'03年12月9日、成田からダラスそしてボストンに飛んだ。ボストンは銀世界だった。生まれて初めてのアメリカなのだ。旅先では色んなハプニングがあるが、先ずもって焦ったのが、米語が聞き取れない。初めての訪米客に向かってベラベラと捲し立てる。「ところであんた何処から来たんだよ、日本からかい?俺んちの女房の従兄弟が日本に行った事があってよう、いいとこらしいよなー。それにしても日本人は英語をあまり喋んないんだよな、だから雰囲気ですぐ分かるんだよ。・・・オーやっぱり日本人か、日本人はいい人が多いから好きだな。」なんて言っているのかどうかは知らないが、当面必要じゃない事柄までベラベラ続くから、何を言ってんのかさっぱり分からないのだ。とにかく相手の話は1/3しか理解できない。でも、こちらのハチャメチャな英語が何とか通じるらしいから、何回も聞き返せばいい。同じ事を3回聞き返すと相手も少々面食らって、それなりに単純に喋ってくれる事が分かった。多民族国家だから、米語の通じない東洋人に接する機会は日常的じゃないらしいのだ。ボストンに来た目的の一つは、亀プロジェクトのコラボレーターとして、2001年からご厄介になっている佐々木彬さんにお会いする事だ。日本で聞いていたオフィスの電話にれんらくを取って、サウス・ステーションで待ち合わせる事になったのだが、実は佐々木さんとは面識がないのだ。チャイナタウンを側に控えたサウスステーションは、東洋人の往来がやたらと多い場所で、どの方が佐々木さんなのか、誰が日本人なのか見当が付かない。でもしばらく観察していると、水中の釣魚の動きと種類がそれとなく分かる様に、民族の違いが何となく分かってくる。この人だと思って、最初に声を掛けた人が、やはり佐々木さんだった。優しそうな人だ。佐々木さんと一緒に、彼のオフィスへ行く。建築家のオフィスが集まったビルの7階、私の家が5軒分は入る広いオフィスが、佐々木さんの仕事場だ。な・・・なんと!佐々木さんは建築家だったのだ。どういう訳かこの2年半、彼は宇部市の公園課の職員の方だと思い込んでいた。宇部市野外彫刻美術館の藤井さんの紹介だし、何回か帰国して宇部に行かれてる様だし・・・。何という誤解、宇部の現代日本彫刻展の審査員だったのだ。仕事の邪魔をしても悪いので、夕食の約束をしてオフィスを後にした。ボストン美術館、MIT(マサチューセッツ工科大学)の見学をした。ボストン美術館のコレクション展の充実ぶりには目を見張るものがある。じっくり時間を掛けて練られた、会場の空間作りとライティングには感動した。都内の新設美術館のお披露目展覧会に見られる様な、学校の文化祭的,仮設の祭事展示とは雲泥の差である。高い入館料も苦にならなかった。私が兼ねてから思っているように、彫刻やタブローには、それなりの空間が必要なのだ。良質のモノと、そのモノが必要とする空間の存在によって、そこに流れている空気の質が変わって来る。その緊張した空間(視覚)と空気(嗅覚と触覚)に浸る事で、心の何処かが共振を始める。感動が始まるのだ。逆に、空間や空気の欠乏した彫刻やタブローやインスタレーションは、体育館に仮設の間仕切りをして祭事品を陳列したバーゲン会場と大差ない。なんてことを思いながら・・・・。
18 ボストン
'03年12月9日、成田からダラスそしてボストンに飛んだ。ボストンは銀世界だった。
生まれて初めてのアメリカなのだ。旅先では色んなハプニングがあるが、先ずもって焦ったのが、米語が聞き取れない。初めての訪米客に向かってベラベラと捲し立てる。「ところであんた何処から来たんだよ、日本からかい?俺んちの女房の従兄弟が日本に行った事があってよう、いいとこらしいよなー。それにしても日本人は英語をあまり喋んないんだよな、だから雰囲気ですぐ分かるんだよ。・・・オーやっぱり日本人か、日本人はいい人が多いから好きだな。」なんて言っているのかどうかは知らないが、当面必要じゃない事柄までベラベラ続くから、何を言ってんのかさっぱり分からないのだ。
とにかく相手の話は1/3しか理解できない。でも、こちらのハチャメチャな英語が何とか通じるらしいから、何回も聞き返せばいい。同じ事を3回聞き返すと相手も少々面食らって、それなりに単純に喋ってくれる事が分かった。多民族国家だから、米語の通じない東洋人に接する機会は日常的じゃないらしいのだ。
ボストンに来た目的の一つは、亀プロジェクトのコラボレーターとして、2001年からご厄介になっている佐々木彬さんにお会いする事だ。日本で聞いていたオフィスの電話にれんらくを取って、サウス・ステーションで待ち合わせる事になったのだが、実は佐々木さんとは面識がないのだ。チャイナタウンを側に控えたサウスステーションは、東洋人の往来がやたらと多い場所で、どの方が佐々木さんなのか、誰が日本人なのか見当が付かない。でもしばらく観察していると、水中の釣魚の動きと種類がそれとなく分かる様に、民族の違いが何となく分かってくる。この人だと思って、最初に声を掛けた人が、やはり佐々木さんだった。優しそうな人だ。
佐々木さんと一緒に、彼のオフィスへ行く。建築家のオフィスが集まったビルの7階、私の家が5軒分は入る広いオフィスが、佐々木さんの仕事場だ。な・・・なんと!佐々木さんは建築家だったのだ。どういう訳かこの2年半、彼は宇部市の公園課の職員の方だと思い込んでいた。宇部市野外彫刻美術館の藤井さんの紹介だし、何回か帰国して宇部に行かれてる様だし・・・。何という誤解、宇部の現代日本彫刻展の審査員だったのだ。
仕事の邪魔をしても悪いので、夕食の約束をしてオフィスを後にした。ボストン美術館、MIT(マサチューセッツ工科大学)の見学をした。ボストン美術館のコレクション展の充実ぶりには目を見張るものがある。じっくり時間を掛けて練られた、会場の空間作りとライティングには感動した。都内の新設美術館のお披露目展覧会に見られる様な、学校の文化祭的,仮設の祭事展示とは雲泥の差である。高い入館料も苦にならなかった。
私が兼ねてから思っているように、彫刻やタブローには、それなりの空間が必要なのだ。良質のモノと、そのモノが必要とする空間の存在によって、そこに流れている空気の質が変わって来る。その緊張した空間(視覚)と空気(嗅覚と触覚)に浸る事で、心の何処かが共振を始める。感動が始まるのだ。逆に、空間や空気の欠乏した彫刻やタブローやインスタレーションは、体育館に仮設の間仕切りをして祭事品を陳列したバーゲン会場と大差ない。
なんてことを思いながら・・・・。