広島にて8月15日、久しぶりに親子3代そろって、今は亡きオヤジの車を息子が運転して昼食に出掛けた。その帰り、道路の左右を確認してから、バックで駐車場を出た所で、突然対面の駐車場から出てきたらしい車のクラックションがけたたましく鳴った。随分なクラックションだと思いながら、我々は20メーター先のユニクロの駐車場に入ったのだが、その車もビタッと後を付けてきて、我々が止まるや否や運転者が下りてきた。「ぶつけといて何で逃げるんや!!」?と、訳の分からないことを口走っている。全く我々の車には、ぶつかった様なショックも音も何もない。ただけたたましいクラックションの音が聞こえただけ。結局、警察を呼んで検証したのだが、我々の車にはぶつかった痕跡は無し。相手の車の前の黒塗装のバンパーに、ほんの少し白い色が付着していた。こちらに何の反応もない様なぶつかり方をしたのかも知れない。ただ、逃げたわけじゃないから、逃げたと言われるとムカッと来る。先方も私が謝らないと言って怒っている様なのだが、本当にぶつかったの?と疑問に思えるし、私が運転していたわけじゃないから謝らない。況してや相手が我々の車に追突したのかも知れないのだ。警察官も、現状の検証をしてから、まあ穏便にやって、と帰って行った。向こうも、悪巧みしそうな悪人には見えないから、恐らく車同士がそっと触れたのかも知れない。それにしても、修理代を保険屋に請求すると言っていたのが気になるよなあ。色を拭くのに幾ら掛かるのか?時として、善人がとんでもない悪人に変身することがある。往々にして善人が窮地に陥る時人、信じがたい悪人もどきに変身する。戦争が起こるの時の様に。
ウエールズとイングランドの境界ロンドンのパディントン駅から、ウエールズのNewport(ニューポート)駅まで西に向かって電車で1時間半、Newport 駅で乗り換えて内陸部に向かって1時間半 Leominster 駅(レミスターと読む)に到着。駅舎を出るとSidney Nolan Trust シドニー・ノーラン・トラスト(以下 S.N.T.と書く)のワークショップをオルガナイズしているマギーさんが迎えに来ていて、そこから彼女の車で西北西に40分走る。Presteigne(プリスティンと読む)の小さくて美しい街を通り過ぎた辺りが目的地の the Rodd(ロッドという地名)である。そこがすなわち S.N.T.の本拠地である。画家シドニー・ノーランさんが残された広大な牧場と家屋群がある場所なのだ。ロンドンの中心街からここまで来るのに約半日掛かる。直線距離で言うと約200km だから、東京から浜松辺りまでの距離しかないのだが、イギリスの鉄道を乗り継いで来るから約4時間ほど掛かるのだ。プリスティーンの町はイングランドとウエールズの境界線上にある。位置的にもウエールズサイドなのに対して、S.N.T.のあるロッドは、住所としてはウエールズサイド、だが位置的にはイングランドサイドらしい。今や風景に境目はないので(嘗ては延々と続くダイクがあったらしい)、私の知る人達は S.N.T.はウエールズにあると言っている人が多いのだ。2年前から事ある毎に、ここロッドに立ち寄っている。わざわざこの田舎まで出掛けるわけだから、立ち寄るとは言わない、訪れているだよね。今回もワークショップの開催を依頼されてロンドンから、いや日本からやって来たのだ。この春、個展のセッティング前、イングランド西部とウエールズ各地の美術大学で講演をするのために、S.N.T.に2週間滞在したのだが、その時は未だ辺りはグレーだった。今回は風景全体が上の写真のようにフレッシュな緑に溢れている。吹く風も爽やかで、正にイギリス・ウエールズの初夏なのだ。春には枯れ野だった路端にも様々な雑草が茂っていて、自然界の息吹を目と肌で感じるわけだ。しかし、野草の生い茂るフィールドに、迂闊に入り込むと酷い目にあってしまう危険性がある。多くの草木に混ざって人を刺す草があるのだ。一見何処に出もある雑草に見えるのだが、こいつに一寸でも触れると一瞬感電したかのような痺れが走る。そしてその痺れのような痛みは一日中続くのだ。とにかく至る所にあって、スクスクと育つ。ちょっと油断すると辺り一面がこの草に覆われる。勢いのいい普通の野草に見えるから、知っていないと酷い目に合う。刺す草とは思えない優しそうな風体なのだ。でもこいつには絶対に触れない方がいい。ドイツでも同種の雑草があって、嘗ての経験から私は極力触れないように気を付けてはいるが、時には誤って接触してしまうこともある。痺れのような痛みが先に来る。しまった触れてしまった!と後から分かるのだ。しかし、猫や犬や羊は、群生地の中を平気で走り回っている。彼らには問題ないのか?または既に熟知していて、皮膚の露出した部分を回避させながら走り回っているのか?見た目には青紫蘇のような葉の形だ。散切り型の楕円の葉や、茎や、とにかく植物全体に短い産毛が生えているように見える。これが遠くからは見えない鋭い棘の密集なのだ。人は青紫蘇の形に近寄らないようにするしかない。進化の過程で馬や牛に食べられないための防衛手段として身に付けたのだろうが、人家の近くにある群生は何時も刈り込まれる。刈り込んでもまた生えてくるから油断は禁物。でもそのうち、人や動物が近寄ると毒針を飛ばす新種が出てくるかも知れない。トラストの中を綺麗な水の小川が流れている。小川と言っても川幅が狭いところで2〜3メーターはある。十分トラウトの住める川なのだ。魚がいるのではないかと度々探索をしたが、トラウトのライズや魚の影を見ることはなかった。もしここにトラウトがいれば、楽しさ3倍増なんだけどねえ。近くの人達は、魚はいるよと言ってたけど。夏にまた来なくちゃならない。ロンドンで出品した何点かを、永久設置するために。次会はフライロッドを持ってくることに決めた。
写真は、ロッドで飼われている猫とラム。この猫は何時もノンビリと草の中にいる。ラムは人なくっこくて、そばを通ると何時も、メエメエ鳴きながら近寄ってくる。でも人間達は、この子達を喜んで食べるんだよな。
桜が咲いた
日本に帰国4月8日、一ヶ月ぶりに日本に帰ってきた。私が発つ前はノンビリして安全で平和な国だった記憶はある。私が発って4日後に、大地震と大津波が日本を襲った。ただただ呆然と、インターネットから流れてくる映像に、現実離れしたSF映画を見てるような錯覚を覚えた。 イギリスの片田舎にある牧場のファームハウスで、一人部屋に隠りっきりで、日夜配信される映像とニュースを悶々と見続ける以外に為す術はなかった。一週間後、各地の美術大学で講演する日々が始まり、その講演の前には必ず日本の現状について話した。でも、何故か助けて下さいとは言えなかった。展覧会の準備でロンドンに入ってからは、自分の作品の配置と設置に神経を使いながら、夜はWebサイトからの情報を見続けた。多くのロンドン市民から、励ましの言葉や労りを受けつつ、同時に破壊された福島原発の新情報が入ってくる(日本からは入ってこない情報)。日本からの情報とイギリスメディアの情報と、どっちを信じていいのか分からなくなる。被災当事者としては日本からの情報を信じたいと思うのだが、福島原発の映像や周辺の放射能状況を冷静に分析すると、どう考えても炉心や格納容器が破損し、核燃料が露出しているとしか考えられない。同じ場所に6基もの原子炉があって、同時に何基も破損していて、本来なら検出されないはずの放射能が大量に放出されていて、炉心の温度上昇をコントロールする術がないのに、政府や東電の記者会見を見ていると対岸の火事的雰囲気がある。これってチェルノブイリ以上の緊急事態だと思えるのに、日本からの情報には現実性と危機感が欠如しているのを感じていた。4月8日の昼、成田空港に到着した。入管ロビーには人っ子一人いない。ガラーンとして正に閑古鳥が鳴いている状況に異常さを感じて、入国管理官に「このガラ〜ンとした状況は普通じゃないですよねえ」と質問した。彼の答えは「普通だと思いますよ」、なるほど色んな意味に受け取れる回答だった。成田から自宅に帰る道すがら見る街並みや、通りの人達の様子や、ラジオから流れるパーソナリティーの声は、全く普段と変わらない。出国前と差して違わない「普通」に見えた。情報統制がしっかり行われているのか? 総ての情報を知った上で尚普通にしているのか? とにかく春の日本の風景が続いていた。それが間違っているのか?幸せなことなのか?は分からないけど。
愛車2月8日、13年間乗り続けた我が愛車が、33万3333 kmに達した。日本では嫌われもののディーゼル車だが、一応33ナンバーで都内にも入れて燃費もガソリン車より数段良い4輪駆動車である。22万キロ辺りで買い換えを考えたのだが、トヨタのディーラーに行って同車種のディーゼル車は無いかと聞いたところ、我が社はもうディーゼル車なんて作ってません!と軽くあしらわれた。世の中に疎いバカだと言わんばかりの対応に、ムッとして "二度と来ねえと" 思った記憶がある。よーし、この車がどこまで走れるか? 動かなくなるまで乗ってやるわいと心に決めて4年。30万キロを超えるあたりから古女房の良さに気付かされたというか、愛着が湧いてきて、キズや汚れや化粧の剥がれも美しく見えてきた。たまに健康診断はするのだが、心臓も体も未だにピチピチと健康そのもの。だから病院にもほとんど行かないし健康保険なんて使うこともないし、もちろん手足も丈夫で、石山の急峻なガレ場や、釣りの河原、大学に通う高速道もほとんど他車に抜かれない程ギンギンに走ってくれる。況してや、我が儘な私に苦情なんか一言も言ったことはない。次会は、喜寿44万4444 kmで写真を撮ろうと決めた。そして55万5555 kmになったら米寿のお祝いだ。66万6666 kmここまで行けば100歳のお祭り。いつ大往生しても車人生に悔いはないはずだ。まだまだ先は長いぞ、後倍は走れる計算になるなあ。昨年、ヨーロッパのトヨタディーラーに行く機会があった。「ヨーロッパではガソリン車は人気がないので、我が社はほとんどディーゼル車しか置いていません」だって、もちろん私の乗ってるプラドもディ−ゼル車しか置いていない。つくばのトヨタ販売店の野郎は、こっちが無精髭生やして、薄汚れた石の作業着を着てて、見るからに新車を買えるようなリッチマンには見えないから、シャーシャーと大嘘言って私をバカにして軽くあしらった訳だ!!。
2011.8月
広島にて
8月15日、久しぶりに親子3代そろって、今は亡きオヤジの車を息子が運転して昼食に出掛けた。その帰り、道路の左右を確認してから、バックで駐車場を出た所で、突然対面の駐車場から出てきたらしい車のクラックションがけたたましく鳴った。随分なクラックションだと思いながら、我々は20メーター先のユニクロの駐車場に入ったのだが、その車もビタッと後を付けてきて、我々が止まるや否や運転者が下りてきた。「ぶつけといて何で逃げるんや!!」?と、訳の分からないことを口走っている。全く我々の車には、ぶつかった様なショックも音も何もない。ただけたたましいクラックションの音が聞こえただけ。
結局、警察を呼んで検証したのだが、我々の車にはぶつかった痕跡は無し。相手の車の前の黒塗装のバンパーに、ほんの少し白い色が付着していた。こちらに何の反応もない様なぶつかり方をしたのかも知れない。ただ、逃げたわけじゃないから、逃げたと言われるとムカッと来る。先方も私が謝らないと言って怒っている様なのだが、本当にぶつかったの?と疑問に思えるし、私が運転していたわけじゃないから謝らない。況してや相手が我々の車に追突したのかも知れないのだ。
警察官も、現状の検証をしてから、まあ穏便にやって、と帰って行った。
向こうも、悪巧みしそうな悪人には見えないから、恐らく車同士がそっと触れたのかも知れない。それにしても、修理代を保険屋に請求すると言っていたのが気になるよなあ。色を拭くのに幾ら掛かるのか?
時として、善人がとんでもない悪人に変身することがある。往々にして善人が窮地に陥る時人、信じがたい悪人もどきに変身する。戦争が起こるの時の様に。
2010.5月
ウエールズとイングランドの境界
ロンドンのパディントン駅から、ウエールズのNewport(ニューポート)駅まで西に向かって電車で1時間半、Newport 駅で乗り換えて内陸部に向かって1時間半 Leominster 駅(レミスターと読む)に到着。駅舎を出るとSidney Nolan Trust シドニー・ノーラン・トラスト(以下 S.N.T.と書く)のワークショップをオルガナイズしているマギーさんが迎えに来ていて、そこから彼女の車で西北西に40分走る。Presteigne(プリスティンと読む)の小さくて美しい街を通り過ぎた辺りが目的地の the Rodd(ロッドという地名)である。そこがすなわち S.N.T.の本拠地である。画家シドニー・ノーランさんが残された広大な牧場と家屋群がある場所なのだ。
ロンドンの中心街からここまで来るのに約半日掛かる。直線距離で言うと約200km だから、東京から浜松辺りまでの距離しかないのだが、イギリスの鉄道を乗り継いで来るから約4時間ほど掛かるのだ。
プリスティーンの町はイングランドとウエールズの境界線上にある。位置的にもウエールズサイドなのに対して、S.N.T.のあるロッドは、住所としてはウエールズサイド、だが位置的にはイングランドサイドらしい。今や風景に境目はないので(嘗ては延々と続くダイクがあったらしい)、私の知る人達は S.N.T.はウエールズにあると言っている人が多いのだ。
2年前から事ある毎に、ここロッドに立ち寄っている。わざわざこの田舎まで出掛けるわけだから、立ち寄るとは言わない、訪れているだよね。今回もワークショップの開催を依頼されてロンドンから、いや日本からやって来たのだ。
この春、個展のセッティング前、イングランド西部とウエールズ各地の美術大学で講演をするのために、S.N.T.に2週間滞在したのだが、その時は未だ辺りはグレーだった。今回は風景全体が上の写真のようにフレッシュな緑に溢れている。吹く風も爽やかで、正にイギリス・ウエールズの初夏なのだ。
春には枯れ野だった路端にも様々な雑草が茂っていて、自然界の息吹を目と肌で感じるわけだ。
しかし、野草の生い茂るフィールドに、迂闊に入り込むと酷い目にあってしまう危険性がある。多くの草木に混ざって人を刺す草があるのだ。一見何処に出もある雑草に見えるのだが、こいつに一寸でも触れると一瞬感電したかのような痺れが走る。そしてその痺れのような痛みは一日中続くのだ。
とにかく至る所にあって、スクスクと育つ。ちょっと油断すると辺り一面がこの草に覆われる。勢いのいい普通の野草に見えるから、知っていないと酷い目に合う。刺す草とは思えない優しそうな風体なのだ。でもこいつには絶対に触れない方がいい。
ドイツでも同種の雑草があって、嘗ての経験から私は極力触れないように気を付けてはいるが、時には誤って接触してしまうこともある。痺れのような痛みが先に来る。しまった触れてしまった!と後から分かるのだ。
しかし、猫や犬や羊は、群生地の中を平気で走り回っている。彼らには問題ないのか?または既に熟知していて、皮膚の露出した部分を回避させながら走り回っているのか?
見た目には青紫蘇のような葉の形だ。散切り型の楕円の葉や、茎や、とにかく植物全体に短い産毛が生えているように見える。これが遠くからは見えない鋭い棘の密集なのだ。人は青紫蘇の形に近寄らないようにするしかない。進化の過程で馬や牛に食べられないための防衛手段として身に付けたのだろうが、人家の近くにある群生は何時も刈り込まれる。刈り込んでもまた生えてくるから油断は禁物。でもそのうち、人や動物が近寄ると毒針を飛ばす新種が出てくるかも知れない。
トラストの中を綺麗な水の小川が流れている。小川と言っても川幅が狭いところで2〜3メーターはある。十分トラウトの住める川なのだ。魚がいるのではないかと度々探索をしたが、トラウトのライズや魚の影を見ることはなかった。もしここにトラウトがいれば、楽しさ3倍増なんだけどねえ。近くの人達は、魚はいるよと言ってたけど。
夏にまた来なくちゃならない。ロンドンで出品した何点かを、永久設置するために。
次会はフライロッドを持ってくることに決めた。
写真は、ロッドで飼われている猫とラム。この猫は何時もノンビリと草の中にいる。ラムは人なくっこくて、そばを通ると何時も、メエメエ鳴きながら近寄ってくる。でも人間達は、この子達を喜んで食べるんだよな。
2010.4月
桜が咲いた
我が家に隣接する池の桜が満開に近くなった。ノンビリと暖かな春の日曜日である。
大地震と大津波は、多くの命と、多くの街と、そこで暮らしていた人々の生活を奪ってしまった。人はこの惨状を、ただ呆然として受け入れるしか方法がない。どうあがいても大自然を敵に回して勝利することなど出来はしないからだ。
160km北では、原発の炉心が崩壊していて、人の住めない町や村が広がっている。もちろんこの破局的惨状も、自然災害が起因しているのだが、原発はそもそも人が作ったもの。大量の放射能も人が作ったものだ。決して自然じゃない。
春になると桜は咲くし、その花を見て、みんなは楽しくなる。
放射能で汚染され誰も住めなくなっても、やっぱり桜は咲くんだよね。そこには誰もいないけど。
2010.4月
日本に帰国
4月8日、一ヶ月ぶりに日本に帰ってきた。私が発つ前はノンビリして安全で平和な国だった記憶はある。
私が発って4日後に、大地震と大津波が日本を襲った。ただただ呆然と、インターネットから流れてくる映像に、現実離れしたSF映画を見てるような錯覚を覚えた。
イギリスの片田舎にある牧場のファームハウスで、一人部屋に隠りっきりで、日夜配信される映像とニュースを悶々と見続ける以外に為す術はなかった。
一週間後、各地の美術大学で講演する日々が始まり、その講演の前には必ず日本の現状について話した。でも、何故か助けて下さいとは言えなかった。
展覧会の準備でロンドンに入ってからは、自分の作品の配置と設置に神経を使いながら、夜はWebサイトからの情報を見続けた。多くのロンドン市民から、励ましの言葉や労りを受けつつ、同時に破壊された福島原発の新情報が入ってくる(日本からは入ってこない情報)。日本からの情報とイギリスメディアの情報と、どっちを信じていいのか分からなくなる。
被災当事者としては日本からの情報を信じたいと思うのだが、福島原発の映像や周辺の放射能状況を冷静に分析すると、どう考えても炉心や格納容器が破損し、核燃料が露出しているとしか考えられない。同じ場所に6基もの原子炉があって、同時に何基も破損していて、本来なら検出されないはずの放射能が大量に放出されていて、炉心の温度上昇をコントロールする術がないのに、政府や東電の記者会見を見ていると対岸の火事的雰囲気がある。これってチェルノブイリ以上の緊急事態だと思えるのに、日本からの情報には現実性と危機感が欠如しているのを感じていた。
4月8日の昼、成田空港に到着した。入管ロビーには人っ子一人いない。ガラーンとして正に閑古鳥が鳴いている状況に異常さを感じて、入国管理官に「このガラ〜ンとした状況は普通じゃないですよねえ」と質問した。彼の答えは「普通だと思いますよ」、なるほど色んな意味に受け取れる回答だった。
成田から自宅に帰る道すがら見る街並みや、通りの人達の様子や、ラジオから流れるパーソナリティーの声は、全く普段と変わらない。出国前と差して違わない「普通」に見えた。情報統制がしっかり行われているのか? 総ての情報を知った上で尚普通にしているのか? とにかく春の日本の風景が続いていた。それが間違っているのか?幸せなことなのか?は分からないけど。
2010.2月
愛車
2月8日、13年間乗り続けた我が愛車が、33万3333 kmに達した。日本では嫌われもののディーゼル車だが、一応33ナンバーで都内にも入れて燃費もガソリン車より数段良い4輪駆動車である。
22万キロ辺りで買い換えを考えたのだが、トヨタのディーラーに行って同車種のディーゼル車は無いかと聞いたところ、我が社はもうディーゼル車なんて作ってません!と軽くあしらわれた。世の中に疎いバカだと言わんばかりの対応に、ムッとして "二度と来ねえと" 思った記憶がある。
よーし、この車がどこまで走れるか? 動かなくなるまで乗ってやるわいと心に決めて4年。30万キロを超えるあたりから古女房の良さに気付かされたというか、愛着が湧いてきて、キズや汚れや化粧の剥がれも美しく見えてきた。たまに健康診断はするのだが、心臓も体も未だにピチピチと健康そのもの。だから病院にもほとんど行かないし健康保険なんて使うこともないし、もちろん手足も丈夫で、石山の急峻なガレ場や、釣りの河原、大学に通う高速道もほとんど他車に抜かれない程ギンギンに走ってくれる。況してや、我が儘な私に苦情なんか一言も言ったことはない。
次会は、喜寿44万4444 kmで写真を撮ろうと決めた。そして55万5555 kmになったら米寿のお祝いだ。66万6666 kmここまで行けば100歳のお祭り。いつ大往生しても車人生に悔いはないはずだ。まだまだ先は長いぞ、後倍は走れる計算になるなあ。
昨年、ヨーロッパのトヨタディーラーに行く機会があった。「ヨーロッパではガソリン車は人気がないので、我が社はほとんどディーゼル車しか置いていません」だって、もちろん私の乗ってるプラドもディ−ゼル車しか置いていない。
つくばのトヨタ販売店の野郎は、こっちが無精髭生やして、薄汚れた石の作業着を着てて、見るからに新車を買えるようなリッチマンには見えないから、シャーシャーと大嘘言って私をバカにして軽くあしらった訳だ!!。