Saint Paulへ再び9月5日から8日間、ミネソタ州セイントポール/ミネアポリス訪問。(近況報告の続き)ーーー五大湖畔で見付けた完璧なモノ、それは赤茶けた一個の石です。ゴロンとした普通の一個の石の塊です。大小の玉石が広がった湖岸を散策している時に目が止まってテレビカメラのズーミングの様に引きつけられてしまったのです。この宇宙の広がり中で、一個の存在としてのパーフェクトな形。ジオメトリックな球は理論上の完璧なフォルムなのですが、現実的な地平から見ると、存在としての完璧な形態は球じゃない。卵の様にも見えるけど、動物の卵じゃない。それは理論上の計算では不可能なもの、実にこの一個の石の存在と形態なのです。持って帰るにゃ少し大きすぎて一度は諦めたのですが、どうしても気になって、また湖岸に引き返し、旅行鞄の奥に包み込んで日本まで持て帰って来ました。今は家の仕事机の上で、「これが宇宙という存在なんだ!」と主張しています。去年ミシシッピー川の上流にポットホールを見に行った事があるのです。ポットホールとは、岩盤が水で削られていく段階で、一個の岩石が一寸した凹みに入り込み、水流でその凹みの中でゴロゴロと転がりながら、長い年月を掛けて回りの岩盤を削っていって、深い穴が開いたものを言うのですが、その穴の大きさは、大きいもので直径20メーター深さ20〜30メーターというものもある。河岸の岩盤に大小のポットホールが点在するのですが、私が超感動したのはその中にあった石、ゴロゴロと転がって回りの石を削りながら自らを削っていった石なのです。これも完璧な形態を持っているのでした。科学的には球体に近いけど球じゃない。観念上の完璧な形として、全ての物質の有り様の原点としての形。正に1個の宇宙、1個の星でした。これも写真を撮っては来たのですが、写真じゃその完璧な存在性は表現出来ないのです。皆さんの脳裏にしか描けない形です。
真夏の宴会8月8日から8日間、松山-宇部-広島と巡っている。真夏の高気圧の影響で、昼間はフライパンを焦がすような日差しだ。松山では作品の搬入をして、宇部では友人の作品の設置と自分の作品2点の移設をした。故郷の広島は、お盆も兼ねての滞在である。昼間の熱波は苦痛に近いのだが、日が落ちてからの生ビールが脳を活性化させる。宇部での肉体労働の後の生ビール。作品の設置・移設を担当して下さったお三方に、瀬戸内の味と酒の店に連れて行っていただいた。生ダコ石焼きが有名な店で、焼けた石の上に刻みネギのかかった生ダコを乗っけて焼くのだ。生ダコはイマイチ好みじゃないのだが、これは正に絶品。香ばしくて歯ごたえもあって今まで味わったことのない旨さである。写真はお店でのスナップ。皆さん日に焼けて掌の白さが目立つのだ。広島に着いてから翌々日、小学校の同窓会があった。関連記事は、ただの雑談/おもかげ、嘗ての級友と日が変わる頃まで歌を聴きながら飲んだのだ。その翌日、広島市立大の院生連中との飲み会があった。今年から同大院の非常勤講師を止めたから、広島に帰ってきても学生の顔を見ることはほとんど無かったのだが、冷たい生ビールを手にしながら、久しぶりに彼等の顔を見た。学校の外で話すのも悪くない。彼等のエネルギーに満ちた話を聞き、私の経験してきたことの中から役立ちそうな話もしたし馬鹿な話もした。学校での授業とは違って、宴席での会話はざっくばらんになれるから面白いのだ。彼らの情熱を感じながら、同時に私の脳も活性化してくるわけだ。去年までなら夜中まで付き合ったのだが、今は良識ある社会人として先輩としての付き合いだから、ちゃんと11時前には引き上げたのだ。若者は飲み足りない様子だったけど・・・。おそらく2次会に行ったんじゃないかなあ。
山形新幹線6月中旬、東北芸術工科大学で半日ほどの講義をすることになって、その当日に宇都宮に車を駐めて、東北/山形新幹線に乗って山形市に向った。東北新幹線は何回か乗ったことがあるのだが、かなりスピードアップしたように感じる。宇都宮から福島までは高架路線を猛スピードで突っ走り、尻の位置を変える間もなく、あっという間に福島に着いてしまった。福島駅で仙台に向かう電車と山形に向かう電車を分離する。ここから山形方面は私にとって未踏の地、初めて電車に乗った子供のようにワクワクするのだが、それを表情に出さないように気をつけながら、新たな風景を眺めるのだ。電車は山形に向かう線路へと進入し、大きく左にカーブしながら、車で首都高速を降りる時のように高架路線から地上へと降りていく。先程までは風景を見下ろしていたのだが、そのうち民家の屋根ほどの高さになり、そして遂に民家の軒先を通り過ぎるているのだ。ぇ!今通り過ぎたのは踏切!!。新幹線に遮断機踏切がある。小学生が新幹線の通り過ぎるのを待っているのが見えた。そして小さな駅を通過する。プラットフォームで電車を待っている人々の前をゆっくりと進のだ。車内の風景はは間違いなく新幹線で、先程までは時速300kmで突っ走っていたはずなのだが、今は普通電車の行き交う在来線の快速もどきになってしまった! オヨヨ電車は曲がりくねった線路をトレースしながら煤でくすんだトンネルをぬけて、山の中腹を走り始めた。風景は緑一色になり、茂った樹木の葉は窓が開けば手が届きそうである。ハイソな西洋料理屋でマナーに気を付けながらメインディッシュをいただいていたら、いつの間にか混み合う立ち食いソバ屋だったような気分である。実はこの蕎麦がまた旨いんだ。そういえば新幹線の線路幅は広軌で在来線は狭軌のはずなのだが・・・、と言うことは福島までは広軌で来て、そこから先は狭い線路幅の上を走っているはずなのだ。山形新幹線は車輪幅の違う二種類の車輪を内蔵していることになる。いつの時点で車輪を変えたのか全く分からなかった。手品師の前で、自分の握っているスペードのトランプが、全く気付かないうちにハートに変わっていた様な・・・。その昔、一粒で二度美味しいというチョコレートのコマーシャルがあった。どんなチョコレートだったか定かでないのだが、美味しかった記憶がある。山形新幹線も、先を急ぐエリートビジネスマンの気分と、ノンビリとローカル線で旅を楽しむ旅行者になれる。一回で二種類楽しめる贅沢な乗り物だったのだ。そんなことを思っているうちに、山形駅に着いてしまった。これから3時間半の講演が待っている。それに続いて夜の宴会も控えている。そして山形から帰ってきて数日後、なんとあの貴重なサクランボを送っていただいたのだ。正に、一回で三度美味しいスーパーエクセレント山形。
長大な大腸今年に入ってから便秘気味で、お腹をマッサージして便意を催させることを繰り返していたら、ある日血便が出た。こりゃやっぱり!、良性か悪性か分からないけど腸壁に腫瘍ができていて通りが悪いのだという自己診断に達して、重い腰を上げざるを得なくなり病院に行った。問診の後、やはり大腸のファイバー検査をすべきだという医者の診断で、検査日を2週間後に設定された。運良くその日は朝から空いていて、健康診断での大腸検査は2ヶ月待ちだという情報も得ていたので、とにかく即決したのだ。検査日の前日から食事制限に入る。病院から与えられた宇宙食のような、簡素極まるお粥と味噌汁とスープとクッキーで三食を終えなければならない。コーヒーは駄目、ミルクやジュースも駄目、もちろん他の食物やお酒も駄目。お茶と水はOKなんだけど、それだけじゃ物足りないのだ。朝はコーヒーがなければ一日が始まらないし、午後からは悶々と空腹に耐えなければならない。最初っから食料がないのなら、なんとか我慢もし易いのだろうが、目の前に美味しそうな食べ物があって我慢するのは辛いものがある。夜はそれに加えてお酒が恋しくなっるのだ。折しも、雨引の友人の展覧会オープニングがあったんだけど、我慢して行って辛抱して帰ってくる程の強さも勇気も持ち合わせていないことは分かっているから、失礼させてもらった。丸一日一杯のコーヒーも、一滴の酒も飲まなかったのは、高校卒業以来この日が初めてだった。一日の締めくくりに下剤を飲んで早めにベットに入ったのだが、日々のパターンが狂うとなかなか寝付けない。夢うつつで目覚めたら、下剤のせいで下痢下痢だった。でも便秘するより嬉しいのだ。検査当日、もちろん朝から何も食べてはいけないし、もちろんタバコも駄目。10時に病院に行って、ニフレックという大腸洗浄剤を2時間掛けて2リトル飲む。最初の一杯目はさほど苦労しないで飲めるのだが、2杯目以降が徐々に辛くなってくる。バリュームよりましだと思う事で気を紛らわせながら飲み続ける。その頃には便所との往復になる。最後には透き通った水(洗浄剤)が出始めるんだけど、お尻からオシッコが出るという変な感じかなあ。オシッコは尿道から出て初めて液体が出てるという感じが掴めるんだけど、逆に肛門からは固体物が出ないと排泄しているという感じがしないということが分かった。餅は餅屋なんだな〜と、変なところで感心したりして。午後3時から、いよいよファイバー検査である。特別の衣服とパンツに着替えて、緊張の中で手術台に上がる。ネットで色々と調べたところに因ると、相当に痛いこともありそうだ。最初に肛門の中にオイルを塗ったらしいのだが、いきなりググッと入ってきた。痛みは感じない。グングン入る感じはあるが、依然として痛みはない。腸の中でモコモコと動くモノが段々と這い上がってくる感じかなあ。ポリープは何処に?と、私もモニターを覗きながら、エイリアンが這い上がる違和感に耐えている。そのうち胃の下の方に違和感を感じるようになるのだが、まだ奥に入ろうとする。何処まで入れるんだ?と、その頃から下腹部全体に鈍痛が襲って来始めた。イテテテ、と思わず体が仰け反る。診療している先生曰く、「岡本さんの大腸は相当に長く蛇行しているんですよ。ファイバーを目一杯入れても最後まで届かないですねえ。でも見たところ届く範囲はきれいです。ここから先はバリュウム挿入のレントゲン検査しかありませんね」だって。差し当たり、ファイバーの届く範囲はきれいだということが分かった。便秘は腸の異常な長さから来ているらしいということも分かった。結果として、ファイバーでの摘出手術無しに検査は終了したのだ。今まで3ヶ月間の不安と心痛は無くなった。ひとまず胸を撫で下ろしたのだが、はて?俺の大腸は一体どれくらいあるんだ?という疑問が残る。通常は1.3m〜1.5m位らしいのだが、俺の大腸は2m以上あるのかも知れないなあ。私は根っからの原始人?いや草食動物?。私のような長い腸を持った者(草食動物)が肉を食べると、長い消化器の途中で、肉に付いている雑菌のために肉が腐敗するんだそうな。それが癌の原因になるとか。腸の短い外人さんは肉を食べても直ぐに出るから問題無いらしい。俺は完璧に東洋人の草食動物なのだな。だから平和主義者なんだということが改めて分かった。そんなことよりも、今夜からまたご飯が食べられるのが嬉しいし、酒が飲めるのが嬉しい。そういえば、実は・・・この記事、もはや飲みながら書いていたのだった。
花見会2007恒例の花見会が今年も盛大に挙行された。今年の冬は超暖冬だった。そのせいか、待ち遠しかった春が、淡いピンク色になって一気に爆発したような衝撃的感動は無いのだが、やはり日本の桜は何時見てもいいもんだ。気象庁の開花予想がチト読み間違えて、今年の開花は相当に早いということだったから満開も早いと踏んでいたのだが、未だ六分咲きだった。連続ドラマの最終回を次週に残して、酒を片手に見入っているといったところかなあ。団子の方は、手料理をそれぞれが一品持ち込むという会だから、参加人数分のメニュー品目が出揃うわけで、超豪勢な宴会になることは必至。これがまた手によりを掛けた逸品だから、正に花より団子なのだ。午後1時開宴で、ガンガン食べて飲んで、日が落ちる頃までにはサッとお開きになった。君子たる者、引き際が肝心なのと、田舎においては周囲100メートルは自分ちの庭という感覚だから、御近所の庭の様な場所での宴会は程々にしなければならないのだ。ましてやそれが小学校の隣なんだから夜桜会は無し。場所を村井邸に移しての宴会になった。私は翌日の事があって、8時前には引き上げたのだが、村井邸の居残り組は、午後1時から換算して、延べ12〜13時間は宴会を続けたんじゃないかなあ。やっぱり宴会となると、みんなタフだよ。翌日JB大の学生7人が、石切場見学と石の購入のためにやってきた。曇って湿気を含んだ雲が加波山の山頂付近までどんよりと低く降りてきていて、飽和状態になった雲から今にも雨滴があふれてきそうなのだが、何とか数カ所の石切場に上がって必要な石を選ぶ事が出来た。夕方に山を下りる頃から、案の定、辛抱しきれなくなった雲が霧のような細かい雨滴を零し始めた。この分じゃ我が家でのバーベキュー夜桜会は中止せざるを得ない。我が家に面した白水湖の水際に何本かの桜の古木があって、毎年ここにも花は有るぞと密かに咲くのだが、それを密かに愛でる会をやろうと思っていたのだ。仕方なく家の中での花無し宴会に変更した。明け方までワイワイガヤガヤと盛り上がったのだが、ふと・・・若者には花は要らないなと思った。若さ自体が花なんだから。
アニマルママさん数ヶ月前だったか、古くからの友人(私が勝手に友人だと言わせて頂いているのだが)から初めてメールを受け取った。はや20年近くお会いしていないのだが、横浜から熊本に引っ越したという連絡はもらっていた。昔から動物が大好きで、かつては野良猫を数十匹も面倒見ていたのは知ってる。熊本に行ってから全く音沙汰なくて、彼女がどんな生活をしているのか全く知る由もなかったのだが、そのメールに彼女のブログのアドレスが記してあったので、訪問させていただいた。彼女は嘗ての優しい心を持ち続けていることが分かった。と同時に彼女の心の中にある、総ての生命への執拗な哀れみと憧れを読み取ることが出来た気がしている。常人で出来る事じゃない。人間のエゴを捨て切った先に、彼女の人生は総ての生命と共にある。本当に半端じゃない。ブログWeb名 "アニマルママ"さん。もし出来るなら、彼女のブログサイトにアクセスしてみて下さい。心ある人なら何をか感じるんじゃないかと思います。"mixi"のブログサイトだから、彼女のサイトに行くためには、"mixi"に登録する必要があるようです。私も"mixi"のサイトを持ってはいますが、根っからが無精なもんで、自分が勝手に運営するこのwebsite に、気ままに書き込むのが似合っていると思っているから、"mixi"に登録以来、"mixi"の中の自分のサイトには全く書き込まないから閑散としているのですが。でも他の方達のサイトを見ることは出来る。下記にアニマルママさんのページに飛ぶチェーンを作っておきます。このブログに登録されていない方で、彼女に興味があって、彼女のサイトを訪れてみたい方はご連絡下さい。私の友人としてブログ登録の紹介をいたします。アニマルママさんのブログ
アンジェラ・アキ今月の始め、インターネットサイトでCDを買った。ここ10年来音楽CDは、年に1枚買うか買わないかという頻度なのだが、最近アンジェラ・アキに魅せられてしまって、彼女の'Home'というアルバムを手に入れたのだ。流行の音楽情報には、殻に隠ったカタツムリのように頑なに疎くて、近年の歌手やアーチストは、ほとんど知らない。去年の紅白歌合戦でアンジェラ・アキを初めて知った。芸能人歌手が横行する番組の中で、こいつ真剣ジャンか、悪くないぞと思ったのが切っ掛けである。嘗て中島みゆきが世に出てきた時のような、新鮮な衝撃を感じたのだ。DCを買ってから毎日聞いているのだが、不思議と飽きない。益々もって彼女の透き通るような声と優しく緩やかなビブラートに魅せられている。(去年暮れには武道館公演をしたらしいじゃないか。超メジャーなアーチストだったんだ。知らなかったのは俺だけ。フム [4月初旬])
故郷の新年年末年始には一人暮らしのお袋が気がかりで、いつも故郷に帰るようにしている。日が西に傾いてから、お袋が飼っている犬の桃子と、子供の頃に遊んでいた川縁をのんびりと散策した。かつては、堤防の向こうには孟宗竹の竹藪が続いていて、その向こうに広い河原があった。川は冷たくてよく澄んでいた記憶がある。風呂を沸かしたり竈で煮炊きをする薪を拾うために、週に一度はお婆さんと一緒に西の山に登ったものだ。西の山は巨大な象の形をしていて、その北側には、壁の様に見える高い山脈が遙かに連なっている。その山脈の奥深くには、キングコングがいると信じていた。辺りをグルッと見回すと、東側にも南にも重複しながら山々が連なっていて、地理的には盆地じゃないはずなのだが、風景的には完璧に盆地なのだ。視界の形状は昔と変わっていないのだが、昔サッカーボールだと思っていたものがピンポン玉だった様な、視界のスケール感が全く違っている事に気付く。昔は大きくて高い山だと思っていた西の山も、山としては急峻ではあるが、今見ると頂上の木々が一本一本見分けられる程の山なのだ(実際には五百数十メーター)。小学生の頃に遊び回っていた自分のテリトリーも、今歩くと意外に狭いことに気付く。当時は山の稜線が私の住む世界の境界線で、その稜線に囲まれた箱庭的空間が私を取り巻く全ての世界だったのだ。でもその中には、ちゃんと魚はいたし鳥もいたし馬や牛や山羊やカモシカだっていた。電気も通っていたし蛍もいっぱいいた。夕焼けだってちゃんとあったのだ。歳を取るに従って、徐々に広い世界を知るようになった。当たり前の話なのだが、自分が生きるテリトリーも、小学生の頃には想像もできなかった程に広範囲になった。キングコングがいると信じていた山の向こうには、やはり山や川が繋がっていて、そこにも沢山の人が住んでいる事も分かった。そして、そんな大地の繋がりも日本という限りがあり、日本を取り囲んでいる広い海や、その向こうにある大陸にも限界があり、地球そのものにも限界があるということさえ実感している。しかし、いろんな事を知った今でも、私の心の原風景は、この山々に囲まれた空間に在ることに気付く。ここが私の発祥地、原点なのだ。
2007.9月
Saint Paulへ再び
9月5日から8日間、ミネソタ州セイントポール/ミネアポリス訪問。
(近況報告の続き)ーーー五大湖畔で見付けた完璧なモノ、それは赤茶けた一個の石です。ゴロンとした普通の一個の石の塊です。大小の玉石が広がった湖岸を散策している時に目が止まってテレビカメラのズーミングの様に引きつけられてしまったのです。
この宇宙の広がり中で、一個の存在としてのパーフェクトな形。ジオメトリックな球は理論上の完璧なフォルムなのですが、現実的な地平から見ると、存在としての完璧な形態は球じゃない。卵の様にも見えるけど、動物の卵じゃない。それは理論上の計算では不可能なもの、実にこの一個の石の存在と形態なのです。
持って帰るにゃ少し大きすぎて一度は諦めたのですが、どうしても気になって、また湖岸に引き返し、旅行鞄の奥に包み込んで日本まで持て帰って来ました。
今は家の仕事机の上で、「これが宇宙という存在なんだ!」と主張しています。
去年ミシシッピー川の上流にポットホールを見に行った事があるのです。
ポットホールとは、岩盤が水で削られていく段階で、一個の岩石が一寸した凹みに入り込み、水流でその凹みの中でゴロゴロと転がりながら、長い年月を掛けて回りの岩盤を削っていって、深い穴が開いたものを言うのですが、その穴の大きさは、大きいもので直径20メーター深さ20〜30メーターというものもある。河岸の岩盤に大小のポットホールが点在するのですが、私が超感動したのはその中にあった石、ゴロゴロと転がって回りの石を削りながら自らを削っていった石なのです。これも完璧な形態を持っているのでした。
科学的には球体に近いけど球じゃない。観念上の完璧な形として、全ての物質の有り様の原点としての形。正に1個の宇宙、1個の星でした。
これも写真を撮っては来たのですが、写真じゃその完璧な存在性は表現出来ないのです。皆さんの脳裏にしか描けない形です。
2007.8月
真夏の宴会
8月8日から8日間、松山-宇部-広島と巡っている。真夏の高気圧の影響で、昼間はフライパンを焦がすような日差しだ。
松山では作品の搬入をして、宇部では友人の作品の設置と自分の作品2点の移設をした。故郷の広島は、お盆も兼ねての滞在である。
昼間の熱波は苦痛に近いのだが、日が落ちてからの生ビールが脳を活性化させる。
宇部での肉体労働の後の生ビール。
作品の設置・移設を担当して下さったお三方に、瀬戸内の味と酒の店に連れて行っていただいた。生ダコ石焼きが有名な店で、焼けた石の上に刻みネギのかかった生ダコを乗っけて焼くのだ。生ダコはイマイチ好みじゃないのだが、これは正に絶品。香ばしくて歯ごたえもあって今まで味わったことのない旨さである。写真はお店でのスナップ。皆さん日に焼けて掌の白さが目立つのだ。
広島に着いてから翌々日、小学校の同窓会があった。関連記事は、ただの雑談/おもかげ、嘗ての級友と日が変わる頃まで歌を聴きながら飲んだのだ。
その翌日、広島市立大の院生連中との飲み会があった。今年から同大院の非常勤講師を止めたから、広島に帰ってきても学生の顔を見ることはほとんど無かったのだが、冷たい生ビールを手にしながら、久しぶりに彼等の顔を見た。学校の外で話すのも悪くない。彼等のエネルギーに満ちた話を聞き、私の経験してきたことの中から役立ちそうな話もしたし馬鹿な話もした。学校での授業とは違って、宴席での会話はざっくばらんになれるから面白いのだ。彼らの情熱を感じながら、同時に私の脳も活性化してくるわけだ。
去年までなら夜中まで付き合ったのだが、今は良識ある社会人として先輩としての付き合いだから、ちゃんと11時前には引き上げたのだ。若者は飲み足りない様子だったけど・・・。おそらく2次会に行ったんじゃないかなあ。
2007.6月
山形新幹線
6月中旬、東北芸術工科大学で半日ほどの講義をすることになって、その当日に宇都宮に車を駐めて、東北/山形新幹線に乗って山形市に向った。
東北新幹線は何回か乗ったことがあるのだが、かなりスピードアップしたように感じる。宇都宮から福島までは高架路線を猛スピードで突っ走り、尻の位置を変える間もなく、あっという間に福島に着いてしまった。福島駅で仙台に向かう電車と山形に向かう電車を分離する。ここから山形方面は私にとって未踏の地、初めて電車に乗った子供のようにワクワクするのだが、それを表情に出さないように気をつけながら、新たな風景を眺めるのだ。電車は山形に向かう線路へと進入し、大きく左にカーブしながら、車で首都高速を降りる時のように高架路線から地上へと降りていく。先程までは風景を見下ろしていたのだが、そのうち民家の屋根ほどの高さになり、そして遂に民家の軒先を通り過ぎるているのだ。ぇ!今通り過ぎたのは踏切!!。新幹線に遮断機踏切がある。小学生が新幹線の通り過ぎるのを待っているのが見えた。そして小さな駅を通過する。プラットフォームで電車を待っている人々の前をゆっくりと進のだ。
車内の風景はは間違いなく新幹線で、先程までは時速300kmで突っ走っていたはずなのだが、今は普通電車の行き交う在来線の快速もどきになってしまった! オヨヨ
電車は曲がりくねった線路をトレースしながら煤でくすんだトンネルをぬけて、山の中腹を走り始めた。風景は緑一色になり、茂った樹木の葉は窓が開けば手が届きそうである。
ハイソな西洋料理屋でマナーに気を付けながらメインディッシュをいただいていたら、いつの間にか混み合う立ち食いソバ屋だったような気分である。実はこの蕎麦がまた旨いんだ。
そういえば新幹線の線路幅は広軌で在来線は狭軌のはずなのだが・・・、と言うことは福島までは広軌で来て、そこから先は狭い線路幅の上を走っているはずなのだ。山形新幹線は車輪幅の違う二種類の車輪を内蔵していることになる。
いつの時点で車輪を変えたのか全く分からなかった。手品師の前で、自分の握っているスペードのトランプが、全く気付かないうちにハートに変わっていた様な・・・。
その昔、一粒で二度美味しいというチョコレートのコマーシャルがあった。どんなチョコレートだったか定かでないのだが、美味しかった記憶がある。山形新幹線も、先を急ぐエリートビジネスマンの気分と、ノンビリとローカル線で旅を楽しむ旅行者になれる。一回で二種類楽しめる贅沢な乗り物だったのだ。
そんなことを思っているうちに、山形駅に着いてしまった。これから3時間半の講演が待っている。それに続いて夜の宴会も控えている。そして山形から帰ってきて数日後、なんとあの貴重なサクランボを送っていただいたのだ。
正に、一回で三度美味しいスーパーエクセレント山形。
2007.5月-吉日
長大な大腸
今年に入ってから便秘気味で、お腹をマッサージして便意を催させることを繰り返していたら、ある日血便が出た。
こりゃやっぱり!、良性か悪性か分からないけど腸壁に腫瘍ができていて通りが悪いのだという自己診断に達して、重い腰を上げざるを得なくなり病院に行った。
問診の後、やはり大腸のファイバー検査をすべきだという医者の診断で、検査日を2週間後に設定された。運良くその日は朝から空いていて、健康診断での大腸検査は2ヶ月待ちだという情報も得ていたので、とにかく即決したのだ。
検査日の前日から食事制限に入る。病院から与えられた宇宙食のような、簡素極まるお粥と味噌汁とスープとクッキーで三食を終えなければならない。コーヒーは駄目、ミルクやジュースも駄目、もちろん他の食物やお酒も駄目。お茶と水はOKなんだけど、それだけじゃ物足りないのだ。朝はコーヒーがなければ一日が始まらないし、午後からは悶々と空腹に耐えなければならない。最初っから食料がないのなら、なんとか我慢もし易いのだろうが、目の前に美味しそうな食べ物があって我慢するのは辛いものがある。夜はそれに加えてお酒が恋しくなっるのだ。
折しも、雨引の友人の展覧会オープニングがあったんだけど、我慢して行って辛抱して帰ってくる程の強さも勇気も持ち合わせていないことは分かっているから、失礼させてもらった。
丸一日一杯のコーヒーも、一滴の酒も飲まなかったのは、高校卒業以来この日が初めてだった。一日の締めくくりに下剤を飲んで早めにベットに入ったのだが、日々のパターンが狂うとなかなか寝付けない。夢うつつで目覚めたら、下剤のせいで下痢下痢だった。でも便秘するより嬉しいのだ。
検査当日、もちろん朝から何も食べてはいけないし、もちろんタバコも駄目。10時に病院に行って、ニフレックという大腸洗浄剤を2時間掛けて2リトル飲む。最初の一杯目はさほど苦労しないで飲めるのだが、2杯目以降が徐々に辛くなってくる。バリュームよりましだと思う事で気を紛らわせながら飲み続ける。その頃には便所との往復になる。最後には透き通った水(洗浄剤)が出始めるんだけど、お尻からオシッコが出るという変な感じかなあ。オシッコは尿道から出て初めて液体が出てるという感じが掴めるんだけど、逆に肛門からは固体物が出ないと排泄しているという感じがしないということが分かった。餅は餅屋なんだな〜と、変なところで感心したりして。
午後3時から、いよいよファイバー検査である。特別の衣服とパンツに着替えて、緊張の中で手術台に上がる。ネットで色々と調べたところに因ると、相当に痛いこともありそうだ。
最初に肛門の中にオイルを塗ったらしいのだが、いきなりググッと入ってきた。痛みは感じない。グングン入る感じはあるが、依然として痛みはない。腸の中でモコモコと動くモノが段々と這い上がってくる感じかなあ。ポリープは何処に?と、私もモニターを覗きながら、エイリアンが這い上がる違和感に耐えている。そのうち胃の下の方に違和感を感じるようになるのだが、まだ奥に入ろうとする。何処まで入れるんだ?と、その頃から下腹部全体に鈍痛が襲って来始めた。イテテテ、と思わず体が仰け反る。診療している先生曰く、「岡本さんの大腸は相当に長く蛇行しているんですよ。ファイバーを目一杯入れても最後まで届かないですねえ。でも見たところ届く範囲はきれいです。ここから先はバリュウム挿入のレントゲン検査しかありませんね」だって。
差し当たり、ファイバーの届く範囲はきれいだということが分かった。便秘は腸の異常な長さから来ているらしいということも分かった。結果として、ファイバーでの摘出手術無しに検査は終了したのだ。
今まで3ヶ月間の不安と心痛は無くなった。ひとまず胸を撫で下ろしたのだが、はて?俺の大腸は一体どれくらいあるんだ?という疑問が残る。通常は1.3m〜1.5m位らしいのだが、俺の大腸は2m以上あるのかも知れないなあ。
私は根っからの原始人?いや草食動物?。私のような長い腸を持った者(草食動物)が肉を食べると、長い消化器の途中で、肉に付いている雑菌のために肉が腐敗するんだそうな。それが癌の原因になるとか。腸の短い外人さんは肉を食べても直ぐに出るから問題無いらしい。
俺は完璧に東洋人の草食動物なのだな。だから平和主義者なんだということが改めて分かった。
そんなことよりも、今夜からまたご飯が食べられるのが嬉しいし、酒が飲めるのが嬉しい。
そういえば、実は・・・この記事、もはや飲みながら書いていたのだった。
2007.4月1日〜2日
花見会2007
恒例の花見会が今年も盛大に挙行された。
今年の冬は超暖冬だった。そのせいか、待ち遠しかった春が、淡いピンク色になって一気に爆発したような衝撃的感動は無いのだが、やはり日本の桜は何時見てもいいもんだ。
気象庁の開花予想がチト読み間違えて、今年の開花は相当に早いということだったから満開も早いと踏んでいたのだが、未だ六分咲きだった。連続ドラマの最終回を次週に残して、酒を片手に見入っているといったところかなあ。
団子の方は、手料理をそれぞれが一品持ち込むという会だから、参加人数分のメニュー品目が出揃うわけで、超豪勢な宴会になることは必至。これがまた手によりを掛けた逸品だから、正に花より団子なのだ。
午後1時開宴で、ガンガン食べて飲んで、日が落ちる頃までにはサッとお開きになった。君子たる者、引き際が肝心なのと、田舎においては周囲100メートルは自分ちの庭という感覚だから、御近所の庭の様な場所での宴会は程々にしなければならないのだ。ましてやそれが小学校の隣なんだから夜桜会は無し。場所を村井邸に移しての宴会になった。
私は翌日の事があって、8時前には引き上げたのだが、村井邸の居残り組は、午後1時から換算して、延べ12〜13時間は宴会を続けたんじゃないかなあ。やっぱり宴会となると、みんなタフだよ。
翌日JB大の学生7人が、石切場見学と石の購入のためにやってきた。曇って湿気を含んだ雲が加波山の山頂付近までどんよりと低く降りてきていて、飽和状態になった雲から今にも雨滴があふれてきそうなのだが、何とか数カ所の石切場に上がって必要な石を選ぶ事が出来た。夕方に山を下りる頃から、案の定、辛抱しきれなくなった雲が霧のような細かい雨滴を零し始めた。
この分じゃ我が家でのバーベキュー夜桜会は中止せざるを得ない。我が家に面した白水湖の水際に何本かの桜の古木があって、毎年ここにも花は有るぞと密かに咲くのだが、それを密かに愛でる会をやろうと思っていたのだ。
仕方なく家の中での花無し宴会に変更した。
明け方までワイワイガヤガヤと盛り上がったのだが、ふと・・・若者には花は要らないなと思った。若さ自体が花なんだから。
2007.3月-吉日-2
アニマルママさん
数ヶ月前だったか、古くからの友人(私が勝手に友人だと言わせて頂いているのだが)から初めてメールを受け取った。はや20年近くお会いしていないのだが、横浜から熊本に引っ越したという連絡はもらっていた。昔から動物が大好きで、かつては野良猫を数十匹も面倒見ていたのは知ってる。
熊本に行ってから全く音沙汰なくて、彼女がどんな生活をしているのか全く知る由もなかったのだが、そのメールに彼女のブログのアドレスが記してあったので、訪問させていただいた。彼女は嘗ての優しい心を持ち続けていることが分かった。と同時に彼女の心の中にある、総ての生命への執拗な哀れみと憧れを読み取ることが出来た気がしている。常人で出来る事じゃない。人間のエゴを捨て切った先に、彼女の人生は総ての生命と共にある。本当に半端じゃない。
ブログWeb名 "アニマルママ"さん。もし出来るなら、彼女のブログサイトにアクセスしてみて下さい。
心ある人なら何をか感じるんじゃないかと思います。
"mixi"のブログサイトだから、彼女のサイトに行くためには、"mixi"に登録する必要があるようです。私も"mixi"のサイトを持ってはいますが、根っからが無精なもんで、自分が勝手に運営するこのwebsite に、気ままに書き込むのが似合っていると思っているから、"mixi"に登録以来、"mixi"の中の自分のサイトには全く書き込まないから閑散としているのですが。でも他の方達のサイトを見ることは出来る。下記にアニマルママさんのページに飛ぶチェーンを作っておきます。このブログに登録されていない方で、彼女に興味があって、彼女のサイトを訪れてみたい方はご連絡下さい。私の友人としてブログ登録の紹介をいたします。
アニマルママさんのブログ
2007.3月-吉日
アンジェラ・アキ
今月の始め、インターネットサイトでCDを買った。
ここ10年来音楽CDは、年に1枚買うか買わないかという頻度なのだが、最近アンジェラ・アキに魅せられてしまって、彼女の'Home'というアルバムを手に入れたのだ。
流行の音楽情報には、殻に隠ったカタツムリのように頑なに疎くて、近年の歌手やアーチストは、ほとんど知らない。
去年の紅白歌合戦でアンジェラ・アキを初めて知った。芸能人歌手が横行する番組の中で、こいつ真剣ジャンか、悪くないぞと思ったのが切っ掛けである。嘗て中島みゆきが世に出てきた時のような、新鮮な衝撃を感じたのだ。
DCを買ってから毎日聞いているのだが、不思議と飽きない。益々もって彼女の透き通るような声と優しく緩やかなビブラートに魅せられている。
(去年暮れには武道館公演をしたらしいじゃないか。超メジャーなアーチストだったんだ。知らなかったのは俺だけ。フム [4月初旬])
2007.1月
故郷の新年
年末年始には一人暮らしのお袋が気がかりで、いつも故郷に帰るようにしている。
日が西に傾いてから、お袋が飼っている犬の桃子と、子供の頃に遊んでいた川縁をのんびりと散策した。
かつては、堤防の向こうには孟宗竹の竹藪が続いていて、その向こうに広い河原があった。川は冷たくてよく澄んでいた記憶がある。
風呂を沸かしたり竈で煮炊きをする薪を拾うために、週に一度はお婆さんと一緒に西の山に登ったものだ。西の山は巨大な象の形をしていて、その北側には、壁の様に見える高い山脈が遙かに連なっている。その山脈の奥深くには、キングコングがいると信じていた。辺りをグルッと見回すと、東側にも南にも重複しながら山々が連なっていて、地理的には盆地じゃないはずなのだが、風景的には完璧に盆地なのだ。
視界の形状は昔と変わっていないのだが、昔サッカーボールだと思っていたものがピンポン玉だった様な、視界のスケール感が全く違っている事に気付く。
昔は大きくて高い山だと思っていた西の山も、山としては急峻ではあるが、今見ると頂上の木々が一本一本見分けられる程の山なのだ(実際には五百数十メーター)。小学生の頃に遊び回っていた自分のテリトリーも、今歩くと意外に狭いことに気付く。当時は山の稜線が私の住む世界の境界線で、その稜線に囲まれた箱庭的空間が私を取り巻く全ての世界だったのだ。でもその中には、ちゃんと魚はいたし鳥もいたし馬や牛や山羊やカモシカだっていた。電気も通っていたし蛍もいっぱいいた。夕焼けだってちゃんとあったのだ。
歳を取るに従って、徐々に広い世界を知るようになった。当たり前の話なのだが、自分が生きるテリトリーも、小学生の頃には想像もできなかった程に広範囲になった。キングコングがいると信じていた山の向こうには、やはり山や川が繋がっていて、そこにも沢山の人が住んでいる事も分かった。そして、そんな大地の繋がりも日本という限りがあり、日本を取り囲んでいる広い海や、その向こうにある大陸にも限界があり、地球そのものにも限界があるということさえ実感している。
しかし、いろんな事を知った今でも、私の心の原風景は、この山々に囲まれた空間に在ることに気付く。ここが私の発祥地、原点なのだ。