セイントポールで作品を製作していた時期、宿舎のマカラスターカレッジ・ゲストハウスから、仕事場のセイントポールカレッジまで、往復10キロを自転車通勤していた。もちろん国際免許は持っていたし車もあったのだが、5月から7月という最高のシーズンに、事故や飲酒の危険を冒してまで車に拘る事は止めにした。むしろ足腰を鍛えながら、フレッシュな緑の中をバイキングすることを選んだのだ。バイク通勤を始めて一週間頃までは、ちょっと漕いだだけで足腰がすぐに疲れて息も上がっていたのだが、その時期を過ぎると急にペダルが軽くなった。最初は目的地まで40分掛かったのが、30分で行けるようになって、最終的に20分で辿り着けるようになった。それは最高に良いことなのだが、私にとっての問題は、バイク用のヘルメットなのだ。西欧人は頭の形が縦長で、ヘルメットも実に驚くほど縦長なのだが、私は物心付いた頃から横長の頭を持っている。ヘルメットが側頭部に引っ掛かってちゃんと入らないから、ヘルメット側部のクッションを削って使わなければならない。それでも使用後30分を経過すると側頭部が圧迫痛を起こしてくる。それならヘルメットを横に被ればいいと思うのだが、試した結果それ程までには扁平じゃない。自転車で街中をクルージングしていると、出合い頭の人達が私に向かって、輝くようなニコッとした笑顔と共に "Hello"と挨拶してくる。最初は、何処かで会ったかなあ?俺を知ってる人なんだろうか?俺って有名人なのか?と、訝しく考えていたのだが、実はアメリカって誰にでも気持ちよく挨拶することが基本なんじゃないかと気付いた。ヘルメットが変に浮いている東洋人にも分け隔て無く、笑みを浮かべて挨拶してくるのだ。もちろん悪い気はしない。こちらもニコッと笑みを浮かべて 軽い会釈をする。時には"Hello"と声に出して挨拶を返すこともある。日々多くの人たちと挨拶を交わしていると、街中全体がお友達に思えてくる。それなのだ、それが重要なのだ。ここがアメリカ中央北部ミネソタ州都という事もあるのかも知れないが、それを差し引いても、人々は非常にフレンドリーなのだ。多民族国家としてのアメリカを成立させているものは、国民の個々が互いを友人だと思う事から始まっているんだと気付いた。老若男女、人種や民族を超えて、国民一人一人が挨拶という形で、友としての意志表示をすることが重要なのかも知れない。とにかくアメリカパワーの源と、デモクラシーの根源を感じたのだ。何処やらの国では、世界平和・戦争放棄・民族紛争反対・人類みな友達だと、格好の理想論を吹聴しながら、挨拶一つ出来ない輩がなんと多いことか!。知識を脳味噌に貯め込むことに終始すると、一番大切なものを見失うのかも知れない。何処やらの未熟な知識階級シンドロームなのだ。そう言えばもう一つ気付いた事があった。リストかウサギとか多種の多様な小鳥とか、小動物が街中にとけ込んでいる。各家の庭の木々には数種類のリスが住んでいるし、ウサギは至る所にいる。鷹は何時も空高く飛んでいるし、様々な小鳥が何時も飛び交っている。これもセイントポールという土地柄なのかも知れないのだが、昔ニューヨークにもリスが多かった事を思い出した。東京にはリスは少ないのだが、狸が増えてるらしいよね。良い事だ。人しか住めない環境に住まなきゃいけない事自体が危機なんだから。挨拶の事とは話が全く食い違うのだが、もう一つアメリカの特徴を感じたことがある。アメリカはプラスチックの国だ。日本もプラスチック大量消費社会なのだが、何でも追いつけ追い越せで、日本はアメリカの真似をしているということがよ〜く分かった。アメリカに行く前に、展覧会の設置でイタリアに行った(下記の記事 "トリノ”)。トリノのマリアさん曰く、「アメリカに留学してる時さ、下宿してた家のポーチを掃除したんだけど、ポーチにあるエンタシスの柱が少し汚れていたから、雑巾掛けして磨こうとしたんだよ。その家のお母さんが、ポーチに傷が付くから拭くのは止めろって、びっくりしたんだけどさ、何故かって言うと、アメリカのポーチの柱って石じゃないんだ。プラスチックで出来てるんだよ。」と、言っていたのを思い出した。その直後アメリカに行ってみて分かった。なるほどプラスチックなのだ。よくよく見てみると、街中にある主だったファニチャーや住宅街全体がプラスチックで出来ていることが多い。使い捨てカップから、梱包材、家の外装内装、屋根まで、化学製品を多用しているのだ。ミネアポリスにある、現代美術で有名なウォーカーアートセンター(現代美術館)が、建物をリニューアルしたらしいので見に行ったのだが、ここもやはりアメリカのやり方(コンビーニエント作法)を踏襲している。文化とは、使い勝手が良くて手頃な値段で手に入るものなのだ。建築素材やファニチャー素材として、様々な自然素材及び合成材料があるのだが、アメリカでの原材料の多くは合成材料(石油類)であることが多い。アメリカが戦争をしてまで石油に固執している理由の一端が伺える気がした。油断大敵、石油が無くなったら、家やビルが建たない可能性があるし、アメリカ人の大好きなコーラやゲイタレードも飲めなくなる。文化が無くなっちゃうのだ。Album の中の "ミシシッピー”へ ジャンプ
57 アメリカ挨拶と
セイントポールで作品を製作していた時期、宿舎のマカラスターカレッジ・ゲストハウスから、仕事場のセイントポールカレッジまで、往復10キロを自転車通勤していた。もちろん国際免許は持っていたし車もあったのだが、5月から7月という最高のシーズンに、事故や飲酒の危険を冒してまで車に拘る事は止めにした。むしろ足腰を鍛えながら、フレッシュな緑の中をバイキングすることを選んだのだ。
バイク通勤を始めて一週間頃までは、ちょっと漕いだだけで足腰がすぐに疲れて息も上がっていたのだが、その時期を過ぎると急にペダルが軽くなった。最初は目的地まで40分掛かったのが、30分で行けるようになって、最終的に20分で辿り着けるようになった。
それは最高に良いことなのだが、私にとっての問題は、バイク用のヘルメットなのだ。西欧人は頭の形が縦長で、ヘルメットも実に驚くほど縦長なのだが、私は物心付いた頃から横長の頭を持っている。ヘルメットが側頭部に引っ掛かってちゃんと入らないから、ヘルメット側部のクッションを削って使わなければならない。それでも使用後30分を経過すると側頭部が圧迫痛を起こしてくる。それならヘルメットを横に被ればいいと思うのだが、試した結果それ程までには扁平じゃない。
自転車で街中をクルージングしていると、出合い頭の人達が私に向かって、輝くようなニコッとした笑顔と共に "Hello"と挨拶してくる。
最初は、何処かで会ったかなあ?俺を知ってる人なんだろうか?俺って有名人なのか?と、訝しく考えていたのだが、実はアメリカって誰にでも気持ちよく挨拶することが基本なんじゃないかと気付いた。ヘルメットが変に浮いている東洋人にも分け隔て無く、笑みを浮かべて挨拶してくるのだ。もちろん悪い気はしない。こちらもニコッと笑みを浮かべて 軽い会釈をする。時には"Hello"と声に出して挨拶を返すこともある。日々多くの人たちと挨拶を交わしていると、街中全体がお友達に思えてくる。それなのだ、それが重要なのだ。
ここがアメリカ中央北部ミネソタ州都という事もあるのかも知れないが、それを差し引いても、人々は非常にフレンドリーなのだ。
多民族国家としてのアメリカを成立させているものは、国民の個々が互いを友人だと思う事から始まっているんだと気付いた。老若男女、人種や民族を超えて、国民一人一人が挨拶という形で、友としての意志表示をすることが重要なのかも知れない。とにかくアメリカパワーの源と、デモクラシーの根源を感じたのだ。
何処やらの国では、世界平和・戦争放棄・民族紛争反対・人類みな友達だと、格好の理想論を吹聴しながら、挨拶一つ出来ない輩がなんと多いことか!。知識を脳味噌に貯め込むことに終始すると、一番大切なものを見失うのかも知れない。何処やらの未熟な知識階級シンドロームなのだ。
そう言えばもう一つ気付いた事があった。リストかウサギとか多種の多様な小鳥とか、小動物が街中にとけ込んでいる。各家の庭の木々には数種類のリスが住んでいるし、ウサギは至る所にいる。鷹は何時も空高く飛んでいるし、様々な小鳥が何時も飛び交っている。これもセイントポールという土地柄なのかも知れないのだが、昔ニューヨークにもリスが多かった事を思い出した。
東京にはリスは少ないのだが、狸が増えてるらしいよね。良い事だ。人しか住めない環境に住まなきゃいけない事自体が危機なんだから。
挨拶の事とは話が全く食い違うのだが、もう一つアメリカの特徴を感じたことがある。
アメリカはプラスチックの国だ。
日本もプラスチック大量消費社会なのだが、何でも追いつけ追い越せで、日本はアメリカの真似をしているということがよ〜く分かった。
アメリカに行く前に、展覧会の設置でイタリアに行った(下記の記事 "トリノ”)。トリノのマリアさん曰く、「アメリカに留学してる時さ、下宿してた家のポーチを掃除したんだけど、ポーチにあるエンタシスの柱が少し汚れていたから、雑巾掛けして磨こうとしたんだよ。その家のお母さんが、ポーチに傷が付くから拭くのは止めろって、びっくりしたんだけどさ、何故かって言うと、アメリカのポーチの柱って石じゃないんだ。プラスチックで出来てるんだよ。」と、言っていたのを思い出した。その直後アメリカに行ってみて分かった。なるほどプラスチックなのだ。
よくよく見てみると、街中にある主だったファニチャーや住宅街全体がプラスチックで出来ていることが多い。使い捨てカップから、梱包材、家の外装内装、屋根まで、化学製品を多用しているのだ。ミネアポリスにある、現代美術で有名なウォーカーアートセンター(現代美術館)が、建物をリニューアルしたらしいので見に行ったのだが、ここもやはりアメリカのやり方(コンビーニエント作法)を踏襲している。文化とは、使い勝手が良くて手頃な値段で手に入るものなのだ。
建築素材やファニチャー素材として、様々な自然素材及び合成材料があるのだが、アメリカでの原材料の多くは合成材料(石油類)であることが多い。アメリカが戦争をしてまで石油に固執している理由の一端が伺える気がした。
油断大敵、石油が無くなったら、家やビルが建たない可能性があるし、アメリカ人の大好きなコーラやゲイタレードも飲めなくなる。文化が無くなっちゃうのだ。
Album の中の "ミシシッピー”へ ジャンプ