2023年
3月
女子美最後の日
22年前に立体アート学科が立ち上がって翌年、2年生が実在実習で初めて石工房に来たときから、まるで主のように石工房に居た。鑿焼きのための鞴を作ったり、作業場の道具の整理をしたりetc.かれこれ21年間、学生達と石場を盛り上げて来た気がする。
最初は数年で辞めるだろうだろうと思っていのたが、こんなにも長く居着くことになろうとは思ってもいなかったのだ。年を取るに従って、学生達から若者のエネルギーをもらうことの大切さに気付かされ、まさかの72歳になるまで招聘教授を続けてきた。
立体アートの石場を立ち上げた当時の学生がアーチストとして独り立ちし、教鞭を執ったり准教授として立体アートの運営に携わったりしている昨今、ここらが潮時だ・・・、という思いが年々増してきて、いよいよこの3月いっぱいで石場を去る。
在校の学生や助手さん達から別れの言葉を告げられるのだが、これが今生の別れではないという解釈で、そのうちまた来るよと言い残して石場を後にした。
以下にある3枚の写真は、先日石場で撮ったモノだが、その下の羅列写真は2002年〜2023年まで21年間の石場スナップ写真からピックアップした。
2月
突然の訃報
2月に入って間もない頃、雨引のメールに訃報の連絡が入ってきた。
前回の雨引の里と彫刻展まで、メンバーとして活躍されていた佐藤比南子さんが心臓のトラブルでお亡くなりになったらしい。葬儀はご家族で、しめやかに執り行われたとのことだ。
私より少し年上でだけど、無邪気さを保たれている素晴らしいアーチストだった。昨年の12月に雨引の里と彫刻展のインフォメーションセンターでお会いして、佐藤さんの方から「お元気ですか」とお声掛けいただいて、会話を楽しんだ記憶が真新しい。
折しも佐藤さんの個展が開催されている最中で、まさか遺作展を拝見することになろうとは想いもしなかったのだ。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
1月
2023年に入った
2023年の正月が明けて、新年早々に広島に帰郷した。お袋に会うためだ。
昨年末に、お袋の居るGHから連絡があり、食事が取れなくなって来ているとのこと。とにかく何をさて置いてもお袋に会いに行かなければ・・・。
予想していたよりも元気だった。この一両日で、少しずつ食が戻ってきたとのこと。コロナ禍にも関わらず、GHの方の配慮で3年ぶりにお袋と水入らずで過ごせたのは貴重だった。
翌日つくばに帰ってきた。 帰宅翌日に雨引観音へ初詣。おみくじは大吉だった。
そう言えば今年、6回目の年男だよ。
"Java Script" と "フレームを使ったページ" が 表示できないブラウザの、リンクキー
return to Chat HEAD
,
next (普段着・2022)
Copyright © Atsuo Okamoto
最初は数年で辞めるだろうだろうと思っていのたが、こんなにも長く居着くことになろうとは思ってもいなかったのだ。年を取るに従って、学生達から若者のエネルギーをもらうことの大切さに気付かされ、まさかの72歳になるまで招聘教授を続けてきた。
立体アートの石場を立ち上げた当時の学生がアーチストとして独り立ちし、教鞭を執ったり准教授として立体アートの運営に携わったりしている昨今、ここらが潮時だ・・・、という思いが年々増してきて、いよいよこの3月いっぱいで石場を去る。
在校の学生や助手さん達から別れの言葉を告げられるのだが、これが今生の別れではないという解釈で、そのうちまた来るよと言い残して石場を後にした。
以下にある3枚の写真は、先日石場で撮ったモノだが、その下の羅列写真は2002年〜2023年まで21年間の石場スナップ写真からピックアップした。