道路特定財源の確保と称して、役人と天下った連中の利権確保のために、ガソリンと軽油の値段が再度高騰した。金持ち達の利権を確保する政治が狡猾に続いている昨今、日本の民は未だに民主主義が何たるかを理解していない気がする。何があっても自分がどうなっても、お上や幕府は絶対者で、その裁定にはいつもうなだれて従う、ましてや逆う事などとんでもない。数百年間培った平民の水飲み根性は、鍋の底にこびり付いた焼け焦げのように、未だに心の底に染みついているのだ。生活が苦しいとか、生きていけないとか何とか悲劇的な台詞は言うけど、最終的にいつも「何とかしてくださいよ」で終わる。全くの他力本願なのだ。自分からお上を変えようとは思いもしない。どんな悪事悪政も喉元過ぎれば、お上の御達しだからしかたないと諦めてしまう。逆に今の世の中で、甘い汁を吸ってる多くの連中は、当然の事として自分が裕福になる仕組みを捨ててなるモノかと、いつでも何処でもアクティブに発言し動き回るのだ。甘い汁を逃そうになると、使わない道路がいかに大切か、屁理屈を並べまくって大反論する。嘗て農林省が、杉の植林に対して巨額な補助金を出していた。だからその補助金目当てにみんな挙って杉の苗木を植えた。そこまでは良しとして、問題は、そこに長年生き続けている大きな広葉樹林を切り倒してまで杉苗を植えたのだ。森や緑を守る事が重要なんじゃなくて杉苗を植える事にのみ価値があった。言い換えれば、古くからの森を破壊する事に巨額の補助金を出したわけだ。そして杉苗を植えたらもう補助金は出ない。その後どうなったか?全く管理の行き届かない杉の荒れ山になって、毎春、大量の杉花粉をまき散らして、国民を花粉症にした。植えた杉は、手入れが行き届かないもんだから、木材としても使えない。巨額な税金を使って森を壊し、民を花粉症にしたわけだ。誰も、国民を花粉症にしようと企んだ訳じゃないんだろうし、古くからの森と破壊しようと企んだ訳じゃないのだろう。ただお役人の智恵が足りなかった。浅はかな智恵足らず者が巨額な税金を預かって短絡的行動に出た。そしてそこには甘い汁があったのだ。もう一つの問題は、この愚行に対して誰が責任取るんだ?という事だ。国民が裁判起こして国に責任を取らせる? 国が責任を取ると言う事は、国民一人一人が逆に責任を取ると言う事、すなわち花粉症になった貴方自身が責任を取るしかないと言う事なのだよ。すなわち民は、お上をいくら崇め奉っても崇め奉る責任は一人一人がしっかり取らなきゃいかんという事なのだ。他力本願の責任は自分が取ると言う事だ。なんてね、そんな事に腹を立ててたら個展に向けての作品制作がちっとも進まないので、この連休は一心不乱に日々ひたすら制作を続ける。その実、私も他力本願の平民なのだよね。今日もスタジオに行った。家から桜川市のスタジオ第3工場まで25キロある。銀座からだと府中辺りまでか、横浜辺りまでの距離になる。勿論道すがらには何カ所も信号があって、何時も信号に引っかかって、トータル5〜6分は止まっているのだが、ところが今日は、家を出てから仕事場に着くまで一回も止まらなかった。総ての信号機に引っ掛からなかったのだ。近づく信号機が赤になってるからこいつには引っ掛かるなと思って近づくと、途端に青に変わる。遠くから青を確認できる信号に、そろそろ黄色に変わるはずだと予想しながら近づいても依然として青。私が通り過ぎる途中で黄色に変わるのだ。もちろんここが田舎で、信号機のある交差点が希薄だという事も理由の一つにはなるけど、一応つくば市も桜川市も立派な市なのだ。途中、常総市も通過するから、三つの市を通った事になる。最後の信号機はスタジオの500メーター手前。もうドキドキしながら、まるで1億円の宝くじの最後の一字を見る様な気分で無事通過した。もちろん交通違反はしていない。何たって私はゴールド免許なんだから。興奮して仕事場に着いても、連休中だから誰もいない。この快挙を誰かに自慢出来ないのだ。いや、もし誰か居たにしても話せないかも知れない。こんなたわいもない事がニュースになるほどみんな暇じゃないからねえ。だからこうして雑談記事を書いてるんだけど・・・。ほんと、話は最初に戻るけど、これじゃお上が変わる訳ないよな。写真は桜川市の風景。田圃と山だけど、筑波山の山裾には街が広がっているのだ。いつも通っている県道はこの山裾を通っている。写真下は仕事場を200〜300メーター出て撮った写真だ。こんな五月連休の象徴のような安らぎの風景の中で制作している事自体が連休なのかも知れない。
64 巷は連休(5月5日)
道路特定財源の確保と称して、役人と天下った連中の利権確保のために、ガソリンと軽油の値段が再度高騰した。
金持ち達の利権を確保する政治が狡猾に続いている昨今、日本の民は未だに民主主義が何たるかを理解していない気がする。何があっても自分がどうなっても、お上や幕府は絶対者で、その裁定にはいつもうなだれて従う、ましてや逆う事などとんでもない。数百年間培った平民の水飲み根性は、鍋の底にこびり付いた焼け焦げのように、未だに心の底に染みついているのだ。生活が苦しいとか、生きていけないとか何とか悲劇的な台詞は言うけど、最終的にいつも「何とかしてくださいよ」で終わる。全くの他力本願なのだ。自分からお上を変えようとは思いもしない。どんな悪事悪政も喉元過ぎれば、お上の御達しだからしかたないと諦めてしまう。
逆に今の世の中で、甘い汁を吸ってる多くの連中は、当然の事として自分が裕福になる仕組みを捨ててなるモノかと、いつでも何処でもアクティブに発言し動き回るのだ。甘い汁を逃そうになると、使わない道路がいかに大切か、屁理屈を並べまくって大反論する。
嘗て農林省が、杉の植林に対して巨額な補助金を出していた。だからその補助金目当てにみんな挙って杉の苗木を植えた。
そこまでは良しとして、問題は、そこに長年生き続けている大きな広葉樹林を切り倒してまで杉苗を植えたのだ。森や緑を守る事が重要なんじゃなくて杉苗を植える事にのみ価値があった。言い換えれば、古くからの森を破壊する事に巨額の補助金を出したわけだ。そして杉苗を植えたらもう補助金は出ない。
その後どうなったか?全く管理の行き届かない杉の荒れ山になって、毎春、大量の杉花粉をまき散らして、国民を花粉症にした。植えた杉は、手入れが行き届かないもんだから、木材としても使えない。
巨額な税金を使って森を壊し、民を花粉症にしたわけだ。
誰も、国民を花粉症にしようと企んだ訳じゃないんだろうし、古くからの森と破壊しようと企んだ訳じゃないのだろう。ただお役人の智恵が足りなかった。浅はかな智恵足らず者が巨額な税金を預かって短絡的行動に出た。そしてそこには甘い汁があったのだ。
もう一つの問題は、この愚行に対して誰が責任取るんだ?という事だ。国民が裁判起こして国に責任を取らせる? 国が責任を取ると言う事は、国民一人一人が逆に責任を取ると言う事、すなわち花粉症になった貴方自身が責任を取るしかないと言う事なのだよ。すなわち民は、お上をいくら崇め奉っても崇め奉る責任は一人一人がしっかり取らなきゃいかんという事なのだ。他力本願の責任は自分が取ると言う事だ。
なんてね、そんな事に腹を立ててたら個展に向けての作品制作がちっとも進まないので、この連休は一心不乱に日々ひたすら制作を続ける。その実、私も他力本願の平民なのだよね。
今日もスタジオに行った。家から桜川市のスタジオ第3工場まで25キロある。銀座からだと府中辺りまでか、横浜辺りまでの距離になる。勿論道すがらには何カ所も信号があって、何時も信号に引っかかって、トータル5〜6分は止まっているのだが、ところが今日は、家を出てから仕事場に着くまで一回も止まらなかった。総ての信号機に引っ掛からなかったのだ。近づく信号機が赤になってるからこいつには引っ掛かるなと思って近づくと、途端に青に変わる。遠くから青を確認できる信号に、そろそろ黄色に変わるはずだと予想しながら近づいても依然として青。私が通り過ぎる途中で黄色に変わるのだ。
もちろんここが田舎で、信号機のある交差点が希薄だという事も理由の一つにはなるけど、一応つくば市も桜川市も立派な市なのだ。途中、常総市も通過するから、三つの市を通った事になる。
最後の信号機はスタジオの500メーター手前。もうドキドキしながら、まるで1億円の宝くじの最後の一字を見る様な気分で無事通過した。もちろん交通違反はしていない。何たって私はゴールド免許なんだから。
興奮して仕事場に着いても、連休中だから誰もいない。この快挙を誰かに自慢出来ないのだ。いや、もし誰か居たにしても話せないかも知れない。こんなたわいもない事がニュースになるほどみんな暇じゃないからねえ。だからこうして雑談記事を書いてるんだけど・・・。ほんと、話は最初に戻るけど、これじゃお上が変わる訳ないよな。
写真は桜川市の風景。田圃と山だけど、筑波山の山裾には街が広がっているのだ。いつも通っている県道はこの山裾を通っている。写真下は仕事場を200〜300メーター出て撮った写真だ。こんな五月連休の象徴のような安らぎの風景の中で制作している事自体が連休なのかも知れない。