a towering thundercloud
日本のオリジナル

浅草寺の五重塔
浅草に立ち寄ったついでに、浅草寺に行ってみた。時間は夕方5時を回ったばかりなのに辺りは黄昏れていて、浅草寺の境内も人がまばらである。まるで競りの終わった市場のように、ゆったりとした時間を取り戻しているのだ。ガランとした浅草寺も悪くないもんだなと、感動しながら境内をゆっくりと散策させてもらった。ついでに、おみくじまで引いてみたんだけど、よりによって凶だったから撚りに撚って境内に結びつけてきた。
境内の伽藍は暖かい色でライトアップされて、闇に変わる寸前の深い群青色の空を背景にして、見惑うばかりに浮き立っていた。
なんと美しい!こんなにも力強くて緻密で、しかも優雅な建造物を嘗ての日本文化は創造したんだ! コンピュータも無い時代に、こんなにも複雑な構造を誰が考案して誰が作ったんだ!
これ引き替え、今の建築物の安っぽい事。全てが張りぼてで、薄っぺらで安価なんだよな。もちろん耐震構造上から重厚な素材や、強度データが取れない素材の使用は難しいのかも知れないが、特に今の文化や文明は、利便性と経済性が最も重要視されるからプレハブ的にならざるを得ないわけだ。人間の目指しているものの質が変わったんだよ。況んや近年、芸術(アート)さえも変質してしまったと感じている。みんなで仲良くやりましょう的テーマや、即席環境テーマ、取り敢えず誰でも分かる動物や人間の形等々が、そこら中に溢れているわけだ。すなわち今の社会をフォローしながら時流に乗る事が、アーチストの最終目標になったんじゃないかと感じている。芸術は芸の術と書くわけだから、時流の中で自分の芸を時代の流に乗せる事、芸の術を売る事を目標にしても語学的に誤りじゃない。芸人さんがブレイクする事を目指しているようにねえ。
今の時代にピラミッドは造れないし、石造神殿も造れないし、こんなに美しい五重塔も造れない。これって思考と感性と忍耐力の退化だよな。人間の能力って無限じゃないから、古いものや昔の感性を捨てないと新しいものを取り入れる余地がないんだよきっと。地表を人類が占領して、益々全てが軽く安価に見せかけ的になって行くのは、必然の進化であり同時に退化なのかも知れない。
でも、決して進歩じゃない。
結果的に言えば、人間は動物だから環境の変化に応じて進化も退化もするけど、進歩する生きものじゃなかったという事だよな。
況んや美術や芸術や文化もしかり。所詮人間社会の流という範疇を超え、パブリックインタレストの時流外では存続し得ないジャンルだったんだよね。嘗て、ゴッホが生きているうちに一枚の絵も売れなかったように。それでも彼は、自分の絵が受け入れられる事を望んでいたんだよ。

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