顎が使える最後のBBQ2013年7月13日、翌金曜日が手術のための再入院という土曜の夜に、今年初のバーベキューをやった。夕方息子が見舞いに来たと思いきや、そのままバーベキューの準備に入って、日が暮れる頃には、もうカルビとタン塩とイカ蒸し焼きの最初の金網が焼き上がっていた。私は病の事もあって、肉や野菜の柔らかい所を摘みながら、酒類はビールだけに限定して楽しく飲んで、おいしく咀嚼した。夜の9時を過ぎると、私は腹一杯。BBQも終盤とおもいきや、息子と奥さんは新たな食材を次から次へと焼き続けて、「やっぱりバーベキューは最高だ」などと宣いながら、食べ続け飲み続けている。息子の胃袋が80%ほど満たされてきた頃、顎最後の写真をフィッシュアイの広角レンズで撮った。60年間使ってきた左顎の最後に食べるバーベキューと、左顎の骨のある顔の輪郭。次回のBBQは美味しく食べれるんだろうか?
雨の季節に2013年6月27日、筑波大付属病院に入院。とにかく病院と名の付く空間へ、日がな囲われるのは初めての経験である。いつ退院できるのか?今のところ核心的な得られていない。入院当日は、連日の雨空に変わって夏空の様な縮れ雲の合間に、青空が垣間見れて久々に爽やかな天気だった。入院手続きを終えて、午後から上半身のCTを綿密に撮られたが、MRIとか内視鏡は後日らしい。CTが終了し、午後2時からは超暇になった。昼間っから病室で寝てるほど衰えちゃいないから、担当医と看護婦さんの了解を得て、一階ロビーのTully's coffeeに行って、ラージサイズのコーヒーを飲みながら、持参したノートPCでネットやメールチェックをやってたら、9階から担当の看護婦さんが慌てて下りて来られて、これから担当先生の処置があるので病室に戻って下さいとの事。やっぱりそんなにノンビリとはしてられないのかも知れないね。 病室は広くて美しい。今まで私が見た多くの病院の大部屋から比べて、ベッド回りの空間が相当に広い。ビジネスホテル部屋くらいの広さはありそうだ。詰まるところ、病院のインフラや身の回りのハード部分は実に快適なのだが、問題は私の体内にある。とにかく、速く治って退院したいのが本音。
正月2013年1月1日、母の住む広島の家で、何時も正月を迎えることにしている。母は今年が6回目の年女である。巳お婆ちゃんなのだ。年々歳をとってきて動きは敏速じゃないが、3本足の桃子(ビーグル)と一緒に朝晩の散歩は欠かさない。それなりにノンビリと生活している。しかし老人が大きな家を管理し生活するのは大変な事である。昔の人間は、モノを捨てられない。昭和初期から戦争を経験し原爆を体験して、戦後のモノの無い生活の中を生き抜いてきた母は、モノを捨てる事に対して、自分の分身を切り取られるような思いがするらしい。だから家の中には新しいモノと古いモノが山のように混在して、カオスに近い状況の中で生活しているのだ。台所の食品も言わずもがな、冷蔵庫には半年前の刺身や揚げ物が入っていたり、新しい牛乳と一ヶ月前の牛乳が数本同居していたり、とにかく買ってきた食品を入れる場所すら無い状況なのだ。しかも母は、冷蔵庫が小さいと文句を言うが、一人で生活するにゃ大きすぎるくらいなのだ。私が年に数回ほど帰ってきては古いモノを大量に捨てて、大掃除をする状況がここ3年くらい続いたのだ。広島市のゴミ出しは非常に複雑で老人には判断が難しいから、家の勝手口を出た空間には、いつも様々なゴミ袋が山積みになっているのだった。昨年の秋から、老人介護のヘルパーさんに週1で入ってもらう事になった。台所の整理と掃除をしてもらっている。今回帰ってきて、人が生活する状況が維持されている事に驚いた。冷蔵庫はちゃんと整理されていて、古いモノは見当たらない。あ〜〜〜何と素晴らしい事か!!! 写真は今回の台所の状況を撮ったものだ。もちろんガチャガチャと色んな物はあるのだが、それは先にも書いたようなお袋の性分で、空になったペットボトルまで纏めてとっておく性分だから、今更変えられない事は分かっているから驚かないのだ。俺が捨てればいいのだ。今年から、ヘルパーさんに週2回入ってもらう事になった。ゴミ出しの手助けもしてもらうためである。お袋の新しい生活の始まりとして、2013年を心から祝いたい。
2013. 7月
顎が使える最後のBBQ
2013年7月13日、翌金曜日が手術のための再入院という土曜の夜に、今年初のバーベキューをやった。
夕方息子が見舞いに来たと思いきや、そのままバーベキューの準備に入って、日が暮れる頃には、もうカルビとタン塩とイカ蒸し焼きの最初の金網が焼き上がっていた。
私は病の事もあって、肉や野菜の柔らかい所を摘みながら、酒類はビールだけに限定して楽しく飲んで、おいしく咀嚼した。
夜の9時を過ぎると、私は腹一杯。BBQも終盤とおもいきや、息子と奥さんは新たな食材を次から次へと焼き続けて、「やっぱりバーベキューは最高だ」などと宣いながら、食べ続け飲み続けている。
息子の胃袋が80%ほど満たされてきた頃、顎最後の写真をフィッシュアイの広角レンズで撮った。60年間使ってきた左顎の最後に食べるバーベキューと、左顎の骨のある顔の輪郭。
次回のBBQは美味しく食べれるんだろうか?
2013. 6月
雨の季節に
2013年6月27日、筑波大付属病院に入院。とにかく病院と名の付く空間へ、日がな囲われるのは初めての経験である。
いつ退院できるのか?今のところ核心的な得られていない。
入院当日は、連日の雨空に変わって夏空の様な縮れ雲の合間に、青空が垣間見れて久々に爽やかな天気だった。
入院手続きを終えて、午後から上半身のCTを綿密に撮られたが、MRIとか内視鏡は後日らしい。CTが終了し、午後2時からは超暇になった。昼間っから病室で寝てるほど衰えちゃいないから、担当医と看護婦さんの了解を得て、一階ロビーのTully's coffeeに行って、ラージサイズのコーヒーを飲みながら、持参したノートPCでネットやメールチェックをやってたら、9階から担当の看護婦さんが慌てて下りて来られて、これから担当先生の処置があるので病室に戻って下さいとの事。やっぱりそんなにノンビリとはしてられないのかも知れないね。
病室は広くて美しい。今まで私が見た多くの病院の大部屋から比べて、ベッド回りの空間が相当に広い。ビジネスホテル部屋くらいの広さはありそうだ。
詰まるところ、病院のインフラや身の回りのハード部分は実に快適なのだが、問題は私の体内にある。
とにかく、速く治って退院したいのが本音。
2013.1月
正月
2013年1月1日、母の住む広島の家で、何時も正月を迎えることにしている。
母は今年が6回目の年女である。巳お婆ちゃんなのだ。年々歳をとってきて動きは敏速じゃないが、3本足の桃子(ビーグル)と一緒に朝晩の散歩は欠かさない。それなりにノンビリと生活している。しかし老人が大きな家を管理し生活するのは大変な事である。
昔の人間は、モノを捨てられない。昭和初期から戦争を経験し原爆を体験して、戦後のモノの無い生活の中を生き抜いてきた母は、モノを捨てる事に対して、自分の分身を切り取られるような思いがするらしい。だから家の中には新しいモノと古いモノが山のように混在して、カオスに近い状況の中で生活しているのだ。台所の食品も言わずもがな、冷蔵庫には半年前の刺身や揚げ物が入っていたり、新しい牛乳と一ヶ月前の牛乳が数本同居していたり、とにかく買ってきた食品を入れる場所すら無い状況なのだ。しかも母は、冷蔵庫が小さいと文句を言うが、一人で生活するにゃ大きすぎるくらいなのだ。
私が年に数回ほど帰ってきては古いモノを大量に捨てて、大掃除をする状況がここ3年くらい続いたのだ。
広島市のゴミ出しは非常に複雑で老人には判断が難しいから、家の勝手口を出た空間には、いつも様々なゴミ袋が山積みになっているのだった。
昨年の秋から、老人介護のヘルパーさんに週1で入ってもらう事になった。台所の整理と掃除をしてもらっている。
今回帰ってきて、人が生活する状況が維持されている事に驚いた。冷蔵庫はちゃんと整理されていて、古いモノは見当たらない。あ〜〜〜何と素晴らしい事か!!! 写真は今回の台所の状況を撮ったものだ。もちろんガチャガチャと色んな物はあるのだが、それは先にも書いたようなお袋の性分で、空になったペットボトルまで纏めてとっておく性分だから、今更変えられない事は分かっているから驚かないのだ。俺が捨てればいいのだ。
今年から、ヘルパーさんに週2回入ってもらう事になった。ゴミ出しの手助けもしてもらうためである。
お袋の新しい生活の始まりとして、2013年を心から祝いたい。