2010.12月

自然に立ち向かうのは危険な仕事
drilling machineあっという間に12月半ばになってしまった。この年末年始は展覧会が目白押しで、作品制作が間に合わないのだ。
逸る気持ちを抑えながら、削岩機:ait dril(写真左)を使って、直径30mmの穴をひたすらに玉石の中心まで空けている。
玉石と言っても河原に転がっている様な小さな石じゃない。大きさ1.3 m ~ 1.5 m 級・重さ3ton 前後の黒御影石の玉石(河原の石の様な、丸い形で取れた石・boulder stone) なのだ。当然丸い石の上に立っての作業になるが、石が丸いために足場を作らないと上に立てないのだ。3〜4コの穴を上方から空けて、石を少し回転さてまた穴を空けるという作業の連続なのだ。石が真円ならば足場パイプで足場を組めば簡単で安全なのだが、問題は自然石は不定型な丸い形だから、石の立ち位置を動かしていくと、石が自立しないし頂点の高さも変わるし位置も変わるわけだ。その都度、足場の位置を変えるのは、時間が余りにも掛かり過ぎる。それならば穴を空ける丸い石を、回りの足場に寄り架ければ位置もそんなには変わらないし、微妙な角度調整も可能ということで、中心の玉石を取り囲む様に、石の周りに同様の大きさと高さの石を配列した。この周りの石の上を足場にして、中心にある玉石に穴を空けるという方法なのだ。(写真右)
一石二鳥の上手い遣り方なのだが、問題は少なからず危険が付きまとう。石から足を滑らせて下に転落する。真ん中の玉石を動かす時に、玉石と周り石のと間に挟まれる。等々の想像するだけで身の毛もよだつ様な危険が直ぐ側にあるのだ。緊張をちょっとでも緩めたら一巻の終わりになる可能性が大だ。だから削岩機(写真左)を使う時は極度に緊張し、その分、精神的にも肉体的にも疲れるのだ。
holes' boulder stoneこんな事を書いて、生命保険屋さんに知れたら、保険料が上がるんじゃないかと心配もするが、彫刻家とは所詮そんな商売だから、何をやっても安全だと言うことはないし、今の世の中、道を歩くだけで危険が一杯なんだから、かえってアトリエでの孤独な作業の方が安全かも知れない。なんたってヘルメットも被って安全靴も履いて防塵マスクや耳栓もしていて、出来る限りの完全防備なんだから。
それが先日、ちょっとした心の緩みで、思わぬ怪我をしてしまった。何所をどうやって怪我をしたのかは書かないことにする。ここで書きたいのは、怪我の内容じゃないのだ。玉石を加工することの難しさと危険度についてなのだ。
日本にはアニミズム的な独自の自然信仰があって、万物にはそれなりの神が宿っているという。確かに私もそれを信じている一人なのだが、彫刻で自然物を相手にしている時、尚更それを強く感じている。私が鑿やドリルを入れて、自然の素材を自分の作品にしようとする行為自体が、元々あった自然の形態を壊すことに繋がっているからだ。自分の気が、物の持つ気より弱まった時、自分の気が自然物の気に負ける時、それにも増して自分の気が負けていることに気付かなかった時が、一番危険なのだ。
数百万年〜数億年の時間を経て生成され成長し風化しようとする石は、膨大な時間と記憶とを内包している。それは、幾年生ける物が持つ霊魂、もしくは気が強いエネルギーとなって、一個の石の塊からオーラの様に出てバリヤーの様に取り巻いているのだ。石切場で岩盤から切り出された石は、個体としての気が弱まっているから、石の持つ個体としてのエネルギーも差程強い物ではないが、でも玉石となるとわけは違ってくる。強烈な気をエネルギーとして発しているのだ。その石の気に、自分の気が負けた時が危険なのだ。
私も、気は弱い方じゃないと思っているのだが、昨年から茨城の仕事場で4個の大きな玉石(1個1〜3トン)に穴を空けた。その都度、足にかなりの怪我をしている。再起不能になる様な怪我じゃないから幸運なのだが。
嘗て一個が6〜7トンの玉石に挑戦したことがある。石切場の山からからゴロッと出てきたカッコイイ玉石で、それを作品の素材にしようとしたのである。当時の私の制作コンセプトは、石の塊を石畳素材の次元まで割り続けて、再度元の塊の形に組み上げるという作品を作っていたのだが、私はそのカッコイイ大きな玉石から、石畳の広場を作り、その玉石の1/3ほどを、その玉石のままで、広場の中に置くというプランだった。結局のところ私は玉石の気に負けてしまった。その玉石を割ろうとした時に、突然に自分の方が弱いと悟ったのだ。そして石を割らないでそのまま山に戻した。その時に割っていたら・・・今どうなっていたのかは分からない。今でも、その石の気が私の気を確実に凌いでいたことはハッキリと覚えている。
彫刻に於いて、石や木等の自然物を相手にするのは、楽しそうに見えて、それに本気で取り組もうとすると、実は楽じゃないのだ。人間が大自然に挑戦し、それを克服するのが楽じゃない様に。

2010.4月

櫻花
Sakura4月4日、「雨引の里と彫刻2011」準備委員会の観桜会があった。
いつもの如く桜はまばらで、しかも冷たい北風がダウンジャケットの中にまで浸透して、寒い観桜会だったのだ。まあ今年のこの状況は特筆に足りずと言うか、今までの観桜会と比較すると、花は4分も開いていて、しかも例年通りの寒さだったから、一応は準備委員会の観桜会という定例の形式だけは保てたといったところだ。
一週間弱経過した実に春らしい生暖かい日に、仕事場から車で30秒と掛からない同じ場所に行ってみた。今年の桜もすごかった。淡いピンク色の風景の中で、これぞ桜花の本領発揮、Sakura満開の花は辺りの風景を逸して妖艶な時空を作り出しているのだ。

何時も思うのだが、旧雨引駅と隣接した雨引小学校の桜空間は特別である。美しいとか素晴らしいとか言う常識的な比喩では捉えきれない、とにかく人の心に妖艶な狂乱を吹き込み、常識的な判断力を錯乱させるピンク時空なのだ。
写真は、雨引駅のサクラ空間である。昼食後のひととき、カメラを持ってここに出向いたのだが、自転車で通過する人も、空間パワーに気圧されて、フラフラとして真っ直ぐに進めない。
右の写真の一段上がった右延長として、迫り来る入道雲のような雨引小学校のサクラ並木がある。もはや小学校が始まっているために敢えて校内に侵入しなかった。写真には撮らなかったのだが、この小学校のサクラを写真に表現するのは至難の業だ。校庭に立てば、ぐるりと桜入道雲に取り囲まれたといった形容が近い。お酒が無くても桜酔いする。
日本の春盛りは、正に桜酔いなのだ。

2010.3月

UKにて
Edinburgh city今回の訪英の折に、ロンドン美術大学での展覧会の打ち合わせをやるかも知れないと思って、チケットをキャンセルしないままウダウダしてたら、エジンバラの Cone Exchangeギャラリーのディレクターから突然メールが来て、今夏のエジンバラ・アートフェスティバルに合わせて、私の個展をやりたいらしい。とにもかくにも会って話を聞かないことには私としても判断しかねるので、STONE展のオープニング前日にYSPのカフェで落ち合う事にして、17日に出発した。
当日ロンドンから電車に乗って、夜11時過ぎにネットで予約したウェイクフィールドのホテルに着いた。イギリスの電車の旅は、事前にチケットを購入しないと相当に高くつくのだが、今回は菅原さんの娘さんに事前にチケットを購入してもらって、電車が出発するキングスクロス駅で受け取って来たので、ロンドン〜ヨークシャーまで当日価格150£のところ28ポンドでウェークフィールドまで来た事になる。
翌日ディレクターのキャロラインさんに会った。私に会うためにエジンバラから3時間掛けてYSPまで来られたことに一寸だけ感動して、個展開催を受けたのだ。考えてみれば私はここまで23時間掛けて来てるんだけどね。ま・いいか。Corn Exchange Gallery
STONE project展オープニングは大勢のゲストを迎えて、そこそこ盛大だった。現在YSPで大々的な個展を開催しているペーター・ランドール・ページ(STONE project参加作家でもある)と著名なコラムニスト(名前は覚えていない)との座談会もあったりして、夜11時頃までワイワイやったのだ。
翌日、昼頃の電車のチケットを取って、急遽エジンバラに向かった。もちろん個展会場視察のためである。ネット予約したホテルに入ってから、半年ぶりのエジンバラを徘徊した。もはやこの街は勝手知ったるも同然で、地図無しで何処にでも行ける。昨年夏に行き着けたバーでダークアイランドを飲みながら、そうそうカウンターの中の可愛いお姉ちゃんも居て、もしここに林さんが居れば全く去年のデジャブだなあなんて思いながら、取り敢えずジョッキ一杯で店を出て、これまた何回か行った中華レストランにラーメンを食いに行った。
翌日、エジンバラ・シティーシアター前でキャロラインさんと待ち合わせて、私の個展会場屋外スペースとギャラリーを視察した。ギャラリースペースは navyblue というデザイン会社とビルを併用していて、スペース的にはそんなに広くはないのだが、雰囲気は悪くない。屋外はエジンバラのオフィス街にあるスクウェアスペースで、こっちは広いのだ。navyblue の応接室でギャラリーのパブリッシティー担当のディレクターも参加して、詳しい打ち合わせをした。
翌日、エジンバラからロンドンに向かう。チケットはヨークシャーのホテルでネット購入したのでイギリス縦断にも関わらず50£(約¥7500)、安いね。University of the Art Londonロンドンではロッドさん宅に宿泊した。最終日の飛行機搭乗前にロンドン美術大学で4者会談をやるという。美術大学学長のクリスさんと、ロッドさんと、ウエールズからシドニー・ノーラン・トラストのファイナンシャルディレクターのアントニーさんと、私の4人なのだが、会議内容は6割強しか理解できなかった。でも最終的に来年の3月7日〜4月31日の会期で展覧会を開催する事を決定した。後々会議の内容を再考してみたら、これってグループ展じゃなくて個展なんだ!。University of the Arts Londonの屋外スクウェアスペースで、しかも隣のテート・ギャラリーを含めた空間で個展を開催するらしい。何だかキツネに摘まれた気持で、帰りの飛行機に乗った。
今回の訪英は、一週間という滞在期間にも関わらず色々とあった。私が彼方此方動き回って個展開催に漕ぎ着けたと言うより、私はただ成り行きに任せてウダウダとしてただけなのに、エジンバラにしてもロンドンにしても彼方さんが動いてくれて個展を開催してくれる事になったわけだ。フムフム・・・、果報は寝て待てかも知れんのう。

2010.1月

石猫
つくば美術館の地場磁場展も終了して、平沢官衙遺跡の地場磁場展も12月6日に終了する。
イギリスから帰ってから、2つの展覧会の作品制作と神奈川新県民ホールの作品制作でテンヤワンヤしていたのだが、ここに来て新県民ホールの作品制作に集中出来る体勢ができた。
大学の授業は未だ休みに入らない関係で、週のうち3日が授業に取られてしまうのだが、その合間に、ノンビリと趣味的に楽しみながら猫ちゃんを作った。
猫と言っても私が作るのは飼い猫じゃなくて野良猫。私のHPの「recent - 指針」にも書いてる様に、"I would rather be a stray cat than a lion in a zoo." なのだ。
my 「Picasa Web Albums」 の石猫にジャンプ
picnic My works「small works」の「野良猫」にジャンプ
ありきたりの具象的な猫は作りたくない。あくまでも私の中にある猫のイメージを具現化させるのだ。
私の猫を見て、学生が口を揃えて言った。「この猫、本当にニクラシイ!!・・・・。先生とそっくりだよ。」
猫にとって、ニクラシイという比喩は、ポジティブな意味合いだと思っている。本当は、憎らしいほど可愛いという究極の誉め言葉なのだ!。
エ!、私も・・・?

初回限定:問い合わせ


Copyright © Atsuo Okamoto