2005年7月13日、以前このコーナーに、桃子(犬の名前)の事に関連して、犬型人間と猫型人間に触れた事がある。猫型は独りを好み、犬型は集団を好む。猫型は人との距離を一定以上に保たないと落ち着かないが、犬型は一定の距離範囲に入らないと落ち着かない性質がある。人を冷静に観察していると、大体この2種類の人間に分かれる事が分かった。以前、学生から恋愛の相談を受けた事があった。現在付き合っている人が、自分をどう思っているのか?相手は遊びなのか本気なのか?相手を追いかけていいものか?引いた方がいいのか?、等々の相談である。好いた惚れたの相談ほど難しいものはない。勝手なことを言えないのだ。私が助言したのは、相手が犬型か猫型かを判断せよ、相手が犬だったらひとまず追いかけてみる。相手が猫だったら一歩引いてみる。相手が犬だとして、自分が引いたら、相手も引くから、とにかくドンドン行く。犬は集団を好むから、尻尾を振って近寄って来るものに対して決して悪意は持たないものだ。逆に猫を追うと逃げる。だからひとまず引いてみるのだ。脈ある猫は必ず追いかけてくる。ここで重要な判断は、相手が猫なのか犬なのか?見極める事だ。でもその見極めがすこぶる難しい。長年にわたって観察していれば、段々に分かってくるのだが、少しの付き合いでは、本性が隠されている事がよくある。最近ある事に気付いた。とても不思議な現象なのだが、明らかに犬と猫との領域が見えた気がしている。インターネットのブログサイトもしくは、お友達サイトの登録者に共通する現象に気付いた。猫型人間が多いのだ。お友達を求めて、集まるのは犬の特徴だが、インターネットに集まるのは猫。この現象を考察するに、犬は直接群れるのだが、猫は相手との距離を保った上で群れる。お友達や仲間を意識はするのだが、遠くにいて、チラチラッと触れる、チラッと見られる事が好きなのだ。インターネットは、その状況を十分に満たしている。正に犬型には物足りないのだが、猫型にとっては最適なメディアなのかも知れない。そう言う私も、実は猫型。君と付き合っている人が、ネットをやっているかどうか・・・? 猫と犬の判断材料の一つにはなるかも。
2004年7月17日、一昨日の雷で、室内のISDNブースターが使用不能となって、昨日の雷で電話回線が燃えたらしく、今日も回復していない。おまけに、クーラーが壊れてテレビまでイカレてしまった。昨年の落雷では、同じ電話のブースターと、コンピューターのモニターと、CDプレーヤーがぶっ壊れて大損害だったのだ。ここは一体何処なんだ? 全く陸の孤島と化した我が家で、シーンと静まりかえった蒸し暑さの中で、ただただ悶々としている。また遠雷の地響きが聞こえてきた。腹が立つ雷め!今度襲来したら只じゃすまねーぞ!この野郎め!! なんて思っているから本当に只じゃ済まないのかも、なんて冗談を言ってる場合じゃない。これからは、冷蔵庫以外の総てのコンセントを抜いて出掛ける事にする。私が長期不在の時は電話が不通になるが、これも自己防衛手段の一つで、仕方がない。北関東では、電線や電話線は、地下に埋設しなきゃ基本的な問題の解決にはならないのだ。それが無理なら、NTTの基本料(回線使用料)、東電の基本料を大幅に割り引いてもらうしかない。7月18日、電話回線が回復してブースターも交換したのだが、今度はISDNのルーターもイカレている事が分かった。またまた出費が嵩み、とうぶん電話もインターネットも通じない。
(2004.2.13)、40億年前から、地球上生命の生息数は増加の一歩を辿っている。現在の生命生息数は、かつて死んで行った生命の数だけいるという話を聞いた事がある。本当かな・・・!? と思ったのだが、考えれば考えるほど核心を突いた理論に思えて来る。地下のマグマの付近にいるバクテリアから、生体細胞に寄生する事で繁殖するインフルエンザウイルス、細菌類、地中や海中にいる微生物、それこそ無限と言っていいくらいの生物が増殖しているのだ。我々の知らない新たな細菌やウイルスが、至る所にいる可能性が大なのだが、そんな事は我々に取って仕方ないし、どうしようもないし、事起きる前はどうだっていいことかも知れない。それより問題なのは、吉野家の牛丼に群がる群集の蒙昧さ加減だ。こんな事を書くと、吉野家の営業妨害になるかも知れないと危惧するのだが、最早牛丼は休止なのだから問題は無い。はっきり言って、日本にストックしてある、もしくはストックしてあったアメリカ産の牛肉や骨材は、狂牛病感染に関して全くのグレー状況なのだ。いや、感染の可能性が否定できない肉類だと言った方がいい。ニュースや報道をそのまま理解すると、今まで出まわった肉類や骨類の中に、狂牛病の牛と同じ飼料を食ってカナダから輸入された牛が、混入していた可能性が非常に大きいのだ。いや混入していたと言っても過言じゃない。何故なら、先日アメリカは、カナダから輸入された狂牛病の牛と同じ牛の、追跡調査を取り止めた。80頭の内、50数頭もの牛が、どうなったのか分からないという事なのだ。すなわち既に食肉用として出回った事は大いに考えられるし、それを日本が輸入し、ストックしていた、もしくはストックしている可能性が非常に大きいのだ。アメリカから既に輸入した牛肉類は絶対安全なんて、誰も言っちゃいないし保証しちゃいないのだ。むしろ狂牛病感染の牛が混入している可能性の方が大だし、感染牛を精肉した同じ場所で処理された肉が出回っていた可能性が大なのだ。それを誰もチェックしていないし、チェックできないし、況やアメリカ本国も、追跡不可能で調査を止めたと言い始めたのだから、余計に質が悪いしブラックゾーンなのだ。牛丼の休止寸前に、吉野家に群がっていた諸君! 貴方達は、嬉々として感染牛を食った可能性が大だったという事を、どれだけ認識しているのか? そんな事どうだっていいと、尻まくって食ったのか? 知らなかったのか? 皆でやれば恐くなかったのか???。もし恐くなかったり尻まくってるフリをしてるなら、10年後はご愁傷様かも知れない。案外そんなヤツほど、いざとなったらウダウダ言い出すヤツが多いんだよな。日本の報道機関が、既に入って来ている牛肉の、感染の可能性を何故に敢えて言わないのか?その報道が、パニックを招く可能性を危惧するというのか? バカな事だ! 吉野家に民衆が群がってる状況を見て、貴方達は何も思わないんだろうか? それとも知らないフリをしてるのか。何れにしても、今となっては自己防衛しか手段の余地がない事は事実なのだ。過剰防衛だという気がしないでもないのだが、今結論の出ない事が一番恐い。分かった時には手遅れ、そうならないために、納得のいく方策を個々が見付けるしかない。考え方を変えてみよう。牛肉の輸入を解禁しても、状況としては今までと何も変わりゃしない。今まで輸入していた肉が、感染していた可能性を0.01%として、これから入って来る肉も、やはり同じ確率のはずだ。今までの輸入肉の感染確率を知りながら食ってたんだから、解禁後もみんな喜んで食うはずなのだ。もし、アメリカで発覚した狂牛病の牛より若い牛に限る事にして、危険部位を混入させない方策をとれば、もっと確率は減る。牛丼マニアにとっては超安全な肉になる。私も牛丼は嫌いじゃない。むしろ大好きだ。早く超安全風の牛丼を、安心と共に食いたいものだ。
(2003.11.26)、最近我が家で、銭虫をよく見かける。玄関だったりトイレだったり洗面所だったり、とにかくゆっくりゆっくりジワーっと這っているんだ。我が家の銭虫は艶がいい。黒褐色光りして、よく見かけるヤツよりほんの少し長いのかも知れない。因みに私の田舎では、銭虫はヤスデの事である。何故銭虫かというと、こいつが居ると金銭が貯まる訳じゃなくて、触ると銅貨の様に円くなるから銭虫なのだ。節足動物で、一つの節に短い足が左右併せて4本生えている。同じような節足動物にムカデがいるが、こいつは一つの節に2本の長めの足で、動きが早く毒を持っている牙で咬む。ムカデは大昔から私の天敵で、這ってるのを見ただけで鳥肌が立って来て、体内のアドレナリンが逆流して、私の脳の攻撃中枢が大量の刺激を受けてパニクッて来る。その昔、ゴムのオモチャ・ムカデを知らずに手にして、3日間寝込んだ事があるのだ。東南アジアには1メートルのムカデがいると聞く。想像しただけで死にそうになる。もう一匹似たような生物でゲジゲジがいるが、こいつは走るのが早い、一個の節から長ーい足が2本生えてるから敏捷なのだ。別に毒もなく咬みもしないのだが、ヤツは敏捷で壁も登るから嫌いなのだ。我が家で銭虫を見付けると、鄭重に手の中に取り込んで、外に持って行って放してやるのだ。今度来る時は、お土産にイッパイ銭を持って来いよって言ったら持って来る? そんな事はないよな。銭虫は、動きのノロいただの虫なのだ。
人間には猫型と犬型があるという。猫の好きな人と、犬好き人間と2種類あるらしいのだ。猫の孤独な我侭さ、犬の従順な人懐っこさ、其々違った性質に惹かれる事で性格が分かれるらしい。人間の恋愛方法も猫型と犬型に大別できると思っているのだが、このことは後に書く事にして。自分は完璧に猫型だと物心付いた頃から思い続けてきた。先日母のために番犬も兼ねて一匹の子犬を買ってから、猫型の志向性がグラッと揺らぎ始めたのだ。ビーグル犬の子供で、岡本桃子と名付けた。犬が家に来て何日か過ごすうちに、こいつの可愛いさに心を奪われてしまった。今まで猫派だと思っていた事を踏まえて余りある程に可愛い。飼い主はお袋になるはずなのだが、つい私が桃子に嵌まってしまった。どんなに可愛い犬でも躾の出来ていない犬は醜い。人間と付き合うためのルールを教えなきゃならない。私が茨城の仕事場に帰ってしまうと、お袋が桃子と付き合う事になるから、こいつに最低限のルールだけは教えておく。
トイレの躾はもちろんだが、こいつを犬小屋(桃子の家)に入れると大きな声でワンワンキャンキャン鳴く。鳴けば直に構ってくれると思わせないために、とにかく無視するのだ。これには結構エネルギーを使う。犬の都合で人間が動かされるんじゃない、人間の都合で犬が動くという事を教えるのだ。3〜4日脳に響くような鳴き声を我慢して、人間の都合で接していたら、どうやら学習したらしい。それ以後、小屋に入れても無駄に吠えなくなった。取り敢えずここまで躾て、後はお袋に任せ茨城に来た。3週間後にまた会えるのだが、何とも待ち遠しいのだ。
子供の頃、鶏と山羊を飼っていた。毎朝卵と乳を提供してくれた。近所には牛が居て馬が居て、野生のイノシシや鹿や猿が出て来たりした。家にはネズミとヘビが居て毎晩追っかけっこをしていた。ある日、家の主と思われる大きなヘビに出くわして、二つ折りにしてクルクル回そうと試みたのだが、私の背丈よりも長くて回せなかったのを覚えている。川には色んな種類の魚や甲殻類が居て、真冬の毛ガニの美味さ、夏のダンギの蒲焼きは絶品だった。初夏にはホタルが乱舞していた。こんな事書くと山深い里の風景を思ってしまうのだが、広島市街から川に沿って15キロ程上った農業地域なのだ。大学時代に初めて東京に出て来て、屋台で売っていたワニが可哀想で、しばらく飼ったこともある。卒業後状況が貧窮してからインコも飼った。こいつは「カップンチョウ・ポチーノ」という自分の名前を喋っていた。もちろん犬や猫はその時々に何匹かいた。でもみんな先に逝っちゃった。彼等のお蔭で多くを学んだ気がする。今、人間にとっても動物にとっても危険な世の中になった。文明は加速度的に進歩するけど、その中にいる生物はひたすらに絶命し種は消えていく。都内の雑踏を歩いている時、ふと人間しか居ない土地に居る事に気付く。ドブネズミとダニは何処かに居るんだろうが、見渡す限りにおいては人しか居ない。人間以外の動物は生きられない地域に足を踏み入れて、思わず背筋の寒くなる事がある。これって普通なんだろうか?地球上に人類しか住めない土地が広がって行く事、これってマジで普通なの?そんな途方もない事を思うよりも、キャラクター人形やメディアなんとかで、今も楽しくアートの未来なんて・・・、当然至極の当たり前になっちゃったの?
2003.3.8. NHKでやってた松任谷由実の特集番組を見た。昔から嫌いじゃないけど、何処かで仲間意識のようなものがあって、ファンとしてのめり込んだ事はないが、改めて聞いてみるとユーミンも悪くないと思った。懐かしい歌とともに、学生時代の映像が走馬灯の様に蘇って来る。彼女も多摩美で、私の一つ後輩だったんじゃないかなあ。大学の1学年後輩に、荒井由美という女の子がいて、歌を唄ってるらしいという情報は知っていたんだが、こんなにも時代を風靡するとは思っていなかった。彼女の数ある歌の中でも「卒業写真」はいいな〜と思っている。何故か暖かいものが込み上げて来るのだ。カンパチ・ブライアーズ! 学生時代に作っていた草野球チーム。彫刻科の寄せ集めチームで、鑿やセット(ハンマー)を持つ手をバットとグローブに替えて、楽しみながらハチャメチャにやってたのを思い出す。発端は、ゲームの後のコンパが目当てだから、即席のメンバーには事欠かないのだ。村井は背が高いからファースト、亡くなったけど蒲浦がセカンド、山本も去年死んじゃったけどショートだっけ、吉井がセンター、阿部がレフト、ゲルマニューム角はナックルを投げるからピッチャー、細谷がキャッチャー、なべちゃんや能勢や立身、安田や工ちゃんもいた。俺は名サードだったんだ。大学院になって、メンバーが入れ代わって、新たに石井厚生さん(先生)や後輩のムサ連中も加わった。正式にカンパチ・ブライアーズとして発足したのだが、オレンジ色のラインの入ったユニフォームも作ったりなんかしたけど、チーム内容はちっとも変わっていない。発足以来、色んな社会人チームと対戦した。毎回の様に、対戦相手の規律あるウオーミングアップを目にして、何時も圧倒されるのだが、どういう訳か、あまり負けた事がない。こっちが勝っちゃうと相手もカッカ来るらしく、日を改めて再挑戦して来るのだ。大橋歩さん(石井さんの奥さん)の関係で平凡パンチとも戦ったのだが、やっぱり負けなかった記憶がある。彫刻のムサのチームだけど、今思うとけっこう強かったのだ。先日の引越しの時に、ブライアーズ初期の写真が出て来た。みんな若くて、痩せてて、髪が長くて、案外カッコイイじゃないか。スコアラーの法子やイッコちゃんや万喜子も居る・・・・。長い間忘れていた一枚の卒業写真。広島の田舎から八王子の田舎に出て来て、東京という都市に触れる、そして社会人に触れるいい機会だった。密かなイニシエーションだったのかも知れないなあ。
42 犬型と猫型
2005年7月13日、以前このコーナーに、桃子(犬の名前)の事に関連して、犬型人間と猫型人間に触れた事がある。
猫型は独りを好み、犬型は集団を好む。猫型は人との距離を一定以上に保たないと落ち着かないが、犬型は一定の距離範囲に入らないと落ち着かない性質がある。
人を冷静に観察していると、大体この2種類の人間に分かれる事が分かった。
以前、学生から恋愛の相談を受けた事があった。
現在付き合っている人が、自分をどう思っているのか?相手は遊びなのか本気なのか?相手を追いかけていいものか?引いた方がいいのか?、等々の相談である。好いた惚れたの相談ほど難しいものはない。勝手なことを言えないのだ。
私が助言したのは、相手が犬型か猫型かを判断せよ、相手が犬だったらひとまず追いかけてみる。相手が猫だったら一歩引いてみる。
相手が犬だとして、自分が引いたら、相手も引くから、とにかくドンドン行く。犬は集団を好むから、尻尾を振って近寄って来るものに対して決して悪意は持たないものだ。逆に猫を追うと逃げる。だからひとまず引いてみるのだ。脈ある猫は必ず追いかけてくる。
ここで重要な判断は、相手が猫なのか犬なのか?見極める事だ。でもその見極めがすこぶる難しい。長年にわたって観察していれば、段々に分かってくるのだが、少しの付き合いでは、本性が隠されている事がよくある。
最近ある事に気付いた。とても不思議な現象なのだが、明らかに犬と猫との領域が見えた気がしている。
インターネットのブログサイトもしくは、お友達サイトの登録者に共通する現象に気付いた。猫型人間が多いのだ。
お友達を求めて、集まるのは犬の特徴だが、インターネットに集まるのは猫。この現象を考察するに、犬は直接群れるのだが、猫は相手との距離を保った上で群れる。お友達や仲間を意識はするのだが、遠くにいて、チラチラッと触れる、チラッと見られる事が好きなのだ。インターネットは、その状況を十分に満たしている。正に犬型には物足りないのだが、猫型にとっては最適なメディアなのかも知れない。
そう言う私も、実は猫型。
君と付き合っている人が、ネットをやっているかどうか・・・? 猫と犬の判断材料の一つにはなるかも。
29 雷のバカ(緊急報告ページの続き)
2004年7月17日、一昨日の雷で、室内のISDNブースターが使用不能となって、昨日の雷で電話回線が燃えたらしく、今日も回復していない。
おまけに、クーラーが壊れてテレビまでイカレてしまった。
昨年の落雷では、同じ電話のブースターと、コンピューターのモニターと、CDプレーヤーがぶっ壊れて大損害だったのだ。
ここは一体何処なんだ? 全く陸の孤島と化した我が家で、シーンと静まりかえった蒸し暑さの中で、ただただ悶々としている。
また遠雷の地響きが聞こえてきた。腹が立つ雷め!今度襲来したら只じゃすまねーぞ!この野郎め!! なんて思っているから本当に只じゃ済まないのかも、なんて冗談を言ってる場合じゃない。
これからは、冷蔵庫以外の総てのコンセントを抜いて出掛ける事にする。私が長期不在の時は電話が不通になるが、これも自己防衛手段の一つで、仕方がない。
北関東では、電線や電話線は、地下に埋設しなきゃ基本的な問題の解決にはならないのだ。それが無理なら、NTTの基本料(回線使用料)、東電の基本料を大幅に割り引いてもらうしかない。
7月18日、電話回線が回復してブースターも交換したのだが、今度はISDNのルーターもイカレている事が分かった。またまた出費が嵩み、とうぶん電話もインターネットも通じない。
22 狂牛病と吉野家
(2004.2.13)、40億年前から、地球上生命の生息数は増加の一歩を辿っている。
現在の生命生息数は、かつて死んで行った生命の数だけいるという話を聞いた事がある。本当かな・・・!? と思ったのだが、考えれば考えるほど核心を突いた理論に思えて来る。地下のマグマの付近にいるバクテリアから、生体細胞に寄生する事で繁殖するインフルエンザウイルス、細菌類、地中や海中にいる微生物、それこそ無限と言っていいくらいの生物が増殖しているのだ。我々の知らない新たな細菌やウイルスが、至る所にいる可能性が大なのだが、そんな事は我々に取って仕方ないし、どうしようもないし、事起きる前はどうだっていいことかも知れない。
それより問題なのは、吉野家の牛丼に群がる群集の蒙昧さ加減だ。
こんな事を書くと、吉野家の営業妨害になるかも知れないと危惧するのだが、最早牛丼は休止なのだから問題は無い。
はっきり言って、日本にストックしてある、もしくはストックしてあったアメリカ産の牛肉や骨材は、狂牛病感染に関して全くのグレー状況なのだ。いや、感染の可能性が否定できない肉類だと言った方がいい。ニュースや報道をそのまま理解すると、今まで出まわった肉類や骨類の中に、狂牛病の牛と同じ飼料を食ってカナダから輸入された牛が、混入していた可能性が非常に大きいのだ。いや混入していたと言っても過言じゃない。何故なら、先日アメリカは、カナダから輸入された狂牛病の牛と同じ牛の、追跡調査を取り止めた。80頭の内、50数頭もの牛が、どうなったのか分からないという事なのだ。すなわち既に食肉用として出回った事は大いに考えられるし、それを日本が輸入し、ストックしていた、もしくはストックしている可能性が非常に大きいのだ。
アメリカから既に輸入した牛肉類は絶対安全なんて、誰も言っちゃいないし保証しちゃいないのだ。むしろ狂牛病感染の牛が混入している可能性の方が大だし、感染牛を精肉した同じ場所で処理された肉が出回っていた可能性が大なのだ。それを誰もチェックしていないし、チェックできないし、況やアメリカ本国も、追跡不可能で調査を止めたと言い始めたのだから、余計に質が悪いしブラックゾーンなのだ。
牛丼の休止寸前に、吉野家に群がっていた諸君! 貴方達は、嬉々として感染牛を食った可能性が大だったという事を、どれだけ認識しているのか? そんな事どうだっていいと、尻まくって食ったのか? 知らなかったのか? 皆でやれば恐くなかったのか???。もし恐くなかったり尻まくってるフリをしてるなら、10年後はご愁傷様かも知れない。案外そんなヤツほど、いざとなったらウダウダ言い出すヤツが多いんだよな。
日本の報道機関が、既に入って来ている牛肉の、感染の可能性を何故に敢えて言わないのか?
その報道が、パニックを招く可能性を危惧するというのか? バカな事だ! 吉野家に民衆が群がってる状況を見て、貴方達は何も思わないんだろうか? それとも知らないフリをしてるのか。
何れにしても、今となっては自己防衛しか手段の余地がない事は事実なのだ。
過剰防衛だという気がしないでもないのだが、今結論の出ない事が一番恐い。分かった時には手遅れ、そうならないために、納得のいく方策を個々が見付けるしかない。
考え方を変えてみよう。牛肉の輸入を解禁しても、状況としては今までと何も変わりゃしない。今まで輸入していた肉が、感染していた可能性を0.01%として、これから入って来る肉も、やはり同じ確率のはずだ。今までの輸入肉の感染確率を知りながら食ってたんだから、解禁後もみんな喜んで食うはずなのだ。
もし、アメリカで発覚した狂牛病の牛より若い牛に限る事にして、危険部位を混入させない方策をとれば、もっと確率は減る。牛丼マニアにとっては超安全な肉になる。私も牛丼は嫌いじゃない。むしろ大好きだ。早く超安全風の牛丼を、安心と共に食いたいものだ。
16 銭虫(ぜにむし)
(2003.11.26)、最近我が家で、銭虫をよく見かける。玄関だったりトイレだったり洗面所だったり、とにかくゆっくりゆっくりジワーっと這っているんだ。我が家の銭虫は艶がいい。黒褐色光りして、よく見かけるヤツよりほんの少し長いのかも知れない。
因みに私の田舎では、銭虫はヤスデの事である。何故銭虫かというと、こいつが居ると金銭が貯まる訳じゃなくて、触ると銅貨の様に円くなるから銭虫なのだ。節足動物で、一つの節に短い足が左右併せて4本生えている。
同じような節足動物にムカデがいるが、こいつは一つの節に2本の長めの足で、動きが早く毒を持っている牙で咬む。ムカデは大昔から私の天敵で、這ってるのを見ただけで鳥肌が立って来て、体内のアドレナリンが逆流して、私の脳の攻撃中枢が大量の刺激を受けてパニクッて来る。その昔、ゴムのオモチャ・ムカデを知らずに手にして、3日間寝込んだ事があるのだ。東南アジアには1メートルのムカデがいると聞く。想像しただけで死にそうになる。
もう一匹似たような生物でゲジゲジがいるが、こいつは走るのが早い、一個の節から長ーい足が2本生えてるから敏捷なのだ。別に毒もなく咬みもしないのだが、ヤツは敏捷で壁も登るから嫌いなのだ。
我が家で銭虫を見付けると、鄭重に手の中に取り込んで、外に持って行って放してやるのだ。今度来る時は、お土産にイッパイ銭を持って来いよって言ったら持って来る? そんな事はないよな。銭虫は、動きのノロいただの虫なのだ。
3 犬と猫(7月1日)
人間には猫型と犬型があるという。
猫の好きな人と、犬好き人間と2種類あるらしいのだ。猫の孤独な我侭さ、犬の従順な人懐っこさ、其々違った性質に惹かれる事で性格が分かれるらしい。人間の恋愛方法も猫型と犬型に大別できると思っているのだが、このことは後に書く事にして。
自分は完璧に猫型だと物心付いた頃から思い続けてきた。先日母のために番犬も兼ねて一匹の子犬を買ってから、猫型の志向性がグラッと揺らぎ始めたのだ。
ビーグル犬の子供で、岡本桃子と名付けた。
犬が家に来て何日か過ごすうちに、こいつの可愛いさに心を奪われてしまった。今まで猫派だと思っていた事を踏まえて余りある程に可愛い。飼い主はお袋になるはずなのだが、つい私が桃子に嵌まってしまった。
どんなに可愛い犬でも躾の出来ていない犬は醜い。人間と付き合うためのルールを教えなきゃならない。私が茨城の仕事場に帰ってしまうと、お袋が桃子と付き合う事になるから、こいつに最低限のルールだけは教えておく。
トイレの躾はもちろんだが、こいつを犬小屋(桃子の家)に入れると大きな声でワンワンキャンキャン鳴く。鳴けば直に構ってくれると思わせないために、とにかく無視するのだ。これには結構エネルギーを使う。
犬の都合で人間が動かされるんじゃない、人間の都合で犬が動くという事を教えるのだ。3〜4日脳に響くような鳴き声を我慢して、人間の都合で接していたら、どうやら学習したらしい。それ以後、小屋に入れても無駄に吠えなくなった。
取り敢えずここまで躾て、後はお袋に任せ茨城に来た。3週間後にまた会えるのだが、何とも待ち遠しいのだ。
4 私の側に居た生き物
子供の頃、鶏と山羊を飼っていた。毎朝卵と乳を提供してくれた。近所には牛が居て馬が居て、野生のイノシシや鹿や猿が出て来たりした。家にはネズミとヘビが居て毎晩追っかけっこをしていた。ある日、家の主と思われる大きなヘビに出くわして、二つ折りにしてクルクル回そうと試みたのだが、私の背丈よりも長くて回せなかったのを覚えている。川には色んな種類の魚や甲殻類が居て、真冬の毛ガニの美味さ、夏のダンギの蒲焼きは絶品だった。初夏にはホタルが乱舞していた。こんな事書くと山深い里の風景を思ってしまうのだが、広島市街から川に沿って15キロ程上った農業地域なのだ。
大学時代に初めて東京に出て来て、屋台で売っていたワニが可哀想で、しばらく飼ったこともある。卒業後状況が貧窮してからインコも飼った。こいつは「カップンチョウ・ポチーノ」という自分の名前を喋っていた。もちろん犬や猫はその時々に何匹かいた。でもみんな先に逝っちゃった。彼等のお蔭で多くを学んだ気がする。
今、人間にとっても動物にとっても危険な世の中になった。
文明は加速度的に進歩するけど、その中にいる生物はひたすらに絶命し種は消えていく。
都内の雑踏を歩いている時、ふと人間しか居ない土地に居る事に気付く。ドブネズミとダニは何処かに居るんだろうが、見渡す限りにおいては人しか居ない。人間以外の動物は生きられない地域に足を踏み入れて、思わず背筋の寒くなる事がある。これって普通なんだろうか?
地球上に人類しか住めない土地が広がって行く事、これってマジで普通なの?
そんな途方もない事を思うよりも、キャラクター人形やメディアなんとかで、今も楽しくアートの未来なんて・・・、当然至極の当たり前になっちゃったの?
5 イニシエーション
2003.3.8. NHKでやってた松任谷由実の特集番組を見た。昔から嫌いじゃないけど、何処かで仲間意識のようなものがあって、ファンとしてのめり込んだ事はないが、改めて聞いてみるとユーミンも悪くないと思った。懐かしい歌とともに、学生時代の映像が走馬灯の様に蘇って来る。彼女も多摩美で、私の一つ後輩だったんじゃないかなあ。大学の1学年後輩に、荒井由美という女の子がいて、歌を唄ってるらしいという情報は知っていたんだが、こんなにも時代を風靡するとは思っていなかった。彼女の数ある歌の中でも「卒業写真」はいいな〜と思っている。何故か暖かいものが込み上げて来るのだ。
カンパチ・ブライアーズ! 学生時代に作っていた草野球チーム。彫刻科の寄せ集めチームで、鑿やセット(ハンマー)を持つ手をバットとグローブに替えて、楽しみながらハチャメチャにやってたのを思い出す。発端は、ゲームの後のコンパが目当てだから、即席のメンバーには事欠かないのだ。
村井は背が高いからファースト、亡くなったけど蒲浦がセカンド、山本も去年死んじゃったけどショートだっけ、吉井がセンター、阿部がレフト、ゲルマニューム角はナックルを投げるからピッチャー、細谷がキャッチャー、なべちゃんや能勢や立身、安田や工ちゃんもいた。俺は名サードだったんだ。大学院になって、メンバーが入れ代わって、新たに石井厚生さん(先生)や後輩のムサ連中も加わった。正式にカンパチ・ブライアーズとして発足したのだが、オレンジ色のラインの入ったユニフォームも作ったりなんかしたけど、チーム内容はちっとも変わっていない。
発足以来、色んな社会人チームと対戦した。毎回の様に、対戦相手の規律あるウオーミングアップを目にして、何時も圧倒されるのだが、どういう訳か、あまり負けた事がない。こっちが勝っちゃうと相手もカッカ来るらしく、日を改めて再挑戦して来るのだ。大橋歩さん(石井さんの奥さん)の関係で平凡パンチとも戦ったのだが、やっぱり負けなかった記憶がある。彫刻のムサのチームだけど、今思うとけっこう強かったのだ。
先日の引越しの時に、ブライアーズ初期の写真が出て来た。みんな若くて、痩せてて、髪が長くて、案外カッコイイじゃないか。スコアラーの法子やイッコちゃんや万喜子も居る・・・・。
長い間忘れていた一枚の卒業写真。広島の田舎から八王子の田舎に出て来て、東京という都市に触れる、そして社会人に触れるいい機会だった。密かなイニシエーションだったのかも知れないなあ。