彫刻

昨今、様々なメディアから提供される情報が、大きな流れとなって社会動向や人間性をも左右しようとしている。
問題は、その流の方向が一方向のみに限定されている事だ。それは、パブリックインタレスト、イージーアンダースタンド、大衆が興味を持っている事、誰でも容易に理解しうること、という限られた指向性しか持ち得ない事である。
受け手不在の情報はあり得ないし、大衆に理解されない情報も成立しないのだ。すなわち情報体系自体が経済体系そのもの、資本主義そのものなのである。
分かりにくいものや、深い思考を必要とするモノ、大衆の興味が薄いモノは、マスメディア上の情報には載っからない。「自分の目で見て肌で感じて、自分で考えなさい」という情報は成立しないのである。
大衆(情報の受け手)は、お金を出して大量にモノを消費するブロイラーなのだ。個々の嗜好や思考を放棄し、与えられた情報に洗脳される単純なブロイラーを作り出すために、メディアは日々進化し、情報は操作されてきたのである。
それは美術芸術分野もしかりである。分かり易いもの、受け手が思考する必要のないもの、(何なのか一見して分かるもの、かわいいもの、細部まで作り込む技術が目に付くもの)だけがアートとして流通し氾濫するという現象を誘発しているのだ。
本来、人間とは考える葦であるはずなのだが・・・。
逆説的に、流行を追わないファッション、情報に逆行するライフスタイル、大衆が向かな方向を目指す。犯罪は別にして、それが流行りになれば面白いと思うんだけどねえ。

Plan drowing 1 space stone
A form of the COSMOS

彫刻とは・・・? よく分からないでいる。
Plan drowing 2茫漠とした自己の存在。リアリティーとしての形態が確保できないでいる。ただおぼろげながら、存在としての黙示的ボリュームはうっすらと認識はできる。

人は自然界の特異的末端だとすれば、大いなる自然はその行為も含めた総体としての人をも含有するはずだ。すなわち自然は人という特異的末端にも、須く自然の摂理を与えるはずなのだ。だとすれば、私が私的な独断と偏見において、心中の茫漠とした有り様を造形することと、宇宙の中で自然の摂理に則って1個の星が誕生することとは、同等同義であるはずである。況や、宇宙が今ここに厳然と存在している理由と、私が今ここにいて生きて思考している存在理由とは、その因果律に於いても全く同等同義なはずなのだ。
彫刻とは、1個の星(宇宙)を誕生させる事。それは私的な1個の宇宙の有り様。




地球の大きさに付いての考察 No.2


地球の大きさはどれくらいなんだろうか?
地球一周分(40000km)の糸を集めてみると・・・・・。

bace string
建築現場でレベルを出すのに使う、水糸の原糸。
これを5〜6本撚り合わせて一本の水糸になる。
約0.35mmπの糸が、25km巻いてある。
40000km
一本25kmの巻糸が1600本、40000kmの糸。これで地球一周分なのだ!!


嘗て、私が二十歳代の頃、地球一周分の糸を一個の球体にしようと試みた(写真下)。
高額な糸を買って2200km巻いた時点で、止まってしまった。球体が大きくなって、自動巻機と自動解き機の限界が来たのだ。
折しも、アメリカでウォルター・デ・マリオが「Broken kilometer」を発表したという記事を見た。1キロメートルの真鍮管を切断してギャラリーの中に並べた作品だ。ハッキリ言ってショックだった。同じ様な事(距離の視覚化)をやろうとしていて、その扱う距離が地球一周分か、1キロメートルかの違い、もちろん作家としての知名度の違いが、とてつもなく大きいのだが。
それから30年、そのコンセプトを引きずりながら、長い時が過ぎ去ってしまった。
ここに来てハタと考えた。そうだ! 糸を巻く事はない。40000kmの糸を、そのまま掲示してみよう。
デマリオの「Broken kilometer」なんて関係ない。地球が大きいのか小さいのか?膨大な量なのか?案外これ位なのか?一度自分の目で見てみないと、私の中で、地球が見えて来ないのだ。
とにかく、五十歳半ばに差し掛かった今、ワクワクしている。
問題は、糸の購入費用だな。まともに買うと300〜400万はかかるかもねえ。

嘗ての、糸巻き作品

otomaki-1
1978年、糸を巻き始める

itomaki-2
自動巻機と解き機、
大きくなるにつれて進化している。
ito
1981年、2000kmで 一度発表。
2000km/80cm丸。



地球の丸さに付いての考察 No.1


銀座をブラブラしながら新橋から京橋まで直線距離で約1000m歩く。地球をどれくらい回った事になるのか、ピタゴラスの定理で計算してみた。
何と、水平落差 8.3 センチも回ったことになる。地球は本当に小さいねえ。

calculation
explanation

photo of Nakatazima

1986年、中田島砂丘の展覧会でのインスタレーション。

都市の中で、地球の小ささを感じる作品が作りたかった。本当は銀座の歩行者天国でやりたかったんだけど、色んな障害が多くて出来なかった。
やっぱり、やんなきゃダメだね。




独断と恐竜と人間

このところ、人間の体長の進化は巨大化する方向に進んでいる。地球規模で見ると、人口は増え続けていて一人当たりの単位空間は減少しつつある中で、一人当たりの単位体積が増加してるんだから質が悪い。
石油資源が枯渇する中で、巨大排気量の車が増え続けるのと同じ原理である。巨大化した恐竜が絶滅した原因も、環境の変化に対応出来ない身体の巨大化に原因がある。
下記の図を見ていただこう。

earth situation

左から2m、1.5m、1m の人間が、同じサイズの部屋に入った図である。相対的に2m の人間は狭い空間しか持ち合わせなくて、1.5m の人間は2m の人間の3.4 倍の空間を持ち、1m の人間は8 倍の空間を持っているのだ。
大きい事がいい事だった時代は過ぎ去ったのだ。
これからは、小さくて大きな空間を持つ事が大切なのだ。
彫刻もしかり巨大な彫刻が、一個のビルを凌駕する事よりも、小さな石ころが、宇宙を凌駕する事の方が、100倍も1000倍も美しい事なのだ。

人間の進化に対応して、地球が大きくなれば話は別なんだけどねえ。



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