ジェシーが彫刻シンポジウムでニュージーランドに発つと言うので、ニューヨークに行く事にした。ボストンまで戻って、空路ニューヨークに入る。2001年9月11日、ボストン発ニューヨーク便が、同時多発テロに使われた事もあって、空港での警備とチェックは相当に厳しい。預ける荷物は、手を離れてから内容物のチェックが行われる。鍵を掛けておくと、鍵ごと壊されるのだ。その日も荷物チェックに時間がかかって、出発時間が30分ばかり遅れたのだ。何れにしても初めてのニューヨークで、彼方此方を見聞したいのだが、滞在期間が短かったため、美術館やギャラリーを廻るだけで手一杯である。右の写真はグランドゼロを訪れて撮った写真だ。空虚な時空の穴を目の当たりにすると、2年半前にテレビ映像で見た、あの衝撃的映像を思出さない訳にはいかない。辺りのビル群を圧倒して聳えていた貿易センタービルの俤は、今では行き交う人々のイマジネーションの中で、虚構の楼閣として憤然と聳えているのかも知れない。その残像を自己の中で確かめる様に、未だに壁面の歪んだ高層ビルや、骨組みの鋼材が露わになったビルを確認する。あれは夢の中の出来事じゃなかったのだ。それは、確実に20世紀のパラダイムの崩壊を暗示させるネガティブなモニュマンとして、私の中に記録された。メトロポリタン、ホイットニー、グッケンハイム、モマ、PS1等々、主だった美術館を廻って先ず思う事は、人の多い事だ。どこも溢れんばかりの人でごったがえしている。サッカーや野球を見に来てるんじゃない。美術鑑賞に来ている群衆なのだ。正に美術館がライブコンサートの熱気を孕んでいるのだからスゴイのだ。ある意味で、生の現代美術の展覧会はライブコンサートと言えなくはないのだが、メトロポリタン美術館(写真はエントランスホール)等は、人類の文化史上の美術品を収集しているから博物館に近い。そこがとにかくごったがえしているからスゴイのだ。クロークで手荷物を預けるのに30分は列ばなくてはならないから尋常じゃないのだ。日本の美術館は閑古鳥が鳴いて、入館者数を上げるために民放テレビもどきのプログラムまで組んで悪戦苦闘している事を思うと、夢の様な話である。何故日本人は美術館を遠いものとしてみているのか、戦後の日本が辿ってきた文化や文明の道筋に、そこいら辺りの回答が潜んでいる様な気がしてならない。高度成長期、金になる事が、全ての価値観を凌駕してしまった。アート全般に対してもしかりで、大衆受けする事が唯一の価値基準になったきらいがある。「儲かる事」→「お客様は神様」→「大衆に学べ」→「民衆に受ける」→「金になる」→「素晴らしい」という図式が時代を制覇したのだ。経済活動から政治活動、教育からマスメディアに至るまで、この経済理論が社会を圧巻してしまった。もちろん美術というカテゴリーの中では、その図式に反発したり、新たな時代を示唆しようと試みたアーチストは多くいるのだが、社会を取り巻く現象として、それらはあくまでマイノリティーでしかない。マジョリティーに価値を見いだそうとする社会現象の中で、美術は自身のカテゴリーの中に埋没するしかないのである。奇しくも近年、村上隆氏などの、「大衆化こそアート」、アートは時代に迎合する事であるという、戦後の日本が辿ってきたコンセプトをフォローする作家が出現してきたのだ。そこにはポップアート系の、アイロニーを含んだ社会性は無いのだが、いやアイロニーが無いところが日本的で新しいのかも知れない。しかしながら、それは個々の中で自明な事であり、衆知の事として日本の経済社会全体が(デザインもマスメディアも音楽も中小企業も大企業も、日本列島つつ浦々)辿って来たやり方なのだ。決して目新しいものじゃない。唯一、美術の理念がその事に背を向けて来たのだ。いや、人として、生命の理念として、金に奔走する社会現象に対し、唯一の批判精神を維持しうる可能性として、美術芸術理念があったのだと思っているのだが・・・。それはある意味で美術というカテゴリーに課せられた枷であり、同時にエネルギー源でもあった。果たして、その枷を取り払った時、美術(アート)そのものが崩壊する気がしてならない。すなわち、美術や芸術・アートの本質的な存在理由が無くなってしまうのだ。その後には、言葉としてのアート、商品としてのアート、同時に家元としての美術制度は残るのだろうが・・・。ちょっと話しが別な方向に逸れてきたから、話を美術館に戻して、アメリカの美術館でもヨーロッパの美術館でも、小学生や中学生の受業風景をよく見かける。学校の美術の受業や社会科の受業を美術館でやっているのだ。作品の見方・考え方・感じ方を含めて、社会の中で何故アートが必要なのかを、作品に接しながら教えている。生徒は嬉嬉として美術館を探索し展示作品と関わっている。この光景は日本には無い。学校教育で美術館に行くという事は、ほとんど無いと言っていいのだ。かつて日本の中学校の先生に聞いたことがあるのだが、校外受業は極力避けているという言葉が返ってきたのだ。なぜなら引率時の事故を危惧するあまり、校長が同意しないらしい。事故が起こったら、責任が取れないという事が一番大きなネックになっているらしいのだ。今や校内にいたって不審者が乱入してくる御時世で、何処に居たって、それなりの危険は免れられない。もっと勇気を持って、美術館を活用される事を提案するし期待もする。美術館をフジテレビ化にする事にリキを入れる行政じゃなくて、もっと教育の現場から社会を問う事、美術の大切さ、文化の大切さを説く事の方が重要だと気付いて欲しいものだ。日本人は、金よりも大切なモノを持っている事を、子供達に伝えて欲しいものだ。ひいては、それを世界に示す事が、これからの日本のあり方に重要な影響を及ぼす気がしてならないのだ。現にヨーロッパやアメリカの人達は、そういう自負を持って、自分たちの文化を育んでいる。美術館が混み合うという不満点はあるにしても。最後に、亀石が御厄介になったスタッテン島のスナッグハーバー・カルチャーセンターに行ってみた。自由の女神を右手に仰ぎながら、無料フェリーでスタッテン島に渡る。40番のバスに乗り継いで、スナッグはバー・カルチャーセンターで下車。目の前に鉄格子に囲まれたカルチャーセンターの広い敷地と、古い建物群が在った。華やかなマンハッタンとは違って、結構荒んだ雰囲気が漂っている。2棟の古い建物がビジュアルアートセンターになっていて、ちょうどアジアの現代美術展をやっていた。さして感動の無い展覧会だったのだが、杉本タカシさんのビデオ作品が群を抜いて目を引いたのを覚えている。建物の地下空間に、それぞれのオフィスがあって、同センターのディレクターで亀プロのコラボレーターでもあるオリビアさんを訪ねたのだが、3ヶ月前にブロンクスの美術館のディレクターになったらしく、会えなかったのが残念。アメリカ滞在の最終日の夕方だったために、ブロンクスの美術館まで足を伸ばせなかったのだが、カルチャーセンターの人達が、建物の柱に一年間繋がれていた亀石を覚えていてくれたのが、とにかく嬉しかったのだ。そんなこんなで私の訪米の最終日は暮れていった。
20 New York
ジェシーが彫刻シンポジウムでニュージーランドに発つと言うので、ニューヨークに行く事にした。
ボストンまで戻って、空路ニューヨークに入る。2001年9月11日、ボストン発ニューヨーク便が、同時多発テロに使われた事もあって、空港での警備とチェックは相当に厳しい。預ける荷物は、手を離れてから内容物のチェックが行われる。鍵を掛けておくと、鍵ごと壊されるのだ。その日も荷物チェックに時間がかかって、出発時間が30分ばかり遅れたのだ。
何れにしても初めてのニューヨークで、彼方此方を見聞したいのだが、滞在期間が短かったため、美術館やギャラリーを廻るだけで手一杯である。
右の写真はグランドゼロを訪れて撮った写真だ。空虚な時空の穴を目の当たりにすると、2年半前にテレビ映像で見た、あの衝撃的映像を思出さない訳にはいかない。辺りのビル群を圧倒して聳えていた貿易センタービルの俤は、今では行き交う人々のイマジネーションの中で、虚構の楼閣として憤然と聳えているのかも知れない。その残像を自己の中で確かめる様に、未だに壁面の歪んだ高層ビルや、骨組みの鋼材が露わになったビルを確認する。あれは夢の中の出来事じゃなかったのだ。それは、確実に20世紀のパラダイムの崩壊を暗示させるネガティブなモニュマンとして、私の中に記録された。
メトロポリタン、ホイットニー、グッケンハイム、モマ、PS1等々、主だった美術館を廻って先ず思う事は、人の多い事だ。どこも溢れんばかりの人でごったがえしている。
サッカーや野球を見に来てるんじゃない。美術鑑賞に来ている群衆なのだ。正に美術館がライブコンサートの熱気を孕んでいるのだからスゴイのだ。
ある意味で、生の現代美術の展覧会はライブコンサートと言えなくはないのだが、メトロポリタン美術館(写真はエントランスホール)等は、人類の文化史上の美術品を収集しているから博物館に近い。そこがとにかくごったがえしているからスゴイのだ。クロークで手荷物を預けるのに30分は列ばなくてはならないから尋常じゃないのだ。日本の美術館は閑古鳥が鳴いて、入館者数を上げるために民放テレビもどきのプログラムまで組んで悪戦苦闘している事を思うと、夢の様な話である。
何故日本人は美術館を遠いものとしてみているのか、戦後の日本が辿ってきた文化や文明の道筋に、そこいら辺りの回答が潜んでいる様な気がしてならない。高度成長期、金になる事が、全ての価値観を凌駕してしまった。アート全般に対してもしかりで、大衆受けする事が唯一の価値基準になったきらいがある。
「儲かる事」→「お客様は神様」→「大衆に学べ」→「民衆に受ける」→「金になる」→「素晴らしい」という図式が時代を制覇したのだ。経済活動から政治活動、教育からマスメディアに至るまで、この経済理論が社会を圧巻してしまった。もちろん美術というカテゴリーの中では、その図式に反発したり、新たな時代を示唆しようと試みたアーチストは多くいるのだが、社会を取り巻く現象として、それらはあくまでマイノリティーでしかない。マジョリティーに価値を見いだそうとする社会現象の中で、美術は自身のカテゴリーの中に埋没するしかないのである。奇しくも近年、村上隆氏などの、「大衆化こそアート」、アートは時代に迎合する事であるという、戦後の日本が辿ってきたコンセプトをフォローする作家が出現してきたのだ。そこにはポップアート系の、アイロニーを含んだ社会性は無いのだが、いやアイロニーが無いところが日本的で新しいのかも知れない。
しかしながら、それは個々の中で自明な事であり、衆知の事として日本の経済社会全体が(デザインもマスメディアも音楽も中小企業も大企業も、日本列島つつ浦々)辿って来たやり方なのだ。決して目新しいものじゃない。唯一、美術の理念がその事に背を向けて来たのだ。
いや、人として、生命の理念として、金に奔走する社会現象に対し、唯一の批判精神を維持しうる可能性として、美術芸術理念があったのだと思っているのだが・・・。それはある意味で美術というカテゴリーに課せられた枷であり、同時にエネルギー源でもあった。果たして、その枷を取り払った時、美術(アート)そのものが崩壊する気がしてならない。すなわち、美術や芸術・アートの本質的な存在理由が無くなってしまうのだ。その後には、言葉としてのアート、商品としてのアート、同時に家元としての美術制度は残るのだろうが・・・。
ちょっと話しが別な方向に逸れてきたから、話を美術館に戻して、アメリカの美術館でもヨーロッパの美術館でも、小学生や中学生の受業風景をよく見かける。学校の美術の受業や社会科の受業を美術館でやっているのだ。作品の見方・考え方・感じ方を含めて、社会の中で何故アートが必要なのかを、作品に接しながら教えている。生徒は嬉嬉として美術館を探索し展示作品と関わっている。
この光景は日本には無い。学校教育で美術館に行くという事は、ほとんど無いと言っていいのだ。かつて日本の中学校の先生に聞いたことがあるのだが、校外受業は極力避けているという言葉が返ってきたのだ。なぜなら引率時の事故を危惧するあまり、校長が同意しないらしい。事故が起こったら、責任が取れないという事が一番大きなネックになっているらしいのだ。今や校内にいたって不審者が乱入してくる御時世で、何処に居たって、それなりの危険は免れられない。もっと勇気を持って、美術館を活用される事を提案するし期待もする。美術館をフジテレビ化にする事にリキを入れる行政じゃなくて、もっと教育の現場から社会を問う事、美術の大切さ、文化の大切さを説く事の方が重要だと気付いて欲しいものだ。日本人は、金よりも大切なモノを持っている事を、子供達に伝えて欲しいものだ。ひいては、それを世界に示す事が、これからの日本のあり方に重要な影響を及ぼす気がしてならないのだ。現にヨーロッパやアメリカの人達は、そういう自負を持って、自分たちの文化を育んでいる。美術館が混み合うという不満点はあるにしても。
最後に、亀石が御厄介になったスタッテン島のスナッグハーバー・カルチャーセンターに行ってみた。自由の女神を右手に仰ぎながら、無料フェリーでスタッテン島に渡る。40番のバスに乗り継いで、スナッグはバー・カルチャーセンターで下車。目の前に鉄格子に囲まれたカルチャーセンターの広い敷地と、古い建物群が在った。華やかなマンハッタンとは違って、結構荒んだ雰囲気が漂っている。2棟の古い建物がビジュアルアートセンターになっていて、ちょうどアジアの現代美術展をやっていた。さして感動の無い展覧会だったのだが、杉本タカシさんのビデオ作品が群を抜いて目を引いたのを覚えている。建物の地下空間に、それぞれのオフィスがあって、同センターのディレクターで亀プロのコラボレーターでもあるオリビアさんを訪ねたのだが、3ヶ月前にブロンクスの美術館のディレクターになったらしく、会えなかったのが残念。アメリカ滞在の最終日の夕方だったために、ブロンクスの美術館まで足を伸ばせなかったのだが、カルチャーセンターの人達が、建物の柱に一年間繋がれていた亀石を覚えていてくれたのが、とにかく嬉しかったのだ。
そんなこんなで私の訪米の最終日は暮れていった。