岡本敦生展「堆積」コメントより - 堆積 -江ノ川の源流から峰を一つ超えると、広島市に注ぐ太田川の支流が始まる。私は太田川の中流域で生まれ、その川の隣で育った。私が物心付いたのは戦後十数年経過した頃で、生活物資が欠乏する中、広い河原を日がな、自分の気に入った石コロを捜して遊んでいたのを覚えている。未だに、河原を見付けると、石コロを捜して歩きたくなる。時の経つのも忘れて捜し回っている自分に気付くのだが、かと言って、そこに高価な石や貴重な石片が転がっている訳ではない。私の記憶の奥深くに刷り込まれた、「とにかく石を探せ」という指令に対し、体が無意識に反応するのだ。無数に転がっている河原の石コロの中に、大切な何かを見つけ出したいと思っているのかも知れない。遥かな時空間の広がりと、長い記憶の堆積の中に何かがあるはずで、それをひたすら探りたいのかも知れない。しかしそれが、私に何を示唆し、どんな意味を与えてくれるのか、皆目見えてはいないのだ。強いて言えば、「愛おしい」という感覚だけがその周辺に漂っている。
会場スナップ
岡本敦生展「堆積」
コメントより - 堆積 -
江ノ川の源流から峰を一つ超えると、広島市に注ぐ太田川の支流が始まる。
私は太田川の中流域で生まれ、その川の隣で育った。私が物心付いたのは戦後十数年経過した頃で、生活物資が欠乏する中、広い河原を日がな、自分の気に入った石コロを捜して遊んでいたのを覚えている。
未だに、河原を見付けると、石コロを捜して歩きたくなる。時の経つのも忘れて捜し回っている自分に気付くのだが、かと言って、そこに高価な石や貴重な石片が転がっている訳ではない。私の記憶の奥深くに刷り込まれた、「とにかく石を探せ」という指令に対し、体が無意識に反応するのだ。
無数に転がっている河原の石コロの中に、大切な何かを見つけ出したいと思っているのかも知れない。遥かな時空間の広がりと、長い記憶の堆積の中に何かがあるはずで、それをひたすら探りたいのかも知れない。
しかしそれが、私に何を示唆し、どんな意味を与えてくれるのか、皆目見えてはいないのだ。強いて言えば、「愛おしい」という感覚だけがその周辺に漂っている。