2021年

11月28日 庭のミカンの木の子

Photo essayのコーナー「我が家のミカン」に書いたミカンが、熟れ極まったたようで1個ほど枝から離脱して落ちていた。
木が小さいから良く見ないと、ミカンが地面に落ちているのか? まだ木に付いているのかが分からない。
かみさんが車に乗り込むときに発見したのだった。早速1個拾って2個もいで、家の食卓テーブルの上で初物ミカンをパチリと撮る。そして1個剥いて食べてみた・・・・・・、薄い蜜柑の袋から甘い果汁が口の中に広がって、市販の蜜柑より数十倍旨かったのだ。親のひいき目で言っているのではない。本当に美味しいミカンだったのだ。
来年の秋が楽しみになった。木も少しは成長すると思うし、ミカンの実も今年の倍くらい(12個)収穫できたら嬉しいね。
筑波はミカンの北限に近いから、冬の寒さ対策をしたほうが善いかもしれない。甘やかさない程度に。

Mr.Kurisu in the quarry
食べる前にパチリと撮った



11月21日 朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや

11月21日(日曜日)友引、高校時代の同級生・栗栖君が、広島から遙々私の仕事場を訪ねてきた。
高校を卒業して、進路の大学が違う者同士が再会する機会は早々無かったし、美術を志すという一般的じゃない方向を目指す私にとって、高校は温かい場所ではなかった。
そう言えば、彼が嘗て開いた個展を訪ねたことが一回ある有るかな。10年程前だったと思うのだが、構成的な絵画作品で、実に彼らしいと思った。それ以来久々の顔合わせだ。お互いに年を食ったのう・・・という感想で、トイレが近くなったとか糖尿の気が出てきたとか、同い年の者同士の話題に花が咲く。
つくば駅に迎えに行って、私の仕事場や作品に使う石を切り出してくれる石切場を案内した。石彫家の仕事場に来たり、石切場に来て歩き回ったり出来ることは早々ないから、とても喜んでいた。石を切断する大口径のダイヤモンド切削機や、加波山の中腹にある石切場の荒々しい風景には感動したらしい。
そう言えば、私が未だ30代前半の頃、加波山中の白御影石の石切場に来て、石の存在力に感動し、作品を創るコンセプトが変わってしまったことを思い出す。地球・地殻の端っこに触れることは、宇宙の膨大な力に触れることでもある。人の感性を変えてしまうのだ。

Mr.Kurisu in the quarry
栗栖氏、石切場を案内した



10月1日 アイスランドの石と日本の石

photo essayのコーナーにも書いたのだが、アイスランド大使からフィヨルドの石を戴いた。写真左の黒い石だ。
まるで小学校の時に作った硬い泥団子を思い出す。私は泥団子作りの名手で、乾燥させる前に練炭の粉を塗してから日陰で乾燥させた後、乾いた布で磨くと、このような不思議な石に似た物が出来上がる。 だが、これは紛れもなく石である。
アイスランドの西側にあるフィヨルドで採取された石らしい。
早速アイスランドのwestfjordsをググってみた。
温暖な亜熱帯で育った日本人には、想像を絶する風景である。とにかくワクワク冒険心を駆り立てられるワイルドな風景なのだ。是非ともその地に行ってみたいと思うのだが、今からじゃ行けそうにない場所かも知れないと思うと、ちょっと悲しくなる。でも、其処の石ころを今手にすることが出来ているわけだ。とても重くて硬い石。数百万年前、氷河が大地を削り深い入り江を作る。其処に流れる水と石が岩盤に穴を彫る、いわゆるポッドホールだ。出来上がった大きな丸い穴(大きい物だと直径数十メートル深さ数十メートル)も不思議なのだが、私が注目しているのは、その穴を穿った種の芯ような石である。何所のポッドホールでも中の石は美しく丸い。しかもコンパスで描いたようなジオメトリックな球形ではなく、物理的で合理的な美しい球形でなのある。宇宙に存在する球体、恒星や惑星や衛星などの球体だ。

隣にある石は、日本の川で拾った河原石。真ん中を切って磨いたら石の中に球形の宇宙が浮いていた、なんちゃって。
石の中に惑星が浮かんでいるのだ。
レナードバーンシュタイン指揮のニューヨークフィルハーモニー、ホルストの惑星を聞きながら、テーブルの上にある宇宙に思いを馳せる。
とっておきのスコッチをお気に入りのグラスに注ぎ・・・・・・、 時間は豊にゆったりと流れていく。

 強いアルコールを口に入れると口腔癌や咽頭癌になる可能性が頗る高いから気を付けよう。だから嘗て私が口腔癌になったのだ。せめて旨い日本酒かワインまでにしておこうぜ。

Iceland fjord stone and Japanese river stone
石の中の宇宙



5月吉日 女子美・石場の鞴で、極小豆矢と小型打撃エアハンマー用の鑿を製作

女子美術大学の立体アート石場にある鞴で、超硬チップが折れて使えなくなったニューマー用の鑿を鞴で作り替えて、小さな川原石や小石を割るための極小鑿と極小豆矢を作って、焼きも入れも完了した。
その作り方と焼きの入れ方を院生に伝授しながら、世界でここだけにしかない、極小豆矢を使った作業や作品が出来る様になったのす。

tiny wedge and chizel for smal stone
川原石等を割るための極小鑿と矢を制作
stone place's forge at Joshibi
女子美石場の鞴で極小鑿と矢を作り焼き入れをする



4月吉日 女子美大の対面授業が始まる

2021.4.10日(土曜日)
4月12日から大学の新年度授業が始まる。学生との対面授業が始まるのだ。
今年で70歳になるんだが、20歳前後の学生諸君の話を聞き、私も話す。一応70年間生きてきた私の、考え方や感じ方、美術の概念と方法論とを私なりに伝えるつもりだ。
世の中は変わった。美術の見方も感じ方も受け取り方も、私が学んできた美術の概念からは大きく変容してきたのを感じている。
私が感じ思考する美術は、今の社会にはもはや、ほとんど用を足さなくなってしまったのではないか。
前年度の学生諸君が卒制で作り出した作品(前項で写真をアップしている)は、未だ私の感性の範疇にあったのだが、はたして今年度の学生はどうなるのか皆目分からない。かといって日本に蔓延る家元制度のように、私の方法に縛り付けるような愚行を行うはずもない。

面白いよね。美術って本当に面白いと思っている。それぞれがビリビリ感じるモノが違って来ているのが最高に面白いことだよ。社会の有り様と、そこで育った人の有り様が同時進行し平行して変容していく。
だから私は私自身の美術論を展開するつもりなのだが、それに賛同してくれる輩がいなくても、独りで心はワクワクする。



2月吉日 女子美石場の卒業終了制作・五美大展にて

2021年2月20日から、国立新美術館で今年度の五美大卒業生・修了生の展覧会が始まった。私は女子美術大学の石場をメインに担当しているから、石場を出て行く学生達の4年間・6年間の成果が気になるのだ。
今年度はコロナに始まってコロナ禍が未だに続いているという、学生にとっては前代未聞の最悪の状況だった。
そんな状況の中で、今年度の学生達は素晴らしい作品を残して旅立った。例年にもまして際立った作品を、ほとんど誰も見ないだろう私の普段着ブログに残したい。
kobayashi-work
小林/ライムストーン+赤御影石
takahashi-work
高橋/砂岩
Nishikawa-work
西川/赤御影石
Hamahira-Sushi
濱平/全て石で作った
Mizutani-Half dog
水谷/大理石
Iijima-forms
飯島/堆積岩
Tei-firewood
鄭/木に銅線を巻いて燃やす



1月25日 誰の仕業

cloud
庭に駐めているトラックの、助手席のサイドミラーが割れていた。
通常では、ガッチリと嵌まっているサイドミラーが、駐めている間に割れる事はないし割れたこともない。
それじゃ、何故割れた??? 誰かが故意で割ったか??? 
いったい誰が・・? 何の目的で・・?
これ以上割れないように、一応の応急処置としてテープで止めたのだが、翌日に見たらバラバラに割られて破片が下に落ちていた。
サイドミラー無しでトラックは運転できない。車検工場に注文した。

ミラーを取り外している時に、嘗て目にしたある光景を思い出した。・・・犯人は鳥だ。サイドミラーのアームにとまると、ミラーの正面に自分が映る。鏡の中の自分を敵だと思い、クチバシで激しく突っつく姿を見たことがある。その時は面白い光景だと思ったのだが、それからミラー下の地面に鳥の糞があることにも気付いた。まさかミラーを割るほど強く攻撃するとは思いも寄らなかった。
これからはトラックを駐める時には、サイドミラーカバーを掛けることにする。



1月20日 コロナ禍での出校

立体美術(彫刻)は実在を扱うためオンラインでの授業がとても難しい科目だ。
昨年の後半(9月)から学生諸君は、コロナへの防御対策を行じながら登校し、アトリエの窓を開け放ち、各自の制作を続けてきた。石を扱うアトリエではシャッターを開け放って扇風機と集塵機を点けて、学生間の距離も7〜8メーターは空いていて、それぞれは完璧な防塵マスクとゴーグルを付けて制作に取り組んできた。恐らく最強のコロナ対策だと思うのだが、普段からそんな出で立ちで制作しているから別段違和感はない。
昨年暮れからコロナウイルスの感染者が急増し始めて医療崩壊も始まっている。緊急事態宣言で、不要不急の外出は避けなければならないのだが、この時期は4年生の卒業制作審査と院生の終了制作審査、卒業修了作品カタログの写真撮影に向けての設営等々、出校しなければならない事象が山積みなのだ。
大学には美術に関する多くの学科があって、ほとんどはオンラインで進めらているから大学自体は閑散としているのだが、立体アートだけは多くの学生が登校し制作している。活気があるのだ。
今年の終了・卒業作品は力作揃いである。コロナの蔓延が下火になって、美術館での展覧会が開催されることを祈っている。

家から大学までは片道3時間ほど掛かる道程を車で行き来している。人とは接触しない。連日の授業や予定が入っている日は、大学に宿泊するから差ほど過酷な状況でもない。とにかく早くコロナが終息して、安全な新学期が始まることを祈ってやまない今日この頃なのだ。



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