97   円柱の発掘 2022年5月20日

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informationにも書いたのだが、広島空港にある円柱モニュメント移設に向けての試掘を視察してきた。
 広場に建てた円柱を掘り出すと言っても、畑に植えた大根をスポンと引っこ抜けば、はい完了とは行かないから厄介なのだ。まるで古代の石像遺跡を発掘する様に、丁寧に時間をかけて掘り進めていかなければ、円柱を取り出すことが出来ない。その試掘作業を見ていて、ハタと・・・最近私が作っている彫刻作品に、とても似ていることに気付いた。今年の9月に個展で発表するために現在作っている作品なのだが、正に地中に埋まった円柱を掘り出す様に、石の中に埋まった空洞を、その周りにある石の形(円柱形)として掘り出す作品である。
 石の中に自分が開けた穴があって、反対側からひたすらにその穴の周りにある石を探りながら掘り出す事に集中している。 クールになって、自分のやっていることを客観視すると、こんなこと(自分の開けた穴を発掘する事)に興奮を覚えているのは、私(作者)だけじゃないかという事に気付きながら、ハードな作業を続けている。

 近年の美術の傾向として、スマホのSNSで「いいね」を多く獲得することが、Artistの評価に繋がる傾向にある。スマホの向こうにいる同類の大衆の感性と興味に訴えかけ、同調させることが重要なのだろうが、問題は作家の方が大衆に同調している場合が多い。同調する事で多くの支持を生み、自己の価値に繋がると思っている輩が多いのだ。このSNSの「いいね」がギャラリーでの作品販売に大いに関わっているという話しもよく耳にする。
 実は、この大衆の「いいね」は資本主義のベースに在る。「いいね」を多く獲得した事象が経済上の優位を独占し、独占するからより多くの大衆の興味と関心を得る事になる。それを基軸に文化や文明、ひいては国家としての体制が築かれてきた。プロパガンダが世界に蔓延り国家国民を洗脳し続けるのも、偽情報が世の中の真実を覆い隠そうとしている現象も、大衆の「いいね」に惑わされる個人が多いからに他ならない。
 今や、それが美術であってもしかりである。大衆の「いいね」を獲得しない作品、すなわち大衆の興味や感性に合致しない作品は生き残れないし、それが分かっているから大衆のインタレスト方向に向かうし、その方に走らされているのだ。
 資本主義は、人の欲望をベースに構築された経済理論だと思っている。すなわち、目指す方向が間違いだと分かっていても、人の欲望は抑える事が出来ないし、後戻りできないのだ。今の社会が抱える問題や現象、加熱する地球の状況が分かっていて、このまま突っ走ると破滅する事が分かっていても止める事が出来ないのだ。この資本主義システムをベースとした社会に人として居る限り、この現象を止める事は出来ないのではないか。
ただ唯一、この世の中でそれが出来る可能性がある人種が居るとすれば・・・、全ての欲望から解き放たれた者としての表現者・芸術家(kunstler)ではないかとも思っている。

 さて、自作について・・・、私は大衆に共感される事や、大衆の支持や興味を得る事を目的とした、思考上・制作上のモチベーションを支持しない。すなわち資本主義経済の申し子になる事を目的としたArt(美術)を支持しないのだ。
 私が想う美術は、多様な考え方や表現や思考の中で、自分だけが気付ける事だったり表現できる事を、ひたすらにコツコツとやっていく事ではないかと思っている。
 私が目指す美術は、誰も振り向かないかも知れない所にこそ、自らの興味と思考と行為があり、そこに自身が奮い立っている事にワクワクするのだ。自身が開けた穴の形を彫り出す事や、世の中の誰も興味を持たないこと、そんなアホな事に、ワクワクできるのは私だけかも知れないと思っているから、ワクワクするのだ。
 今のところ、それが私が想う美術/kunstだ。

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9月の個展のために、現在作っている彫刻作品昨年暮れに作った小品「案山子の穴」
ただの雑談

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