52   いい年超えて

2006年8月吉日、ふと、昔のことを思い出すときがある。いい思い出だったり楽しいこと悲しいことだったりする。たまに失態の光景がよぎることもある。
先日、過去の失態をリアルに思い出して、少し落ち込み気味になりながら反省したのだ。
昔から大酒を飲む事はよくあるのだが、2年に1回くらいかなあ、「なんて俺は馬鹿なんだろう」と、後の後悔を繰り返している気がする。空焚きした鍋の様に、自分の殻だけがカッカと熱くなって、その場の会話と掛け離れて燃えてしまったことを思い出すのだ。
雨引のオープニング2次宴会が始まったばかりの頃、場が煮詰めている話には関係なく、自分で勝手に空焚きをしてしまった。
アルコールが多量に入ると、少なからず自分を正常にコントロールする機能に変調を来すのは茶飯事のことだとしても、成人たる者、それは理由にならない。後になって、自分のバカさと、それを把握できない自分の未熟さに、ひたすら後悔を繰り返すのだ。酒の席では、もう何も言うまい!。自己理論の主張は止めにしようと、その度ごとに決意するのだが、2年に1回のペースで、こんな大反省をしている気がする。いつになったら空焚きしなくなるんだろうねえ。
作品に関わることやアート理論に関わることで、その思考や論理の渦の中に潜行し埋没してしまう傾向がある。この脳内迷宮に入り込むと、周りの状況が見えなくなってしまうきらいがある。とにかくそうならないように、普段から気を付けることが重要なのかも知れないねえ。


45   シリン・ネシャット展

2005年9月8日、広島市立大・院1年の集中講義で広島にいる。
その講義の一環で、広島現代美術館で開催中のシリン・ネシャット展を見に行った。パンフレットに由れば、シリン・ネシャットはイラン出身の女性アーチストで、前回のドクメンタや広州ビエンナーレで脚光を浴びている映像作家らしい。
恥ずかしながら、私は彼女の存在を知らなかったのだが、今年の広島賞作家の展覧会を見て初めて知った次第である。
元来私は、ビデオ作品や映像作品全編を、美術館に設えられた薄暗い空間で、長時間腰を据えて見たことがほとんど無い。嘗てビルビオラの水と火の作品と、オノヨウコのハエの作品だけは最後まで見た事があるのだが、それ以外では、自分の興味を引くような映像作品に出会ったためしがない。何時もチョコット触りを見ただけで、「あ〜つまんね〜」見る時間がもったいないと思って、直ぐに次の部屋に移動するのが常になっていた。

Shirin's work
「私のそばの秘密」1993(写真作品)
Shirin's film
「トゥーバ」2002(映像作品)

今回も映像作家の展覧会と言うことで、最初は差ほど興味を引かれなかったのだが、学生連れで行ってるから、中座するわけにも行かないと思って、最初に出くわした映像を最後まで見た。
結局、総ての作品を最後まで、目を皿のようにして見てしまった。しかも見終わってから、もう一度見たいと思った。彼女の創り出す映像、その中の音、モチーフとしての風景と人、全編を通してのイスラム圏の性差とコンセプト、それら全てに感動し感激してしまったのだ。映像の中に、彫刻性・孤立性・民族の情念・地霊・人が生きていることと宇宙との関係性等々を見て取る事が出来た。そしてそれら全てが、自分の中に溜まっているフラストレーションをビリビリと刺激するのだ。
閉館時間になって美術館を後にしながら、ふと思った。こんな素晴らしい作品・映像を目の当たりに出来ることを、何人の市民が知って居るんだ?
恐らくほとんどの市民は、この素晴らしい展覧会の情報を全く持っていないんじゃないか? 美術館に行けば、こんなにスゴイものが見れることを、ほとんどの人は知らないんじゃないのか?
美術館はもっともっと宣伝し、もっともっと情報を流さなきゃ! こんなスゴイものを誰も知らないなんて、美術館の怠慢かも知れないぞ。
皆さん、是非見に行きましょう!!せっかく目と鼻の先でやってるんだから、しかも皆さんの税金を使ってるんだから、市民は見る権利があるし、感動を受ける権利があるんだから・・・・。学校単位で生徒を連れて見に行こうよ。この映像を見せないなんて、それこそ税金の無駄遣いだよ。

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