野田裕示氏とのコラボレーション展も今回で5回目になる。お互いのやり方は分かっていて、早めにスタートした。通常の手筈では、私が先行してベースの形を作り、想いも含めて野田氏にバトンタッチするコラボのやり方である。 昨年から今年の前半にかけては、広島空港の円柱作品を再設置するために、それぞれの角度計算や空間のプランニング・レイアウト等に時間を費やした。(前回・下に書いた記事)もちろん今年に入ってから、同時進行的に一寸ずつだがコラボ石の製作は進めていた。問題は私の仕事場で出来上がった石の形(野田氏のためのキャンバス)を、どうやって彼のアトリエに搬入するかが問題だった。トラックが使えれば難儀はしないのだが、道路事情等で彼のアトリエにユニックトラックで持ち込む事は不可能なのである。 結局、完成した形を手で持てる程度に分割し、私の普段使いの車に乗せて彼のアトリエに搬入する、そこで再構築して元の形に戻すという方法をとらざるを得ない。というよりそれしか方法が無いのだ。 我々が若かった頃は、宇部の現代日本彫刻展や、ギャラリーや美術館でのコラボレーション展のために、4ton~6tonもある石を使って、私が形を仕上げてから野田氏がその場で彼の構想した絵を描いていくという遣り方、もしくはキャラリー所有の倉庫に完成した石を搬入して、そこで野田氏が描くというやり方で多くの作品を創ったが・・・・。最早お互いにそんな無茶が効く歳ではない。 手で運べる程の石のパーツにして、野田氏のアトリエに運ぶしか方法が無いのだ。組み上げて後の安全性も考慮に入れて、ステンレスのボルトとナットを埋め込んで固定し、再構築と再度解体ができるような方法で組み上げなければならないのだ。そのシステム作りに多くの時間が掛かってしまった。結局、最初の石を野田氏のアトリエに持ち込めたのは、3月も終わる頃だった。私とギャラリーの土倉さんと野田氏と野田氏の息子さんの4人で何とか持ち込めだのだ。その2ヶ月後、第2期の石を搬入。そして8月の終わり頃、1人で持てる小品を6点程持参した。 展覧会は、10月10日(火)から、ギャルリー東京ユマニテで始まる。 さて、どんな空気が生まれるのか・・・・?
野田裕示氏とのコラボレーション展も今回で5回目になる。お互いのやり方は分かっていて、早めにスタートした。
通常の手筈では、私が先行してベースの形を作り、想いも含めて野田氏にバトンタッチするコラボのやり方である。
昨年から今年の前半にかけては、広島空港の円柱作品を再設置するために、それぞれの角度計算や空間のプランニング・レイアウト等に時間を費やした。(前回・下に書いた記事)
もちろん今年に入ってから、同時進行的に一寸ずつだがコラボ石の製作は進めていた。問題は私の仕事場で出来上がった石の形(野田氏のためのキャンバス)を、どうやって彼のアトリエに搬入するかが問題だった。トラックが使えれば難儀はしないのだが、道路事情等で彼のアトリエにユニックトラックで持ち込む事は不可能なのである。
結局、完成した形を手で持てる程度に分割し、私の普段使いの車に乗せて彼のアトリエに搬入する、そこで再構築して元の形に戻すという方法をとらざるを得ない。というよりそれしか方法が無いのだ。
我々が若かった頃は、宇部の現代日本彫刻展や、ギャラリーや美術館でのコラボレーション展のために、4ton~6tonもある石を使って、私が形を仕上げてから野田氏がその場で彼の構想した絵を描いていくという遣り方、もしくはキャラリー所有の倉庫に完成した石を搬入して、そこで野田氏が描くというやり方で多くの作品を創ったが・・・・。最早お互いにそんな無茶が効く歳ではない。
手で運べる程の石のパーツにして、野田氏のアトリエに運ぶしか方法が無いのだ。
組み上げて後の安全性も考慮に入れて、ステンレスのボルトとナットを埋め込んで固定し、再構築と再度解体ができるような方法で組み上げなければならないのだ。
そのシステム作りに多くの時間が掛かってしまった。
結局、最初の石を野田氏のアトリエに持ち込めたのは、3月も終わる頃だった。私とギャラリーの土倉さんと野田氏と野田氏の息子さんの4人で何とか持ち込めだのだ。
その2ヶ月後、第2期の石を搬入。そして8月の終わり頃、1人で持てる小品を6点程持参した。
展覧会は、10月10日(火)から、ギャルリー東京ユマニテで始まる。
さて、どんな空気が生まれるのか・・・・?