。とにかく非常に有意義な一ヶ月だったのだ。右の写真はヨークシャースカルプチャーパークのアンディー・ゴールズワージの作品。

7月30日、全ての行事を終了して、エジンバラに移動。
日本の春先の様な天候でとても寒かったウエールズから、北のスコットランドに移動したら、日本の5月初めの様な気候で暖かくなった。ウエールズの田舎から、スコットランドの首都の中心街に移動したのだ。北海道の牧場生活から京都の3条河原町辺りに引っ越した様なものかも知れない。
これから一ヶ月、寝泊まりするのは大学の向かいにある学生用のアコモデーションである。各部屋バストイレ付きで、3部屋が纏まって一つのダイニングがあるフラット形式。私は4階(日本の5階)のフラットで、林君とJakeと同じフラットになった。朝食はこのキッチンで各自注文して用意されたものを食べ、昼食は大学食堂、夕食は大学食堂のシェフが特別に料理を作ってくれる。制作が終わってシャワーに入り、夕食前に直ぐ側のパブに行ってビールを飲んだり、夕食後みんなと連れだって街のパブに繰り出すという生活になった。これもまた悪くないのだ。
エジンバラの8月は有名なアートフェスティバルがあって、ヨーロッパや南北アメリカから多くの観光客が来る。正に一ヶ月間京都で祇園祭が繰り広げられている様な状況なのだ。そのフェスティバルの一環に我々の Milestone Sculpture projectの Carving Programはある。だから昼夜を問わず大勢の人が我々の仕事ぶりを見に来るのだ。期間中BBCが2回ほど取材に来て、私も2回ほど出演した。終わり頃には近くのパブや道行く人がニコッと笑って挨拶してくる様な状況になった。こりゃちとまずかったかも。
エジンバラでの制作系の出来事は、「Exhibition」の「'08〜'09」ページの"Milestone project"と"Milastone - 制作"を見て下さい。下記からも直接リンクします。
go to "Milestone project"
go to "Milestone - 制作"
とにかく朝から晩まで仕事ばかりしていた。雨が少なかったというのも手伝って、朝から晩まで制作していたのだ。
8月前半は、人混みの中を市内観光するのが限界で、足を伸ばしてスコットランド見物なんて余裕はなかったのだが、魚釣りには2回ほど行った。1回は River Tweed。川の増水でドライでは一匹も出なかったのが、ニンフに変えてブラウンの30〜40cmサイズを20〜30匹ほど釣った。2回目は地元のフィッシャーマン(地元と言っても彼らも来年のスコットランド代表連中)達と車2台を飛ばして2時間半、イングランドの River Teesに行った。川に着いたあたりから、強風と大雨で全く釣りにならなくなってきた。せっかく早朝から長旅をしてという気持ちがあって、それでも3時間ほど粘ったのだが、さすがに川の増水と濁りが入ってきて諦めた。こんな状況でフライフィッシングをしようとしたのは初めてだ。何せ強風にあおられてロッドが撓りラインは水平にたなびく状況だったのだ。それでも仲間の一人がブラウンを一匹上げたからすごい!。stone wall
17日の月曜日の夕方、初めての観光目的で古城と古い教会を訪ねるプログラムがあった。教会は修復中で現場監督さんから、教会で使われている石材や装飾技法・その修理の工法について1時間ほど話を聞いた。その後、側の古城跡を散策。古城跡と行っても今はお金持ちが買って住んでいるらしいのだが、そんな事はお構いなしにみんなズケズケ敷地に入り込んで写真をバシバシ撮ったのだ。古城の石壁が今でも孤高として立っている姿に感動した。参加メンバー全員が、今回の制作で石積みの作品を提示しなかった事に安堵していた様だ。写真は下の2枚。
8月25日火曜日、制作も終盤に差し掛かった頃、私と林君と彼の学生と連れだって、スコットランド観光ドライブを企画。それを聞いたアシスタントの トミー君が、ドライバーを買って出てくれた。
当日トミー君の車と運転で1日のスコットランド・ドライブ旅行に出た。有名な古城を廻ったり、イギリスで一番大きな湖 Loch Lomondでボートに乗ったり、有名な River Tayの源流(Loch Tayと Lochan Na Lairige)から下流域まで、私が勝手に「釣行の下調べじゃ」とほくそ笑みながら廻ったのだ。River Tay、全くいい川だ!。サーモンロッドを持った釣り人に数カ所で出会った。Lochan Na Lairigeと River Tayの記事は、「釣り談義」に載っけるつもり。
上の写真は、 Lochan Na Lairige(ダムの人造湖)から峠を越えて、荒涼とした風景の中に山小屋の残骸が寡黙に立っていた。土屋さんやゴールズワージさんが見たら涙をこぼしそうな素晴らしい石のモニュメントである。イギリスの建物はほとんどが石でできていて地震も無いから、古くなっても外壁だけは壊れないで残っている場合が多い。こんな石の壁が丘陵地の草原の中に忽然と現れるからたまらなく格好いいのだ。到る所にある。
土地の境界線を仕切る石の塀も、万里の長城の様に至る所に延々と在って、今でも羊が逃げ出さない塀としてその役目を果たしている。
イギリスで、いやヨーロッパでは、石を積み上げて塀の様にする作品は作れないなあと思った。私がどんなに大きな作品を作ったとしても、既にある歴史と生活と共にある機能には到底勝てはしない。
石に穴を空ける作品で良かった!

stone wall stone wall


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