2006.9月27日、ここで書いた雑談は "idea" の "Time and Space" ページに移動しました。"idea" ページの、右の石ボタンから入れる論説ページです。
ちょっと長めで、少しだけ専門的な言葉が出てきて分かりづらい論説かも知れませんが、雑談のつもりで読んでいただければ面白いんじゃないかと思います。 下記の "idea" リンクをクリックしてください。"idea" ページに飛びます。 "Time and Space" リンクは直接 "Time and Space" 論説を別ページ表示します。 idea Time and Space
The new fashion comes from the method of representation how we stand up the ground. こうやって、アホな夢を見てると、歳を食わないのかもね。写真左はJB大の学生達と、銀座を闊歩した時に撮ったもの。 ふむ!!! これは「idea」コーナーに書くべき事だな。
66 演歌を手直し
先に書いた「雨引の演歌とJazz」の作品を本日手直しした。
自分が気に入らないと居ても立ってもいられない性分で、現在雨引で展示中の作品なのだが、世の常識は常に変化させるものと信じて、クレーン付きトラックで作品の胸部から上を切り離し、形の直しを敢行したのだ。
良くなったか?悪くなったか?変わり映えしなかったか? 自分の独善的判断で善し悪しの結果論を導く事は止めにするのだが、少なくとも私の中では読経的雰囲気もしくは演歌ではなくなった様な気がしている。(写真左)
前にも書いたけど、読経や演歌が悪いわけじゃない。ただこのロケーションの中での読経が余りにも填りすぎるし演歌や情歌は似合わないと思っただけ。そして今日やった事は、側頭部を1/3程削り込んで少しだけバランスを崩しただけ。バランスを崩す事で日常の正論や人の情から解放する、な〜んて勝手に思っているだけ。左の写真と下記事「雨引の演歌とJazz」の写真と、一体何処が違うの?と、思われるだろうが、私にとってはやはり大きく違うのだ。
昔から作品の手直しには躊躇しなかった。個展で発表した作品でも、況んや個展期間中でも憚ることなく手直しをした記憶がある。
手直しといっても、天地が逆になるほど大きく変わるわけじゃない。自分の気になるところを少しだけ直す程度なのだが、自分にとっては大きな変化なのだ。嘗ては画廊で石を削るグラインダーを掛けた事もある。ひととき画廊が石のスタジオになるわけだ。私は慣れているから何て事ないんだけど、画廊の方たちはたまったものじゃないよ。
全く人の迷惑も顧みず、我が儘千万な振る舞いだと後になって気付くのだが、でも自分の中では妙に納得しているわけだ。「これでいい」ととと・・
・・と、一件落着かと思いきや、人間欲が深いというか我が儘というか、未だ気に入らないから、また近々手直しする事にした。
今まで見て下さった方たちや展覧会メンバー諸氏に「バカもん!神聖な展覧会を何と心得とる!」と叱咤される事必至なのだが、怒濤の浴びせ倒しを土俵際でうっちゃって、右の写真(シミュレーション)の様に手直しする。本当は直ししてから公表するのが筋なんだけど、見に来て下さった方たちの事を思うと、事前に公表すべきと判断して、ここに載せる事にした。
65 雨引の演歌とJazz
隔年で開催している野外展「雨引の里と彫刻2008」が、数日前(9月28日)に開幕した。
今回で7回目、十数年続いている展覧会である。最初は大和村の旧・小口石材の軒下を借りてコツコツと彫刻を作っていた6人と、同石材の社長も入れて7人で始めた展覧会なのだが、正直こんなに続くとは思わなかった。こんなにエネルギッシュに発展するとも思わなかった。
雨引の里の都会離れした風景もさることながら、作家自身が企画運営する方式、事前の膳立てや企画運営への道筋を参加者が最初から作っていかなければならない展覧会、逆に言うと、作品を制作する者としては、この上なく無愛想な展覧会だからこそ、続いてきたのかも知れない。だから参加者の遣りよう次第で、乗り様次第で良くも悪くもなるんだけど。運良くこの方式が功を奏して、作家が乗ってきた展覧会として発展し続けている。
最初は無関心・無愛想だった地元の方達も、ここに来て徐々に現代美術の面白さを理解され、自分たちなりに講評して下さるようになったし、小学生が彫刻に対して素直に向き合えるようになって来たと感じている。先日、地元のお爺さんが自転車で回ってこられて、私はメッセージ性が無いものの方が好きだね。とおっしゃったのにはびっくりした。
さて、前置きはこれぐらいにして、今回の自分の作品はどうなのか?自問していこう。
美術には色んなジャンルがある。嘗ての宗教美術・皇帝美術、具象、抽象、ミニマルアート、モノ派、コンセプチャルアート、メッセージアート、フィギュアアート、インタラクティブアート、工芸美術、等々数え上げたら切りがない。私はその何処を目指しているのか?たまに自問する事もあるのだが、ハッキリとした自分のジャンルが見えていない。抽象であるし、モノ派やミニマルも好きだし、コンセプチャルアートにも非常に興味ある。
音楽になぞらえて言うと、民謡あり、歌謡曲あり、演歌あり、クラシックあり、ジャズあり、フォークあり、ブルースあり、ロックあり、ポップスあり、漫画や映画の主題歌があり、民謡あり、童謡あり、・・・等々これも切りがない。
私が思うに、音楽も美術も、環境と密接に結びついていていると思っている。夜グラスを傾けながら効くのはジャズが良いし、田舎をドライブする時はロックが良いし、都会ではブルースが合うし、カラオケでは演歌を歌うし、しんみりすると童謡も良いし、外国で聞くのは民謡がいい。机で考えている時はクラシックが良いと感じている。恐らくそれは私だけじゃなくて、多くの人がそれぞれの状況で、好みのジャンルの音楽を聴いているんじゃないかと思っている。
それでは、作り手はどうかと考えると、アーチストが目指すジャンルはほぼ限定しているのだ。ロックミュージシャンはフォークソングは作らないだろうし、ジャズアーチストは演歌は作らない。オペラ歌手はブルースは歌えない。もちろん似たようなジャンルを彷徨く事はあると思うのだが、また本来の方向に戻るのだ。
美術についてもその事は同様じゃないかと思っているのだが、果たして自分自身がどれかというと、正直困ってしまう。
私は基本的にジャズやブルースや民謡が好きで、そんな作品を作りたいと思っている。しかし、結果的にそうなっているのかどうかは分からないんだけど、少なくとも今まで演歌は作ってこなかったんじゃないかなあ。
今回は人型に孔を空けている。その孔119個の中に120人の人の顔がある。自分ではジャズだと思って制作したのだが、果たして展示してみて、あれ!これ演歌になった!。と感じたのだ。演歌が歌として悪いとは思っていないのだが、目指す方向と違ってしまったのだ。外形の人型が良くなかったのかも知れない。田園風景の中でこの立像を見ると演歌になる。都会のビルの谷間にあるとジャズに変化するかも知れないが、田園風景の中のコンテンポラリージャズもしくは民謡を目指していた自身にしては、ショックな結果だった。原石の形を残して人の顔を埋めた方が、良かったんじゃないかと振り返っているのだが、外形を人の形にしようとしたからこそ孔の中に顔を埋める事に気付いたと言う事もある。
今流行の漫画主題歌や、各トリエンナーレで催される童謡・歌謡フェスティバルの様な曲になれば、皆さんに口ずさんでもらえるんだろうが、やはり私は土着的なジャズやブルースや民謡を目指したいと思っている。
雑談コーナーで以前も書いた、里山と田圃の風景の中でダニーボーイを聞いた、あの心が痺れるような印象は今でも残っている。
63 温泉と浦島太郎とUNO
2008.3月も終わりの頃、J大大学院の卒業生が温泉旅行を企画したのです。
桜満開の箱根温泉旅行、この春大学院を終了した4人と、ナベ先生(通称ナベさん)と同僚の鈴木先生と私の7人ツアーなのです。
箱根は関東でも有数の観光地、しかも桜の時期とあって、ウイークデイにもかかわらず道々は観光の車で溢れていました。我々のツアーは温泉と宴会だと決めているから昼間は実にノンビリしたもので、しかも勝手知ったる箱根界隈だから右往左往はしないのです。昼過ぎに旅館にチェックインしてから芦ノ湖畔に出て、ノンビリと時間を潰したのです。
写真の船は、芦ノ湖に浮かぶ観光船。日が傾き始めてから写真を撮ると逆光になって、まるで大航海時代に逆戻りする様な風景なのです。何故、芦ノ湖観光組合さんが大航海時代の海に拘っているのかは分かりませんが・・・。
そう言えば、芦ノ湖遊覧船の船着き場で、非常に興味ある光景を目にしたのでした。
船着き場界隈は洒落たレストランや土産物屋や若者向けのホテルが立ち並ぶ観光スポットで、折しも春休みとあって学生とおぼしき連中がやたらと目に付いていたのです。
船着き場の正面に6階建てのホテルがあって、その最上階が総ガラス張りになっている。どうやら芦ノ湖の全景を眺めながらゆったりとお湯に浸かる趣向なのでしょう。遊覧船から降り立ってふと見上げると、全面ガラスの向こうに、もぎたてのマスカットのようなキャッキャとした若き女性の裸の集団が見えるではありませんか。え!マサカ〜、なのでです。我々ノンビリツアー全員の目が点になった。「え〜〜マサカ〜。凄いね〜」と口々に呟きながら、まるで海中で竜宮城を見つけた浦島太郎のように、時の経つのを忘れてしまったのでした。そのうち誰かが6階に向かって手を振り始めた。こちらから丸見えなんだから向こうからも当然丸見えのはずなのです。そのうち手を振っている我々に気付いたガラスの向こうの裸のマスカット達も、「え!こっちを見てる人が居るよ〜」とか何とかキャッキャと言ったのかも知れませんが、見上げる我々に手を振り始めたのです。私は手にカメラを持っているのも忘れて、湖を泳ぐニジマスの姿を執拗に確かめるフィッシャーマンのように、そして且つ呆然と、ただただ見入っていたのです。
全く、若いという事はそれだけで凄い事なのです。滑らかな高級石鹸のように、そこに有るだけでスベスベとした青リンゴの薫りが仄かに漂ってくる。今更ながら窓ガラスの向こうで恥じらいもなく手を振っていた集団を思い出す度に、若かりし日の胸ときめいた感覚が蘇って来るのです。
そう言えば、我々のツアーにもうら若き女性が4人も居たのです。
右の写真は、箱根湯本の温泉旅館に着いて、ゆっくりと温泉に浸かってリフレッシュした後の夕食時の写真ですが、いやはや埃まみれの作業服姿を見慣れている私にとっては、みんな見惑うほどの淑やかな女性だったのです。やはり日本女性は浴衣が似合うのです。
もちろん師と学生という暗黙の規律が存在するから、昼間のような呆然として手を振るような感覚は介在しないのですが、こうやって写真だけ眺めてみると決して悪い光景じゃない。
彼女たちは非常に優秀な連中で、これから立派に成長し日本を背負うようなアーチストになってくれるものと密かに期待しているのです。
夕食をタップリ味わって、さてさて飲み直すかという時に、若者主導で全員でUNOをやる事になった・・・。さすがに我々の世代じゃ決して出て来ないアイデアです。UNOは40年程前にチラッとやった記憶があるかなという程のトランプゲームなのですが、それ以後40年間一度もやった事がない。もちろんやり方もルールも忘れているから、若者から逐一説明を受けつつゲームを開始したのです。
これが、やり始めたら意外に面白い。しかも一ゲームの勝者二人が次のゲーム中にお酒や間食を取れるというルールを作って、タバコに関しても同様のルールで部屋の外の縁側で吸えるという事にしたから、3〜4回連続して負けてしまうと、まるで吊し上げを食った気分になってくるのです。時間経過と共に、お酒や肴にありつくために真剣にならざるを得ないのです。酒やタバコに有り付きたければ勝しかない。
結局、夜中の2時半頃まで、差して酔っぱらわずにタバコも吸い過ぎず、実に健康的にギンギンのめり込んだのでした。
写真は、UNOゲーム中の風景です。私は運良く一抜けで、すなわち最初に勝って、お酒を飲みながら第2位が決定するのをウヒヒと眺めながら撮った写真です。端から見れば、うら若き女性達に囲まれてさぞ楽しかろうとお思いでしょうが、負けが込んでくると、蟻地獄に落ちた蟻のように、焦れば焦るほどカリカリして益々負けが込んでくるから、益々酒からもタバコからも遠ざかる。実に健康的なゲームだったのでした。
おかげで翌朝は全く二日酔いなし。
ツアー二日目は、さしたる理由もなく箱根湯本から大涌谷まで行ったのです。まるで最近の銀座通りのように外人観光客で混み合うの玉子茶屋まで登って、冷たい霙に降られながら黒たまごを食べ、昼食は真鶴半島のまで下って、昼飯にしては結構高めの海鮮レストラン魚座で刺身定食、遅めの昼食をたらふく食ってから、解散になったのでした。
イヤ〜、今回の温泉ツアーは、目から鱗なのでした。
61 おもかげ
2007.8月吉日、広島に帰郷した時期と重なって、小学校時代(44年前)の同窓会があった。開宴時間ジャストに会場に着いたら、既に全員が座敷に座っていて宴会も始まっていた。当然私が最後に入場したことになる。一同の視線を一斉に受けることになったわけだ。その瞬間、私の中で時代が半世紀ほど逆戻りした。
私が同窓会に参加するのは二十数年ぶりかも知れない。40年ぶりに見る同級生の顔もある。
自分でも驚いたのだが、参加者全員の人と名前をハッキリと覚えていたのだ。とは言っても、私の記憶力が優れているのではない。全員が小学校時代の面影を、まるでデジタル化した画像データのように正確に留めているのだ。44年ほどの歳月が幻のように経過して、昔のイメージのまま55〜56歳に差し掛かろうとしているだけなのだ。
学校帰りに魚取りをした連中は、未だに網を持って川に入っていきそうだし、イラだった奴は未だにイラだし、冗談飛ばしの上手かった奴は未だに冗談が冴えてるし、温和しかった子は未だに温和だし、キビキビとリードしてた奴は未だにキビキビしてるし、初めて恋心を抱いた子は未だに当時を偲ばせているし、先生の喋り方や視線の移し方もちっとも変わっていない。何十年会わなくても、みんなみんなそのままそっくり昔の仲間なのだ。
それぞれが自分の人生を生きて来て、裕福な奴もいるし、勤勉に働いている奴もいるし、社長として経営手腕を発揮している奴もいるし、主婦として家庭を切り盛りしている者、既に孫が適齢期に達しようとしている者もいる。どうやら俺だけが未だに見果てぬ夢を追ってフラフラしている風来坊なのかも知れない。
でも、何があっても、どんな生活をしてようとも、同じ時代に同じ空間で刷り込みされた同胞なのだ。やっぱりみんな素晴らしい仲間なのだ。
60 異星人?
2007.6月吉日、普段は一月に1〜2度程しか電車には乗らない。しかも夜の混み合った電車の吊革に掴まって、流れ行く車窓の光の中にスライドフィルムのように映り込む半透明な自分の姿に、目を預けることはほとんど無い。
このところ夜の電車に乗る機会が重複して、久々に車窓に映る自分の姿をじっくりとしかも客観的に観察してしまった。正にしてしまったという失策に似た感覚に近いのだが、大局的かつ客観的に見た自分の姿形に、期末テストで自分だけが赤点を取ってしまった時のような、やるせなさに襲われてしまったのだ。
思えば数年前までは、髪の毛の薄い、どちらかと言うと禿オヤジと言われても過言じゃないオジサン連中が、街中や電車内にはイッパイいたんだけど、このところ、そうした希薄な髪の持ち主が激減していることに思い当たる。ほとんど100パーセントに近い皆さんが、育ち盛りのワカメのような豊かな頭髪を保持していらっしゃるのだ。まるで私だけが太陽系外から不幸にも電車内にタイムスリップしてしまった異星人!、寂寞とした疎外感を感じざるを得ないのだ。
巷の豊かなワカメヘッド総てが本物なのか・・? はたまた贋物なのか・・?、なんて重要な問題じゃない。それが蛋白質だろうと石油系だろうと、埋め込みだろうと接着だろうと、良かろうが悪かろうが、近年の中年のほぼ100パーセントの頭が豊かなワカメ状態であることに変わりはない。
文明の進化は、民衆が希求する方向に開花していくはずだ。生物の進化もまたしかり。
総ての状況に照らし合わせてみても、私はこれからの日本国内に於いて、益々もって文明の進展と生物の進化とから取り残される旧人類にならざるを得ないことに確信を深めながら、いや旧人類の道を選ぶ自分に誇りを持たなきゃと思いながらも、寂しく下車したのでした。
59 雨引の里
2007.5月、5月初旬と言えば筑波山周辺地域の田植え時期である。田圃に水が入って、まるで大地に空が降りてきたような風景が広がっている。山は新緑が芽吹き、織り終えたばかりの眩しい黄緑色の絨毯ようだ。
右の写真は湖じゃないよ、これから田植えが始まるちゃんとした田圃だ。
大型連休の真っ只中、何処にも行く予定はない。むしろこの生温い風の中でノンビリと制作した方が健康的だと思っているのだが、仕事場に行っても制作はちっともはかどらない。心の何処かで休みなんだという気持ちが働くのだ。
せっかく田舎に住んでいるんだから、仕事はそこそこにして、この貴重なのどかな時間と春爛漫の空気を体一杯に溜め込むことにした。都会の人達は貴重な休みを使って、この空気を吸い込むために渋滞の中をやって来るんだから・・・。
ところでここは、隔年開催している「雨引の里と彫刻」の舞台でもある。
この展覧会は、母体である実行委員会を毎回解散する。展覧会を継続する実態が毎回消滅するわけなんだけど、いつも展覧会が終わって1年もすると、長期の冬眠から目覚めようとする動物のように、またゴソゴソと動き始めるのだ。そして今回もまた、来年には展覧会を開催するつもりで、ゆっくりと確実に動き始めようとしているようだ。
そうそう、雨引にある仕事場「スタジオ第3工場」の位置をGoogleMapで検索してみた。雨引の里と彫刻展のインフォメーションセンターや旧大和村の多くの地域は、航空写真の解像度が悪くて、ちゃんと見ることができない。それだけここは田舎なのだ。
でも、仕事場にある門型クレーンや、大口径切削機を収めた建物、仕事場に隣接した私の作品置き場の石やコンテナなども見て取れる。雨引観音も雨引山腹にくっきりと見ることができるのだ。さてさて来年の展覧会時期までには、雨引の里全体がくっきりと見えるようになればいいんだけどねえ。
頑張って!! グーグルちゃん。
右記のリンクは、GoogleMapです。(GoogleMap) スタジオ第3工場
因みに、右記は我が家のGoogleMap。(GoogleMap)我が家 雨引に負けず劣らず田舎なのだ。側に野生のキジも住んでいる。
比較のために、東京銀座のGoogleMap。(googleMap)銀座 同じ倍率なのに、この混雑度の違い、時空の違いが面白い。
55 「推論 - 瞬間とは」 and 54「時間=間時」
2006.9月27日、ここで書いた雑談は "idea" の "Time and Space" ページに移動しました。"idea" ページの、右の石ボタンから入れる論説ページです。
ちょっと長めで、少しだけ専門的な言葉が出てきて分かりづらい論説かも知れませんが、雑談のつもりで読んでいただければ面白いんじゃないかと思います。
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51 豪勢な見舞客
2006.2月吉日、H.C.大学の講義と講評会を終えて、東京に帰って来た。折しも建畠覚造さんとその仲間達の展覧会のオープンで、会場には行ったのだが、何となく体調が優れないで咳と微熱気味なので、2次会には出席しないで帰って来た。(その二日後に、先生がお亡くなりになったという悲報を耳にした。ショックだった。)
つくばに帰って来た翌日、体調の悪化で病院に行ったら、インフルエンザA型だった。
病院でもらったタミフルと解熱剤を飲み外出を避け、とにかく安静を続ける生活になった。やらなきゃならない事は、膨れ上がった焼き餅の様にパンパンなんだけど、それが焦げ付かない程度に、直火と私の視線から遠ざけて、しばらくは丁度いい休息だと諦めるしか無い。
インフルエンザと分かった翌日にJ.B.大の学生と、非常勤の先生が来るというんで、「歓迎するぞ。お土産にハードなインフルエンザをイッパイやるから、遠慮しなくていい」と言ったら、来ない事にしたようだ。そりゃそうだ。
タミフルをほぼ飲み終えた18日、彼等はやって来たのだ。私は未だ本調子じゃないから、料理も億劫だし家の掃除なんて、半月以上はやってないけど、まあいいや、彼らに任せる事にした。個展の開催とその後の静岡とオランダと広島で、ほとんど家に居なかったから仕方ないとはいうものの、家に居なくてもちゃんと汚れるものは汚れるし、まるで差し引かれる所得税額の様に誠実に、埃もちゃんと溜まるんだよな。
その夜、彼等が腕を振るったディナーは、超旨い鍋と、東南アジア風のウドンと、鶏の炒めのもと、私の好物ポテトサラダだった。久々に山盛りの美味い食事を摂り、美味いシャンペンと、手に入らない美酒と、柔らかな焼酎をたらふく飲んだ。私は朝の3時頃布団に入ったのだが、若者はその後も元気に起きてたらしい。
翌朝、お客さんは11時に起きて、やおら家の大掃除を開始した。レンジ周りのこびり付いた油汚れとか溜まった洗物とか、1F,2Fの全ての部屋に掃除機をかけて、その後、昼食がてら皆で出掛けてから、ス〜ッと帰って行った。
病み上がりの私としては、まるで竜巻の渦の中に居た様だったけど、ちゃんと美味しい物が食えて、家も奇麗になった。
ウ〜ン、これって悪くないかも。
49 鞴祭り
2005.11月吉日、二つの大学の学科内で安全祈願の鞴祭りがあった。
写真の右は、神事終了後の、T大工芸学科の超人気イベント、フラメンコ同好会所属の学生による「フラメンコ」である。日頃は物静かで、はにかみ屋の学生が、スポットライトの中では目を見張る程の表現力なのだ。そのギャップの大きさにドッキリとさせられてしまった。
写真左は、J大の安全祈願祭。神事の後のアトラクションこそ無いが、石場のシャッターから透けて見えている紅白の垂れ幕が、秘めた熱気を感じさせてくれる。
TもJも引っ括めて、学生は未だ未だガキだと思っているのだが、若者の4年間は成長が早い。私の年代の10〜15年分に匹敵する変化を、アッという間に成し遂げてしまうのだ。追いつけない様な、でも羨ましい様な、何となく嫉妬に似た面持ちで、静かに眺めている。
46 身体表現サークル
2005.10.15、HS大の連中(教え子なんだけど)が、最近やたらとアチコチに出没しているらしい。
その名前というか、グループ名は「身体表現サークル」というのだ。創作ダンス、創作パフォーマンスを褌一丁の出で立ちで、繰り広げるらしいのだが、未だ実演をこの目で見たことはない。
先日HS大での授業の折、彼らの韓国でのパフォーマンスをビデオで見た。彼らが言ってる様に、宴会芸から出発したというコンセプトさながらに、滑稽な中にも彼ら一人一人の無骨さと真剣さが滲み出ているパフォーマンスだった。それがまた親しみを覚えて面白いのだ。
ダンスメンバーの一人に聞いてみた。目指している本業は彫刻家なのかパフォーマーなのか? 彼曰く、もちろん彫刻家です。とのこと。
そう言えばこの集団は、ダンスの指導的立場のメンバーを除いて、年と共に入れ替わっている。在学中のみのダンスメンバーの様だ。身体表現サークルが世の中で受ける受けないには関係なく、実にサッパリしたもので、大学を卒業したらサークルも卒業していく。逆に歳食ってからもあれをやってたら、ちょっと恥ずかしいかもねえ。
今回も横浜トリエンナーレに出ているのだが、金が無いからあまり行かないと言っていた。
自分たちは好きで踊るけど、社会に媚売ってまでも踊らされない。そこいら辺りが今的で魅力なのかも知れない。
44 タバコの煙
2005.9.6、台風14号が猛威をふるっている真っ只中、新幹線で東京から広島に向かった。
案の定、山陽新幹線は運転見合わせで、大阪で止まってしまった。新大阪で一泊する羽目になってしまったのだが、旅にトラブルは付きも。先日も宇部からの帰路、日航機が欠航して、夜中に羽田からつくばまでタクシーで帰った事も含めて、もはや慣れっこになってるから差して苦にならない。
そんな事より、今回の新幹線で喫煙車両に乗った事の大失敗である。日頃は何時も禁煙車両に乗るのだが、今回は電車の中で夜を明かす事も想定に入れていたから、ついつい喫煙車両に乗ってしまったのだ。
私は喫煙者である。とは言っても1ミリのタバコにヤニ取りニコチン軽減のパイプを付けての喫煙だから、限りなく空気に近いタバコを吸っている。
車両に乗った途端に、喫煙車両の中は煙がムンムンしていて、臭くてたまらない。隣のアンちゃんや、前後の席の叔父さんお兄さんが、ひっきり無しに火を付けるから、煙が収まる暇がないのだ。小一時間も座ってると頭が痛くなってくる。結局自分では一本のタバコも吸わないで、頭がガンガンになって新大阪に着いた。
考えてみると、実に我が儘な話である。自分はタバコを吸うくせに、人のタバコの煙は吸いたくない。伏流煙は一ミリでも嫌だし、タバコ臭いのも嫌いだ。嫌煙家が語句を荒立てて文句を言いたくなるのも、よ〜く分かる。かと言って、自分の吸う空気みたいなタバコを止めようとは思わないし、しかも自分の出す伏流煙さえも吸いたくないから、自分の家では換気扇の下でしか吸わない。ホテルの部屋でも窓を開けてから、窓の外で吸う。窓の開かないホテルでは、トイレの換気扇を点けて、その換気扇の下で吸う。
詰まる所、時流に付いて行けない人間の、わがままな弁証法なのだが、問題は私の中での、換気扇とタバコの相関関係なのだ。すなわち、換気扇がないとタバコを吸わないし、あまり吸いたいとは思わない。逆に換気扇を見ると・・・。
43 入道雲
2005.8.某日
コラボ作品で悪戦苦闘していた夏の日、ユマニテ東京の土倉さんが訪ねて来た。仕事場にいる連中や、近隣の作家連中と那珂川のヤナに鮎を食いに行った。昼間っから生ジョッキを2杯も飲んで、一時の夏の風情を味わったのだ。
ヤナの帰りに夕立があった。
仕事場に帰って、北の空を見上げたら、巨大な入道雲が立ち上がっていた。こいつの下では雷ゴロゴロが激しくて、大粒の雹も降るし、もっと巨大になると竜巻も起こる。
今年の夏は、未だ家の電気系統は雷にやられていないが、油断大敵なのだ。
38 ファッション?
2005.2.27
ファションはパッションから生まれる。パッションは、足下から?・・・なーんちゃってね
とにかく、靴を左右逆に履くのだ。そうすると自分の片方の足が、隣に居る人の手前の足と対になる。親密なコミュニケーションに言葉は要らないのだ。
The new fashion comes from the method of representation how we stand up the ground. こうやって、アホな夢を見てると、歳を食わないのかもね。写真左はJB大の学生達と、銀座を闊歩した時に撮ったもの。
ふむ!!! これは「idea」コーナーに書くべき事だな。