2008.10月

展覧会ラッシュ
9月28日から「雨引の里と彫刻 2008」の展覧会が始まり、この10月26日から「ニュータウン☆パラダイス」展が始まる。双方とも野外に展示するのだが・・・・、

忙しくて、ここまで書いて後が続かなかった。
ごめんなさい。

2008.8月

暑い夏
昔から夏は暑いという事で相場が決まってるんだけど、今年の夏はスチームバスのように蒸し暑い。
つくば市から桜川市界隈にかけては、このところの平均気温が35度前後で気温はそこそこなのだが、とにかく湿度は高い。
そう言えば先日見た週刊誌上に、日本の夏はまだまだ生温い、という椎名誠さんのエッセイがあった。東南アジアとかアフリカの砂漠地帯の夏を経験したら、日本の夏の熱気や湿気なんて温めの温泉のようなものらしい。
そういえば、2003年ヨーロッパを熱波が襲った時に(各地で死者が続出したのだが)、私はドイツで野外作品の制作をしていた。気温は確かに連日42〜43度だった。しかし何があっても作品を完成させなければという責任感と使命感があって、暑いの何のと宣ってる暇も余裕もなく、炎天下の制作に明け、ビールとシュナップスで暮れた記憶がある。結果的に帰国した時の私の顔と手は、石焼き栗の殻ような色になっていたらしい。
今年の夏の暑さ程度で鍋底に残ったカレールーの様にブツブツたぎってたら、あっという間に焦げ付いてしまう。これから温暖化が顕著になってくる地球を渡っていけないのだ。要は気の持ち方次第。
Hiroshima summer
ここ一週間ほど広島に居た。昼間の太陽はジリジリと照りつけ、暑いというよりも痛いという表現が似合う。夕暮れ時にはマッタリとした凪が来る。
アスファルトに油を引けば、エビフライの出来そうな街中を闊歩して、好物のお好み焼きを食べに行くのだが、お好み焼き屋の鉄板の方が涼しく見えたほどだ。
故郷に帰ると、物理的に仕事場から遙かに遠ざかる。制作途中の作品がどんなに気になっても、遠く離れてはどうする事もできない。台風の目の中で名月を仰ぎ見る時の様に、日々の興奮と現実の緊張からポカッと解放されるのだ。どんなに暑くても忙しくても気張る必要がない。ゆっくりとオリンピックのテレビ中継を楽しんだし、山間のアマゴが釣れる渓流で水遊びも楽しんだのだ。
豪勢なバカンスを持つほどの余裕はないが、私なりの些細な夏で短い息抜きだった。そして、また日常に帰ってきた。地方都市の市街地から、田園風景の広がる田舎に帰ってきたのだ。制作が待っている。

2008.5月

亀石の回収
現在、World Turtle Project:"Volume of Lives - Vol.1" と " - Vol.2" の石の回収を行っています。
"Volume of Lives - Vol.1" と " - Vol.2" は、ワールド・タートル・プロジェクトの一つで、私が一個の石を数十個の破片に割って、その破片をプロジェクト参加希望者に送ります。石を持ったコラボレーターは一定期間、石を側に置いて生活します。石は色や形の微妙な変化として、その人との人生と時間とを記憶します。そして5〜6年後にその石を回収し、元の石の塊に戻すというプロジェクトです。
2002年にコラボレーターの方々に届けた石を、6年後の今、回収している訳です。

6年間、過ぎてしまえばアッという間に感じてしまうのですが、でもやはり短い期間じゃないのです。
嘗て学生だった人は社会人になって、当時大失恋していた人に今では子供さんが居たり、逆に大切な人と別れて独り立ちされていたり、バリバリの企業戦士だった人が定年退職されていたり、還暦を迎えられていた方にお孫さんができたり、そこには様々な6年間の人生があるのです。私もご多分に漏れず、離婚と再婚を経験したのですが・・・。
"Vol.1" と "Vol.2" とで150人近くのコラボレーターがいます。中には、引っ越しで石を無くされた人や、6年前はこのプロジェクトに参加することを望まれて石を送ったけど、その後石に興味を無くされたのか、全く行方知れずになってしまってコンタクトが取れない状態の人も何人かいます。150人の人生と関わるこのプロジェクトは、様々な状況が存在するのです。
先日、石の回収インフォメーションを、メール組とハガキ組に分けてコラボレーターの方々に再送したのです。
その翌日のに、一人の若いコラボレーターの携帯メールから返信を受け取りました。それは彼女のお父さんからのメールでした。「英美の父です。お世話になりました。石は72番でしょうか これであればお送りします。」というメールでした。早速その旨を伝え、英美さんはいかがされたのでしょうか?差し支えなければお知らせください、という内容のメールを返信しました。翌日、再度お父さんからメールが届きました。「英美は3月30日に他界しました。生前はお世話になりました。」と書いてありました。
ショックでした・・・。私は直接お会いした事はないのだけれど、英美さんに石を送った時(5年半前)は未だ学生さんだった事を記憶しています。その後大学院を卒業され社会人となって、今年の3月28日、下関美術館での展覧会で、大きな作品を展示された直後の出来事だったようです。
数日後、英美さんのご両親から彼女が最後の5年半を共に過ごした小さな石が送られてきました。
その石を手に取った時、涙が止まりませんでした。

PS:英美さんの親友だった千夏さん(彼女も同プロジェクトのコラボレーター)からメールが来て、「6月8日に石を元の塊に戻す時、英美と一緒に元の石に戻します。」と書いてありました。

2008.2月

同窓会
久々に高校の関東在住同窓会に出席した。
reunion最近、同世代の輩と飲む機会がなくて、最初は少々緊張気味だったのだが、酒が入れば何処でも誰でも同じ。ワイワイガヤガヤと昔話や近況報告の仲間入りをして楽しく賑やかだった。
出身高校は広島市内にあって、結構な受験校だったのだが、私は美術を目指し始めてからというもの限りなく落ちこぼれに近くて、先生には何時も無視されていた記憶がある。写真の仲間達は優秀な連中ばかりで、今の日本を引っ張ってきた連中なのだ。
さてさてここに来て、定年の話があちこちから聞こえてきて、そう言えば私も同年代、通常なら60歳の定年まで数年しか残していない事になる。彫刻家という有名無実の肩書きしかない者としては、南極基地での日常を聞いているようなもので、定年なんて考えた事もないし日常会話の隅っこにも出てこない話題なのだ。自分のやっている事と、やりたい事と、これからやらなきゃならない事とが何時も同じ堪忍袋の中でゴチャゴチャになって蠢いていたから、今更ながら新調するような新しい袋の材料さえも残っていないのだ。幸か不幸かそんな単純な処方箋で生きて来れたんで、もはや死ぬまでこの袋しかないと思っている。

引率されるツアー観光の記念写真の様に、写真の後でトルコ国旗がはためいているのだが、トルコからの団体ツアー、もしくはトルコ観光への結団式でもない。今夜の同窓会が新宿のトルコ料理屋さんだったのだ。


Copyright © Atsuo Okamoto