真鶴とBBQ2012年8月30日、JBDの学生達と石彫の教授と連れ立って、真鶴の亀川石材に石選びに同行した。残暑厳しい中で大小の小松石を選び、その後で石切場見学だ。嘗ては、二十歳そこそこの若い女性群が35度を超す炎天下で、荒々しい石切場に立つ事はほとんど無かったと思うのだが、近年の女性軍は強しなのだ。ポーズを取る余裕さえある。写真は石切場での一枚だ。亀川さんも普段以上にニコニコしているかも。真鶴港で海鮮の定食に舌鼓を打ってから、一同は伊豆半島の付け根から東京を跨いで茨城のつくばに向かう。今夜のバーベキューのために、我が家に急行するのだ。いやはやの強行軍である。伊豆から東京を超えるのは午後4時を過ぎると大渋滞が予想されるから、ナベさん(教授)車と私の車とでカーチェイス擬きで飛ばして来た。なんとか6時前に我が家に到着、我が家では上さんが食材の準備をしていて、私はバーベキューのシチュエーションと炭起こしを担当した。学生連は台所から外へ食材運びと酒の準備である。夕方からつくば市に住んでいる鈴木先生も加わって、総勢10人の賑やかなBBQになった。これだけの人数を賄うにはBBQがベスト。とはいうものの金網が2枚乗る程の炭場も、10人の箸を前にしたら焼けるのを待たねばならない状況だ。酒も進むし食材もバンバン消えてゆく。後半になって焼きうどんの準備に掛かった。60cm大の鉄板に油を引いてと・・・・、ちょっと油の量が多かったから、煮える油をティッシュの束で吸い取ろうと酔った手で行動に出た。少しの酔いが状況の判断を狂わし、煮えた油をバシャッと右手に掛けてしまったのだ。熱いってもんじゃない。その後3時間、火傷部分を冷水で冷やしたのだが、結局は1週間の通院と、作品制作の中断を余儀なくされてしまった。でも学生さんが火傷しなくて本当に良かったと思いながら、個人的には去年の骨折に続いての右手の薬指絡み、雨引観音にお参りして厄をはらうことにした。我が家では、毎週のように若者がBBQをやってる気がする。こんなワイワイガヤガヤのバーベキューを通じてさえも、この元気ある若者達が、人生を張って本気で遊べるモノを見付けて欲しいと思っている。それが美術であってもいいし、美術じゃなくてもいい、どうせやるなら何事にも人生を掛けて本気でやる。中途半端は誰にでも出来るけど、人生掛けて本気で遊ぶ奴はほとんど居ない。ましてや美術はそうそう金になるもんじゃないからこそ、本気で遊ぶ勇気と行動力が必要なんだ。中途半端に人生を費やすなよ!人生総てが中途半端になるぞ!!若者。翌朝、我が家の駐車場がイッパイになっている風景を写真に撮る。トラックも含めて大小5台の車が整然と駐まって、未だ少し余裕がある。よくまあこんなに駐められたものだよ。普段は私と上さんの車の出入りで手一杯だと思っていたのに、意外とスペースはあるものだ。やっぱり住むのは田舎がいいと今更ながら思っている。車の背後に見えるプレハブは、私の簡単な作業場として利用している離れだが、夏は暑くてほとんど使わない。
夏の暑さの中で2012年7月も終わりに近い日、久しぶりに我が家でバーベキューをやった。1年ぶりになるか? JB大とG大の院・博士を修了した教え子達が4人来ての囂しい宴会になった。昼間は35度を超す、火に掛けたフライパンの様な中での制作で溶けかけた蝋燭の様に体力を消耗するが、夜になると30度前後になって少しばかり涼しくなる。30度が涼しいなんて日本ならではである。よく冷えたビールを呷りながら、炭火の上で焦げ目が適度に付いた食材をほおばる。口休めに取り止めの無い雑談の花が咲く。若者は元気だ。60を過ぎても、奴らには引けを取らない自信だけはあるのだが、さすがに11時を過ぎると隣近所への遠慮が先に立って、声のトーンを落としている自分が居る。当たり前だよ歳には関係ない。結局11時半前には総てを片付けて家の中に入った。ここから焼酎を飲み直して、美女達を就寝させたのが2時。私も酔っぱらったかも。JB大の石専攻では毎週金曜日の昼食を、石埃にまみれた石場の片隅で作っている。数ヶ月前には私もスコットランドで習ってきたグリーンスープを10人前程披露した。石場の関係者は、学生・教員・助手を含めると15人程いて、ほぼ毎月1〜2回のペースで何らかのお祝い日が廻ってくる計算になる。このお祝い会をフライデイズランチの中で催すのだ。お祝い会は、決まって趣向を凝らした料理や手作りケーキが作業台の上を賑わしている。先月は私の誕生会があって、あんこと黄粉の亀おはぎが出てきた。写真下は、博士過程の学生(ハイジ)が2年ほどインドに留学するという事で、その追い出し豚汁ランチである。このくそ暑い時になぜ豚汁か? 理由は簡単で、彼女のリクエストらしいのだ。食後に、ニックネームのハイジ改め豚汁ちゃんになったのは必然というもの。ケーキの写真は、院の学生の誕生会の手作りプリンケーキである。添えてある文字や四角い飾りは羊羹でできていて、彼女の作品を彷彿させるような形と無数の孔が空けてある。何とも微笑ましいアイデアケーキである。食は場を和ませる。ともするとハードで硬派なイメージの石場なのだが、このフライデイズランチや手作りスイーツが、学生達の関係を和ませている。たまに他学科の先生や学生達も食いに来る。知る人ぞ知る、JB大の密かなエポックメーキングになっているのだ。
新しいタイヤ2012年5月、何年ぶりになるのか忘れてしまった頃、私の車に新しいタイヤを4本買った。新しい靴を、初めて履いた時の様に、気分は「ルンルン」になる。私の車は、もうすぐ地球を10周(40万キロ)する。今更新しいタイヤを買っても、果たして最後まで車が動いてるかどうか? だから新しいタイヤを買いたくなかったのだが、どこの中古タイヤ市場を捜しても、私の車に合うサイズのタイヤは見つからない。去年12月に買った中古のスタッドレスは、未だ溝が十分に残っていて、今年の冬もスタッドレスとして使えそうだから、夏履くには勿体ない。だから普段のタイヤに替えようと捜していたが、結局中古は出てこなかった。車は古くても、新しいタイヤを履くのはいい。次回また夏冬とも履き替えたくなる頃には、地球を13周はしているはずだ。
金環日食2012年5月21日、朝7時半。危ぶまれていた空模様も、つくばの東の空は晴れ間が見えていて、絶好の金環日食日和だ。我が家は日食観察グッズを買い忘れてしまって、当日の朝起きてから慌てたのだ。さてどうやって見るか? ガラスに煤を付けて観察する方法も考えたのだが、ガラスの欠片を探す時間が無い。ふと・・昔現像したスライドフィルムの端(未露光部分)が濃い暗色である事に思い当たった。これが利用できる! 大量にストックしてある作品写真ファイルの中から、何枚かの未現像部を捜して太陽を見てみた。1枚では未だ眩しすぎる。2〜3枚重ねで太陽を透視すれば、肉眼でもカメラでも使える事が分かった。歴史的天体ショーの写真が撮れた。日食時に肉眼で見る事ができると思っていたのだが、人間の目は自動露光になっているのだ。太陽が隠れて暗くなったらオートマチックに瞳孔が開くから、やはり金環日食を直に見る事はできないのだ。金環の光は、風景の趣を変えた。昼間の光じゃないし、朝夕の光景でもない。太陽からの直射光量が激減した光景なのだ。日食後半に、台所に下りてロールカーテンに映った庭木の影を見た。何時もの影じゃなかった。
ウイングSaint Boswells から車で西に1時間半走って、river Clyde の中上流域に着いた。もちろん Jake 達と釣行するために、朝早く起きて彼の車に同乗してやって来たのだ。今日は、昨年のスコットランド代表のフィッシング・チームメンバー4人と釣行することになっているらしい。river Clyde はスコットランド中央部から大西洋側に流れる川で、特別綺麗なブラウントラウトが生息する川らしいのだ。未だちょっとばかり時期尚早で、魚が活発にライズ(水面に流れる虫を食う)するに至っていない。況してや今日の天候は、寒くて風が強いときたから尚更フライフィッシングには難しい状況になる。ハードな状況は明らかなのだが、釣り好きは横殴りの雨や、台風が来ていても出掛けるから、チョコッと寒くて風がかなり強いなんて、彼等には屁でもないのだ。案の定午前中は、私がウエットフライで一匹掛けてフックアウトしたというのが唯一の魚っけだった。弁当のサンドイッチをつまんでから、連中はバラバラに行動し初めてた。是が非でも一匹は釣りたいという闘志を露わに、自分の経験と勘で川を読み、魚をゲットする釣りに変わった。私は、どちらかというとノンビリと釣りを楽しみしたい派で、風景を眺めながら釣り糸を流すという普段の釣り方を継続した。フライを流しながら、川を下っていると、左岸に白い巨大棒の様なオブジェを積んだトレーラーが見えてきた・・・。一体何を積んでいるんだ? 巨大な白い棒がトレーラーの荷台を遥かに超えながら横たわっているのだ。(写真)それは何処かで見た様な形だが、何の形だか思い出せない。棒の太い側の端が丸い形をして、反対の端が緩やかに削った形であることが分かってきた。なんだ??私の脳に蓄積されている形状記憶をくまなく辿りながら、ハッと気付いた。発電風車の羽根! 間違いない、これは風車の羽根だ!! それにしても何と大きな羽根なんだ!!一枚が優に50メーターはある。こいつを組み上げると、直径100メーターの風車が出来るわけか。直径が60メーター級の風車にはお目に掛かるが、100メーター以上の風車はお目にかかったことはない。だからシャッターを切ったのだ。これが組み上がるとスゴイだろうなあ。日本の電力事情は、福島第一原発原事故以来、原子力発依から脱却しようともがいているのだが、もちろん私も原発依存からの脱却に大賛成になのだが・・・。こんな風車があったら力強いと思った。この規模の風車を数百機設置すれば、日本の電力事情も変わると思った。ワイワイガヤガヤと何時までも原発の是非論を続けるのも実に日本的かも知れないけど、さっさとこんな風車を数百基設置した方がいいんじゃないの。
寒い日今年は近年になく寒い日が続いているような気がしているのだが、ひと昔前の事を思い起こすと、実はもっと寒い日があったような記憶がある。マイナス9度〜10度、明野に住んでいた頃の家の水洗トイレが凍って、一日中使い物にならなかった日もあったし、居間にあるダルマストーブの上で蒸気を噴いていた薬罐の水が、朝には氷の塊になっているのが普通だった。夕方アトリエから帰る時間帯には、何時もマイナス3度〜4度。石の上に水をまくと瞬時に凍っていた記憶もある。近年の最低気温よりも3〜4度は低い日が普通に続いていたのだ。温暖化しつつある近年の気温に慣れてしまったから、今年の冬は寒いと感じてしまう。確かに、我が家の給湯システムも凍って午前中使い物にならなかった日もあったし、写真のように池が全面結氷したのだが、嘗ては結氷した池の上を人が歩けたんだと思う。久しぶりに池が氷に被われて、飛来する鴨や鷺が氷の上をツルツル滑りながら、寒い冬を楽しんでいたようだ。冬の気温がマイナス20度以下になると、みんな口々に「今年はいい冬だ」と言うんだそうな。マイナス15度は、締まりのない冬らしい。アメリカのミネソタ辺りでは。
2012.8月
真鶴とBBQ
2012年8月30日、JBDの学生達と石彫の教授と連れ立って、真鶴の亀川石材に石選びに同行した。
残暑厳しい中で大小の小松石を選び、その後で石切場見学だ。嘗ては、二十歳そこそこの若い女性群が35度を超す炎天下で、荒々しい石切場に立つ事はほとんど無かったと思うのだが、近年の女性軍は強しなのだ。ポーズを取る余裕さえある。写真は石切場での一枚だ。亀川さんも普段以上にニコニコしているかも。
真鶴港で海鮮の定食に舌鼓を打ってから、一同は伊豆半島の付け根から東京を跨いで茨城のつくばに向かう。今夜のバーベキューのために、我が家に急行するのだ。いやはやの強行軍である。伊豆から東京を超えるのは午後4時を過ぎると大渋滞が予想されるから、ナベさん(教授)車と私の車とでカーチェイス擬きで飛ばして来た。
なんとか6時前に我が家に到着、我が家では上さんが食材の準備をしていて、私はバーベキューのシチュエーションと炭起こしを担当した。学生連は台所から外へ食材運びと酒の準備である。夕方からつくば市に住んでいる鈴木先生も加わって、総勢10人の賑やかなBBQになった。これだけの人数を賄うにはBBQがベスト。とはいうものの金網が2枚乗る程の炭場も、10人の箸を前にしたら焼けるのを待たねばならない状況だ。酒も進むし食材もバンバン消えてゆく。
後半になって焼きうどんの準備に掛かった。60cm大の鉄板に油を引いてと・・・・、ちょっと油の量が多かったから、煮える油をティッシュの束で吸い取ろうと酔った手で行動に出た。少しの酔いが状況の判断を狂わし、煮えた油をバシャッと右手に掛けてしまったのだ。熱いってもんじゃない。その後3時間、火傷部分を冷水で冷やしたのだが、結局は1週間の通院と、作品制作の中断を余儀なくされてしまった。でも学生さんが火傷しなくて本当に良かったと思いながら、個人的には去年の骨折に続いての右手の薬指絡み、雨引観音にお参りして厄をはらうことにした。
我が家では、毎週のように若者がBBQをやってる気がする。こんなワイワイガヤガヤのバーベキューを通じてさえも、この元気ある若者達が、人生を張って本気で遊べるモノを見付けて欲しいと思っている。それが美術であってもいいし、美術じゃなくてもいい、どうせやるなら何事にも人生を掛けて本気でやる。中途半端は誰にでも出来るけど、人生掛けて本気で遊ぶ奴はほとんど居ない。ましてや美術はそうそう金になるもんじゃないからこそ、本気で遊ぶ勇気と行動力が必要なんだ。中途半端に人生を費やすなよ!人生総てが中途半端になるぞ!!若者。
翌朝、我が家の駐車場がイッパイになっている風景を写真に撮る。トラックも含めて大小5台の車が整然と駐まって、未だ少し余裕がある。よくまあこんなに駐められたものだよ。普段は私と上さんの車の出入りで手一杯だと思っていたのに、意外とスペースはあるものだ。
やっぱり住むのは田舎がいいと今更ながら思っている。
車の背後に見えるプレハブは、私の簡単な作業場として利用している離れだが、夏は暑くてほとんど使わない。
2012.7月
夏の暑さの中で
2012年7月も終わりに近い日、久しぶりに我が家でバーベキューをやった。1年ぶりになるか? JB大とG大の院・博士を修了した教え子達が4人来ての囂しい宴会になった。
昼間は35度を超す、火に掛けたフライパンの様な中での制作で溶けかけた蝋燭の様に体力を消耗するが、夜になると30度前後になって少しばかり涼しくなる。30度が涼しいなんて日本ならではである。
よく冷えたビールを呷りながら、炭火の上で焦げ目が適度に付いた食材をほおばる。口休めに取り止めの無い雑談の花が咲く。若者は元気だ。60を過ぎても、奴らには引けを取らない自信だけはあるのだが、さすがに11時を過ぎると隣近所への遠慮が先に立って、声のトーンを落としている自分が居る。当たり前だよ歳には関係ない。
結局11時半前には総てを片付けて家の中に入った。ここから焼酎を飲み直して、美女達を就寝させたのが2時。私も酔っぱらったかも。
JB大の石専攻では毎週金曜日の昼食を、石埃にまみれた石場の片隅で作っている。数ヶ月前には私もスコットランドで習ってきたグリーンスープを10人前程披露した。
石場の関係者は、学生・教員・助手を含めると15人程いて、ほぼ毎月1〜2回のペースで何らかのお祝い日が廻ってくる計算になる。このお祝い会をフライデイズランチの中で催すのだ。お祝い会は、決まって趣向を凝らした料理や手作りケーキが作業台の上を賑わしている。
先月は私の誕生会があって、あんこと黄粉の亀おはぎが出てきた。
写真下は、博士過程の学生(ハイジ)が2年ほどインドに留学するという事で、その追い出し豚汁ランチである。このくそ暑い時になぜ豚汁か? 理由は簡単で、彼女のリクエストらしいのだ。食後に、ニックネームのハイジ改め豚汁ちゃんになったのは必然というもの。
ケーキの写真は、院の学生の誕生会の手作りプリンケーキである。添えてある文字や四角い飾りは羊羹でできていて、彼女の作品を彷彿させるような形と無数の孔が空けてある。何とも微笑ましいアイデアケーキである。
食は場を和ませる。ともするとハードで硬派なイメージの石場なのだが、このフライデイズランチや手作りスイーツが、学生達の関係を和ませている。たまに他学科の先生や学生達も食いに来る。知る人ぞ知る、JB大の密かなエポックメーキングになっているのだ。
2012.5月
新しいタイヤ
2012年5月、何年ぶりになるのか忘れてしまった頃、私の車に新しいタイヤを4本買った。
新しい靴を、初めて履いた時の様に、気分は「ルンルン」になる。
私の車は、もうすぐ地球を10周(40万キロ)する。今更新しいタイヤを買っても、果たして最後まで車が動いてるかどうか? だから新しいタイヤを買いたくなかったのだが、どこの中古タイヤ市場を捜しても、私の車に合うサイズのタイヤは見つからない。
去年12月に買った中古のスタッドレスは、未だ溝が十分に残っていて、今年の冬もスタッドレスとして使えそうだから、夏履くには勿体ない。だから普段のタイヤに替えようと捜していたが、結局中古は出てこなかった。
車は古くても、新しいタイヤを履くのはいい。次回また夏冬とも履き替えたくなる頃には、地球を13周はしているはずだ。
2012.5月
金環日食
2012年5月21日、朝7時半。
危ぶまれていた空模様も、つくばの東の空は晴れ間が見えていて、絶好の金環日食日和だ。
我が家は日食観察グッズを買い忘れてしまって、当日の朝起きてから慌てたのだ。さてどうやって見るか? ガラスに煤を付けて観察する方法も考えたのだが、ガラスの欠片を探す時間が無い。ふと・・昔現像したスライドフィルムの端(未露光部分)が濃い暗色である事に思い当たった。これが利用できる! 大量にストックしてある作品写真ファイルの中から、何枚かの未現像部を捜して太陽を見てみた。1枚では未だ眩しすぎる。2〜3枚重ねで太陽を透視すれば、肉眼でもカメラでも使える事が分かった。
歴史的天体ショーの写真が撮れた。
日食時に肉眼で見る事ができると思っていたのだが、人間の目は自動露光になっているのだ。太陽が隠れて暗くなったらオートマチックに瞳孔が開くから、やはり金環日食を直に見る事はできないのだ。
金環の光は、風景の趣を変えた。昼間の光じゃないし、朝夕の光景でもない。太陽からの直射光量が激減した光景なのだ。
日食後半に、台所に下りてロールカーテンに映った庭木の影を見た。何時もの影じゃなかった。
2012.4月
ウイング
Saint Boswells から車で西に1時間半走って、river Clyde の中上流域に着いた。
もちろん Jake 達と釣行するために、朝早く起きて彼の車に同乗してやって来たのだ。今日は、昨年のスコットランド代表のフィッシング・チームメンバー4人と釣行することになっているらしい。
river Clyde はスコットランド中央部から大西洋側に流れる川で、特別綺麗なブラウントラウトが生息する川らしいのだ。未だちょっとばかり時期尚早で、魚が活発にライズ(水面に流れる虫を食う)するに至っていない。況してや今日の天候は、寒くて風が強いときたから尚更フライフィッシングには難しい状況になる。ハードな状況は明らかなのだが、釣り好きは横殴りの雨や、台風が来ていても出掛けるから、チョコッと寒くて風がかなり強いなんて、彼等には屁でもないのだ。
案の定午前中は、私がウエットフライで一匹掛けてフックアウトしたというのが唯一の魚っけだった。
弁当のサンドイッチをつまんでから、連中はバラバラに行動し初めてた。是が非でも一匹は釣りたいという闘志を露わに、自分の経験と勘で川を読み、魚をゲットする釣りに変わった。
私は、どちらかというとノンビリと釣りを楽しみしたい派で、風景を眺めながら釣り糸を流すという普段の釣り方を継続した。
フライを流しながら、川を下っていると、左岸に白い巨大棒の様なオブジェを積んだトレーラーが見えてきた・・・。一体何を積んでいるんだ? 巨大な白い棒がトレーラーの荷台を遥かに超えながら横たわっているのだ。(写真)
それは何処かで見た様な形だが、何の形だか思い出せない。棒の太い側の端が丸い形をして、反対の端が緩やかに削った形であることが分かってきた。なんだ??
私の脳に蓄積されている形状記憶をくまなく辿りながら、ハッと気付いた。発電風車の羽根! 間違いない、これは風車の羽根だ!! それにしても何と大きな羽根なんだ!!一枚が優に50メーターはある。こいつを組み上げると、直径100メーターの風車が出来るわけか。直径が60メーター級の風車にはお目に掛かるが、100メーター以上の風車はお目にかかったことはない。だからシャッターを切ったのだ。これが組み上がるとスゴイだろうなあ。
日本の電力事情は、福島第一原発原事故以来、原子力発依から脱却しようともがいているのだが、もちろん私も原発依存からの脱却に大賛成になのだが・・・。
こんな風車があったら力強いと思った。この規模の風車を数百機設置すれば、日本の電力事情も変わると思った。
ワイワイガヤガヤと何時までも原発の是非論を続けるのも実に日本的かも知れないけど、さっさとこんな風車を数百基設置した方がいいんじゃないの。
2012.3月
寒い日
今年は近年になく寒い日が続いているような気がしているのだが、ひと昔前の事を思い起こすと、実はもっと寒い日があったような記憶がある。マイナス9度〜10度、明野に住んでいた頃の家の水洗トイレが凍って、一日中使い物にならなかった日もあったし、居間にあるダルマストーブの上で蒸気を噴いていた薬罐の水が、朝には氷の塊になっているのが普通だった。夕方アトリエから帰る時間帯には、何時もマイナス3度〜4度。石の上に水をまくと瞬時に凍っていた記憶もある。
近年の最低気温よりも3〜4度は低い日が普通に続いていたのだ。
温暖化しつつある近年の気温に慣れてしまったから、今年の冬は寒いと感じてしまう。確かに、我が家の給湯システムも凍って午前中使い物にならなかった日もあったし、写真のように池が全面結氷したのだが、嘗ては結氷した池の上を人が歩けたんだと思う。久しぶりに池が氷に被われて、飛来する鴨や鷺が氷の上をツルツル滑りながら、寒い冬を楽しんでいたようだ。
冬の気温がマイナス20度以下になると、みんな口々に「今年はいい冬だ」と言うんだそうな。マイナス15度は、締まりのない冬らしい。アメリカのミネソタ辺りでは。