51   豪勢な見舞客

2006.2月吉日、H.C.大学の講義と講評会を終えて、東京に帰って来た。折しも建畠覚造さんとその仲間達の展覧会のオープンで、会場には行ったのだが、何となく体調が優れないで咳と微熱気味なので、2次会には出席しないで帰って来た。(その二日後に、先生がお亡くなりになったという悲報を耳にした。ショックだった。)
つくばに帰って来た翌日、体調の悪化で病院に行ったら、インフルエンザA型だった。guest
病院でもらったタミフルと解熱剤を飲み外出を避け、とにかく安静を続ける生活になった。やらなきゃならない事は、膨れ上がった焼き餅の様にパンパンなんだけど、それが焦げ付かない程度に、直火と私の視線から遠ざけて、しばらくは丁度いい休息だと諦めるしか無い。
インフルエンザと分かった翌日にJ.B.大の学生と、非常勤の先生が来るというんで、「歓迎するぞ。お土産にハードなインフルエンザをイッパイやるから、遠慮しなくていい」と言ったら、来ない事にしたようだ。そりゃそうだ。
タミフルをほぼ飲み終えた18日、彼等はやって来たのだ。私は未だ本調子じゃないから、料理も億劫だし家の掃除なんて、半月以上はやってないけど、まあいいや、彼らに任せる事にした。個展の開催とその後の静岡とオランダと広島で、ほとんど家に居なかったから仕方ないとはいうものの、家に居なくてもちゃんと汚れるものは汚れるし、まるで差し引かれる所得税額の様に誠実に、埃もちゃんと溜まるんだよな。
その夜、彼等が腕を振るったディナーは、超旨い鍋と、東南アジア風のウドンと、鶏の炒めのもと、私の好物ポテトサラダだった。久々に山盛りの美味い食事を摂り、美味いシャンペンと、手に入らない美酒と、柔らかな焼酎をたらふく飲んだ。私は朝の3時頃布団に入ったのだが、若者はその後も元気に起きてたらしい。
翌朝、お客さんは11時に起きて、やおら家の大掃除を開始した。レンジ周りのこびり付いた油汚れとか溜まった洗物とか、1F,2Fの全ての部屋に掃除機をかけて、その後、昼食がてら皆で出掛けてから、ス〜ッと帰って行った。
病み上がりの私としては、まるで竜巻の渦の中に居た様だったけど、ちゃんと美味しい物が食えて、家も奇麗になった。
ウ〜ン、これって悪くないかも。



49   鞴祭り

Flamenco2005.11月吉日、二つの大学の学科内で安全祈願の鞴祭りがあった。
Fuigosai写真の右は、神事終了後の、T大工芸学科の超人気イベント、フラメンコ同好会所属の学生による「フラメンコ」である。日頃は物静かで、はにかみ屋の学生が、スポットライトの中では目を見張る程の表現力なのだ。そのギャップの大きさにドッキリとさせられてしまった。
写真左は、J大の安全祈願祭。神事の後のアトラクションこそ無いが、石場のシャッターから透けて見えている紅白の垂れ幕が、秘めた熱気を感じさせてくれる。
TもJも引っ括めて、学生は未だ未だガキだと思っているのだが、若者の4年間は成長が早い。私の年代の10〜15年分に匹敵する変化を、アッという間に成し遂げてしまうのだ。追いつけない様な、でも羨ましい様な、何となく嫉妬に似た面持ちで、静かに眺めている。


46   身体表現サークル

2005.10.15、HS大の連中(教え子なんだけど)が、最近やたらとアチコチに出没しているらしい。
その名前というか、グループ名は「身体表現サークル」というのだ。創作ダンス、創作パフォーマンスを褌一丁の出で立ちで、繰り広げるらしいのだが、未だ実演をこの目で見たことはない。
先日HS大での授業の折、彼らの韓国でのパフォーマンスをビデオで見た。彼らが言ってる様に、宴会芸から出発したというコンセプトさながらに、滑稽な中にも彼ら一人一人の無骨さと真剣さが滲み出ているパフォーマンスだった。それがまた親しみを覚えて面白いのだ。
ダンスメンバーの一人に聞いてみた。目指している本業は彫刻家なのかパフォーマーなのか? 彼曰く、もちろん彫刻家です。とのこと。
そう言えばこの集団は、ダンスの指導的立場のメンバーを除いて、年と共に入れ替わっている。在学中のみのダンスメンバーの様だ。身体表現サークルが世の中で受ける受けないには関係なく、実にサッパリしたもので、大学を卒業したらサークルも卒業していく。逆に歳食ってからもあれをやってたら、ちょっと恥ずかしいかもねえ。
今回も横浜トリエンナーレに出ているのだが、金が無いからあまり行かないと言っていた。
自分たちは好きで踊るけど、社会に媚売ってまでも踊らされない。そこいら辺りが今的で魅力なのかも知れない。


44   タバコの煙

2005.9.6、台風14号が猛威をふるっている真っ只中、新幹線で東京から広島に向かった。
案の定、山陽新幹線は運転見合わせで、大阪で止まってしまった。新大阪で一泊する羽目になってしまったのだが、旅にトラブルは付きも。先日も宇部からの帰路、日航機が欠航して、夜中に羽田からつくばまでタクシーで帰った事も含めて、もはや慣れっこになってるから差して苦にならない。
そんな事より、今回の新幹線で喫煙車両に乗った事の大失敗である。日頃は何時も禁煙車両に乗るのだが、今回は電車の中で夜を明かす事も想定に入れていたから、ついつい喫煙車両に乗ってしまったのだ。
私は喫煙者である。とは言っても1ミリのタバコにヤニ取りニコチン軽減のパイプを付けての喫煙だから、限りなく空気に近いタバコを吸っている。
車両に乗った途端に、喫煙車両の中は煙がムンムンしていて、臭くてたまらない。隣のアンちゃんや、前後の席の叔父さんお兄さんが、ひっきり無しに火を付けるから、煙が収まる暇がないのだ。小一時間も座ってると頭が痛くなってくる。結局自分では一本のタバコも吸わないで、頭がガンガンになって新大阪に着いた。
考えてみると、実に我が儘な話である。自分はタバコを吸うくせに、人のタバコの煙は吸いたくない。伏流煙は一ミリでも嫌だし、タバコ臭いのも嫌いだ。嫌煙家が語句を荒立てて文句を言いたくなるのも、よ〜く分かる。かと言って、自分の吸う空気みたいなタバコを止めようとは思わないし、しかも自分の出す伏流煙さえも吸いたくないから、自分の家では換気扇の下でしか吸わない。ホテルの部屋でも窓を開けてから、窓の外で吸う。窓の開かないホテルでは、トイレの換気扇を点けて、その換気扇の下で吸う。
詰まる所、禁煙時流に付いて行けない人間の、わがままな弁証法的詭弁なのだが、問題は私の中での、換気扇とタバコの相関関係なのだ。すなわち、換気扇がないとタバコを吸わないし、あまり吸いたいとは思わない。逆に換気扇を見ると・・・。


43   入道雲

2005.8.某日
コラボ作品で悪戦苦闘していた夏の日、ユマニテ東京の土倉さんが訪ねて来た。仕事場にいる連中や、近隣の作家連中と那珂川のヤナに鮎を食いに行った。昼間っから生ジョッキを2杯も飲んで、一時の夏の風情を味わったのだ。

yana-2005 kumo

ヤナの帰りに夕立があった。
仕事場に帰って、北の空を見上げたら、巨大な入道雲が立ち上がっていた。こいつの下では雷ゴロゴロが激しくて、大粒の雹も降るし、もっと巨大になると竜巻も起こる。
今年の夏は、未だ家の電気系統は雷にやられていないが、油断大敵なのだ。


38   ファッション?

2005.2.27
ファションはパッションから生まれる。パッションは、足下から?・・・なーんちゃってね
とにかく、靴を左右逆に履くのが新しいパッションなのだ。そうすると自分の片方の足が、隣に居る人の足と対になる。親密なるコミュニケーションは不要、貴方の左足と私の右足は一対なのだから。

New Fashion-1 New fashion-2

The new fashion comes from the method of representation how we stand up the ground. こうやって、アホな夢を見てると、歳を食わないのかもね。写真左はJB大の学生達と、銀座を闊歩した時に撮ったもの。
ふむ!!! これは「idea」コーナーに書くべき事だな。

ただの雑談

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