最初(1983年)は、研究施設や大学が誘致されて間もない、学園都市「つくば市と」、大都市ニューヨークのプラザホテル前と、アフリカのサバンナの草原の中とを3本の同心円中で結び付けるというプランだった。その後、アメリカのホワイトハウスとソ連の赤の広場を同心円中で結び付けるというプランに変化したが、実現は出来なかった。 1993年に広島新空港が開港する時に、エアポートビルのエントランスに国際空港モニュメントとして、円柱プランが実現した。 ART WORK HP の中の "Projects" ページの「円柱 Project」です。下記をクリックください。
私が思う彫刻(2009.4.)
昨今、様々なメディアから提供される情報が、大きな流れとなって社会動向や人間性をも左右しようとしている。
問題は、その流の方向が一方向のみに限定されている事だ。それは、パブリックインタレスト、イージーアンダースタンド、大衆が興味を持っている事、誰でも容易に理解しうること、という限られた指向性しか持ち得ない事である。
受け手不在の情報はあり得ないし、大衆に理解されない情報も成立しないのだ。すなわち情報体系自体が経済体系そのもの、資本主義そのものなのである。
分かりにくいものや、深い思考を必要とするモノ、大衆の興味が薄いモノは、マスメディア上の情報には載っからない。「自分の目で見て肌で感じて、自分で考えなさい」という情報は成立しないのである。
大衆(情報の受け手)は、お金を出して大量にモノを消費するブロイラーなのだ。個々の嗜好や思考を放棄し、与えられた情報に洗脳される単純なブロイラーを作り出すために、メディアは日々進化し、情報は操作されてきたのである。
それは美術芸術分野もしかりである。分かり易いもの、受け手が思考する必要のないもの、(何なのか一見して分かるもの、かわいいもの、細部まで作り込む技術が目に付くもの)だけがアートとして流通し氾濫するという現象を誘発しているのだ。
本来、人間とは考える葦であるはずなのだが・・・。
逆説的に、流行を追わないファッション、情報に逆行するライフスタイル、大衆が向かな方向を目指す。犯罪は別にして、それが流行りになれば面白いと思うんだけどねえ。
A form of the COSMOS
彫刻とは・・・? よく分からないでいる。
茫漠とした自己の存在。リアリティーとしての形態が確保できないでいる。ただおぼろげながら、存在としての黙示的ボリュームはうっすらと認識はできる。
人は自然界の特異的末端だとすれば、大いなる自然はその行為も含めた総体としての人をも含有するはずだ。すなわち自然は人という特異的末端にも、須く自然の摂理を与えるはずなのだ。だとすれば、私が私的な独断と偏見において、心中の茫漠とした有り様を造形することと、宇宙の中で自然の摂理に則って1個の星が誕生することとは、同等同義であるはずである。況や、宇宙が今ここに厳然と存在している理由と、私が今ここにいて生きて思考している存在理由とは、その因果律に於いても全く同等同義なはずなのだ。
彫刻とは、1個の星(宇宙)を誕生させる事。それは私的な1個の宇宙の有り様。
地球の大きさに付いての考察「地球の水糸」1978〜1983〜2006(この記事を書いた時)〜 続く
地球の大きさはどれくらいなんだろうか?
地球一周分(40000km)の水糸を1個の球体に巻いてみたい・・・・・。
建築現場でレベルを出すのに使う、水糸の原糸ロット。 この原糸を3本撚り合わせて水糸になる。 この1本のロットに約0.33mmπの原糸が、25km巻いてある。
一本25kmの水糸原糸が1600本、40000kmの水糸。これで地球一周分なのだ!! 地球は大きいと見るか?小さいと見るか?
嘗て、私が二十歳代の頃、地球一周分の水糸を一個の球体にしてみようと試みた(写真下)。私が生きている惑星(地球)は、私が感じるという自分にとっての絶対的感覚に於いて、大きいのか?小さいのか? それを見て感じてみたいと思ったからだ。
色々調べた結果、水糸の原糸が一番手頃値段で強いという事が分かって、水糸原糸を取り敢えず日本の長さ3000km買った。当時の私にとって3000km/¥15万という金額は、清水の舞台から飛び降りるくらいの高額な出費だった。一般の方々や親から見ると、アホだと非難される行為だ。当時、友人連中5人と小田急線の百合ヶ丘にアトリエとしてプレハブの建物を借りたばかりで、その一角に糸巻き機を造り、改良しながら日々巻き続け、数年後に初個展で出品した。その後も巻き続け、2200kmまで達した時点で止まってしまっている。巻くためのスペースが消滅してしまったことと、球体が大きくなって、自動巻機と自動解き機の限界が来た事による中断だ。
折しも、アメリカでウォルター・デ・マリオが「Broken kilometer」を発表したという記事を見て、大ショックを受けた記憶がある。1キロメートルの真鍮ロッドを切断してギャラリーの中に並べた作品だ。同じ様な事(距離の物質化・視覚化)をやろうとしていて、その扱う距離が地球一周分か、1キロメートルかの違い、もちろん作家としての知名度の違いが、とてつもなく大きいのだが・・・。
それから30年、そのコンセプトを引きずりながら、長い時が過ぎ去ってしまった。
ここに来てハタと考える。そうだ! 糸を巻くんじゃなくて40000kmの糸をそのまま掲示してみたらどうか?
デマリオの「Broken kilometer」なんてもはや関係ない。地球が大きいのか小さいのか?圧倒される量なのか?案外これ位なのか?一度自分の目で見てみないと、私の中で、地球の大きさが見えて来ないのだ。
とにかく、五十歳半ばに差し掛かった今、ワクワクしている。
問題は、糸の購入費用だな。今現在まともに買うと350〜500万はかかる。
1983年までの、糸巻き作品
1978年、糸を巻き始める
自動巻機と解き機、
大きくなるにつれて進化している。
1983年の初個展で、2000km(北海道宗谷岬から鹿児島薩摩半島までの距離)の時に発表した
(2000km/約80cm丸)。それ以後、百合ヶ丘のアトリエKUUのスペースが無くなるまで巻き続ける。
地球の丸さに付いての考察(1983)、地球上の2地点を同心円柱で繋ぐ(1993年)
日常の生活空間の中で、地球の丸さや大きさを感じる事が出来る。
最初(1983年)は、研究施設や大学が誘致されて間もない、学園都市「つくば市と」、大都市ニューヨークのプラザホテル前と、アフリカのサバンナの草原の中とを3本の同心円中で結び付けるというプランだった。その後、アメリカのホワイトハウスとソ連の赤の広場を同心円中で結び付けるというプランに変化したが、実現は出来なかった。
1993年に広島新空港が開港する時に、エアポートビルのエントランスに国際空港モニュメントとして、円柱プランが実現した。
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地球の丸さに付いての考察(1985年)
銀座をブラブラしながら京橋の交差点から銀座8丁目の交差点(新橋)まで直線距離で約 1km 歩く。都会の中ではウインドウショッピングとして、何てことない距離だ。 その約15分の間に、地球をどれくらい回った事になるのか?ピタゴラスの定理で計算してみた。
何と、水平落差 8.3 センチも回ったことになるのです。地球は本当に小さいかも知れないねえ。
1986年、中田島砂丘の展覧会でのインスタレーション。
都市の中で、地球の丸さを感じる作品が作りたかった。本当は銀座の歩行者天国で、1kmの水の入ったホースを使って表したかったけど、色んな障害があって出来なかった。
やっぱり、やんなきゃダメだね・・・。
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