56   娘の結婚

my daughter had married2006.10.8. 娘の結婚式があった。なんだか他人行儀な言い回しなのだが、この春に私がアメリカに行っている時、彼らは入籍した。そして私の帰国を待って、この秋に式と披露宴をやったのだ。以前、彼とも数回飲んでいるし、彼のご両親やご家族の方達ともお会いして会食しているから、私の中で娘は既に嫁がせたという認識でいた。二人がお世話になっている方達や、友人達へのお披露目という事で、彼ら夫婦が式と披露宴を企画したのだ。
娘が小さい頃から、私はいつも単身赴任で、茨城の大和村(現・桜川市)にある石切場と石屋さんの工場とで作品制作をしていた。だから娘と一緒に過ごした時間はほとんど無いと言っていいのかも知れない。時が経って、私は茨城に本格的なスタジオを持ち、住み着いてしまったのだが、既に娘も息子も成人し、別々の場所で単独に生活を始めたから、私の生活の中では、結婚と同時に娘が自分の側から居なくなるといったような、劇的な変化は無いのだ。視点を換えれば、娘や息子にとっては決していい親父じゃなかったのだろうと認識している。
結婚式の前日、大学の学生達から、「先生は絶対に泣くよ!」と冷やかされても、「私が泣くわけ無いじゃないか!」と断言していた。いや心底そう思っていた。my daughter had married
結婚式は両家の親戚一同も介して、原宿の教会で挙げ、会費制の披露宴は、教会の側にあるイタリアレストランで催された。彼らが企画したざっくばらんな披露宴なのだ。娘が生まれる前からの旧友も来てくれて、まるで展覧会のオープニングパーティー2次会のような、実に楽しく微笑ましい宴会だった。
宴も酣の頃、両親へ感謝を込めた花束贈呈。今までに何度もこの光景は見ているのだが、自分が当事者になった事はない。正直なところ、自分が当人であることが不思議で、客観的に自分を傍観しようと努力していたのだが、娘が母親に花束を渡す瞬間に、目の前から風景が消えた。そして彼女が私の側に来て「有り難う」と言った。私はただ一言、「幸せになれよ」と言うのが精一杯だった。
シュン(新しい息子)もシュンのご両親も、マイコ(娘)もマイコの母親(EXワイフ)もみんな、涙が溢れていた。宴会が終わり、広島から来ていただいた親戚の方達や友人連中と2次会で飲み直しながら・・・、ガクッと疲れている自分を発見した。なんだか一回り歳を食ったような。

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