先日、高校時代の友人から一枚の写真がメールで届いた。「引っ越しの整理をしよったら、こがいな写真が出てきたで」と付け加えてあった。彼は大手の建築会社に長年勤務していたが、定年で両親の住む故郷・広島に、家族共々引っ越す事に決めたらしい。勇気ある決断だ。送られてきた jpg写真をモニター表示させてみてビックリ。未だ青くて、人生や美術なんて何とでもなると考えていた時代、40数年前の私が、宮島の大鳥居の側でカメラ目線にポーズを取っているではないか。色褪せた古いノートのページを捲るように、記憶の奥で忘れ去られていた日々を思い起こす。着ているセーターの色と手触が蘇ってきて、やっぱり自分だよと確信したのだ。今こいつと街中ですれちがっても、自分に似た兄ちゃんだとは思いもしないだろう。髪の毛が有る無いに関わらず、外見的に同一人物だとは思えないのだ。因みに、今の写真を小さく下に載せてみたのだが、どう見ても別人だよ。唯一、私の記憶の深くで、嘗ての想いが繋がっているのみ。
友人から送られてきた写真を、Facebookに載っけてみた。大勢が、今の私と繋がらないという反応だった。同感なのだが、こんな事ってあるんだろうか? 成長なのか?後退なのか? 進化したのか?退化したのか? 少し不安になったのも事実。