2009.12月4

石猫
つくば美術館の地場磁場展も終了して、平沢官衙遺跡の地場磁場展も12月6日に終了する。
イギリスから帰ってから、2つの展覧会の作品制作と神奈川新県民ホールの作品制作でテンヤワンヤしていたのだが、ここに来て新県民ホールの作品制作に集中出来る体勢ができた。
大学の授業は未だ休みに入らない関係で、週のうち3日が授業に取られてしまうのだが、その合間に、ノンビリと趣味的に楽しみながら猫ちゃんを作った。
猫と言っても私が作るのは飼い猫じゃなくて野良猫。私のHPの「recent - 指針」にも書いてる様に、"I would rather be a stray cat than a lion in a zoo." なのだ。
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ありきたりの具象的な猫は作りたくない。あくまでも私の中にある猫のイメージを具現化させるのだ。
私の猫を見て、学生が口を揃えて言った。「この猫、本当にニクラシイ!!・・・・。先生とそっくりだよ。」
猫にとって、ニクラシイという比喩は、ポジティブな意味合いだと思っている。本当は、憎らしいほど可愛いという究極の誉め言葉なのだ!。
エ!、私も・・・?

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2009.10月吉日

展覧会への追い込み
スコットランドから帰国して約一ヶ月半、時差ボケ・文化ボケが完治しなくて、差し迫った展覧会へ向けての作品制作が思う様に進まない。なんて悠長なことをの宣わってる次元の話じゃないのだ。
picnic My works10月半ば、横浜都筑民家園アートプロジェクト・ニュータウン ピクニック(展覧会)に向けて、古民家の板の間に設置する作品を3点完成させ、昨年作った小品1点と併せて4点ほどほど設置し終えた。(写真右)展覧会は20日から。
これは室内の手で持てるサイズの作品なので、囲炉裏の中に入れた最大サイズのモノでも30kg程だから、何時でも何所でも時間のある時に移動させながら制作出来るから、制作に関して大きな問題はないのだが、実は展覧会が始まってから数日間程、会場見回り当番という拘束制度があるのだ。今はこの拘束日が大きくのし掛かっている。
実は、つくば市での磁場-地場2009展の制作設置が、これからの課題として残っているから、私としても非常に腰が重いわけだ。
この磁場-地場展は、つくば美術館と官衙遺跡(野外)という2会場のロケーションで展開する。ということは室内用と野外のための大きなサイズの作品を同時に制作しなければなならいわけだ。11月7日から野外会場での展覧会が始まり、同月17日から美術館での展覧会が始まる。何としても、11月初めに野外の設置、11月半ばに室内空間への設置を終えなければならないのだ。
今夏エジンバラで制作した「 Forest - planet 」(穴シリーズ)の作品を新たに制作する事にしたのだが、果たして間に合うのだろうか? 室内は、昨年制作した穴シリーズの作品2点で対応するとして。何ともドタバタの状況なのだが、せめて制作に向かう時は真摯にありたいと思っている。
ピクニック展の見回りも展覧会としては大切な仕事なんだけど・・・。


2009.4月吉日

久々のスモーク
久々にトラウト系のフライ・ルアー専用の管理釣り場に行った。
Fishing area今月の後半、スコットランド・エジンバラに行く用事があって、そのついでにエジンバラ・アートカレッジの教授とフィッシングに行こうと申し合わせてある。
彼はリバーフィッシング大好きアーチストらしいのだが、私もドイツのフィッシングライセンスを持ってるくらいに負けず劣らずのフィッシング大好き人間なのだ。
一応、日本代表で行く訳だから下手な釣行はできない。という事で、筑波山の麓にある管理釣りで少し練習する事にした。
Fish dryingここ6〜7年フライの管理釣り場には足を運んでいない。最近の釣り場情報も分からない。そこでWeb検索したところ、筑波山麓の南側にフライ・ルアー専用の釣り場が二つも出来ているのが分かった。
昔は車で1時間半ほど走らないと最寄りの釣り場に着かなかったのだが、30分の近場に、そこそこの設備を持ったフライ管理釣り場が出来ているのだ。
たまたま息子が来ていて、桜が乱舞する超田舎道をのんびりと走って管理釣り場に向かった。
4月中半となると気温も上がって虫も飛び始めて来る。魚がドライフライ(水面に浮く虫を模したフライ= 擬餌針)に反応してくる可能性が高いのだ。しかもこの管理釣り場は、つくば連峰からの小川が流れ込んでいるから、魚は自然の捕食活動に近い。
早速、薄茶系のカディス(飛びゲラの成虫)12番フック(1cm前後の釣り針)で試してみた。ニジマスがライズ(浮いている虫を捕食する行動)するのだが、食いが浅いのかスレ針(返しを取った針)を使うからなのか、途中でバレ(針が外れる)てしまうケースが多々あった。それでも3匹程釣り上げて、針を15番(12番よりも小さい)・黒系のカディスに変更したところ、頻繁にライズしてきた。smorked fish15匹前後釣り上げて、30cm以下の6〜7匹はリリース。次ぎに15番で黒系カディスのニンフ(水中にいる飛びゲラの幼虫)に変えると、一段とアタリが増えたのだが、あまり釣り過ぎても後が大変になるので、最後は大きめのストリーマー(小魚や大型水生虫を模した毛針)に変更して、中層を引いてみる事にする。これが以外と食ってくるのだ。大きめのニジマスを数匹釣った。
結局、午後からの4時間で、キープしたのが16匹。スモークするには丁度いい数とサイズである。
家に帰ってからスモークの準備に取りかかった。先ず魚の鱗を取り、腑を出して、いきなり塩と粗挽きの黒胡椒をして、ローズマリーやタイム等の香辛料をまぶして軒下に吊り下げる。翌日まで乾燥させて午後からスモークに取りかかるスピーディーなやり方なのだ。
正式にはソミュール液(塩、胡椒、香辛料を溶かした液)を作って、その中に魚を5〜6時間浸けてから、また数時間掛けて真水で塩抜きをしてから乾かすのだが、それがけっこう大変で時間と場所を食ってしまうし塩抜きの時間調整が難しいのだ。だから私はいつも、スピーディー方式でスモークにする事にしている。実はこの方式の方が旨いスモークが出来るのだ。この方式の基本は塩と胡椒である。自分の舌でベストな塩をリサーチする事と、黒胡椒は必ずその場で轢く事。スモークは50〜60度前後の温燻(少し温度を掛けた燻製)で、燻製のチップは季節柄と言うか桜をメーンにした。
今回はスモークの時間を少し長め(5時間程)にして、というのも同じ釜にニジマスと一緒に豚肉の塊もタコ糸で巻いて入れたのだ。
夕方、釜を開けて魚と肉を取り出した。飴色になって香ばしい薫りとともに、申し分ない燻製の出来上がりである。
魚と肉を一口ずつ食べてみた。これがまた超抜群に旨いのだ。
辺りが薄暗くなりかけた中で、バーベキューの火を熾しながら、ワインや日本酒を片手に自家製の燻製を摘む。田舎に住んでいる特権と最高の贅沢なのだ。

2009.3月吉日

バイシクル
最近、自転車でツーリングに出かける事がある。old friends暖かい日曜日は近所の探索に出かけ、展覧会廻りを予定している日には、自転車をかついでTX(つくばエキスプレス)に乗って、東京都内の展覧会廻りに使用するのだ。
今までは美術館や画廊を廻るのに、車を使ったり電車や地下鉄を乗り継いでトコトコと廻っていたのだが、先月中旬ハタと思い立った。体力増強と地球温暖化防止と経費削減という一挙三徳を狙って、できるだけ自転車を使う事にした。
考えてみたら、都内・山手線の内側なんて自転車を使った方が早いし、距離的にも丁度いいんだよな。秋葉原から渋谷なんて僅か6〜7キロしかないわけだ。もしここが外国だったら、自転車を使う人は50倍は多いはずだよ。日本の行政は、はなから車と電車の街づくりしかしていないから、自転車を規制しようとするのだ。
私の高校時代は、片道18キロを毎日自転車通学したものだ。満員電車や渋滞バスよりも爽快で速かった記憶がある。
とにかく、思い立ったらこれ吉日、このところの閉じ籠もり症候群のリハビリも兼ねて、3月の晴れた日曜日に都内へツーリングに出た。
cup that I boughtつくばからTXに乗って浅草で下車。折りたたみ自転車を袋から出して、ガンダムのようにガシャガシャンとトランスフォームして、リュックサックを背負って、首からデジカメをぶら下げて、お上りサイクリスト準備万端。颯爽とツーリングと言いたいのだが、浅草界隈の道は、歩行者と車で溢れてて、ほとんど歩くスピードでのペダリングだった。
浅草の賑わいを何とかか潜り抜けて隅田川沿いの道に出る。普段は高速道路から横目で見るだけの地点を、新たな視界を楽しみながら、今度はスイスイとカモメの滑空をお供に走るのだ。
神田川にぶつかったら秋葉方向にターン。車や徒歩では、これから先も絶対に通らないと思われる路地を、タンポポの綿毛のように風に乗りながらフワフワと秋葉を通り抜けて・・・。
茶の水で藪蕎麦を見付けて、せいろを2枚食って、目的の湯島聖堂に行った。
湯島聖堂で筑波大の卒業作品展をやっているのだ。聖堂の手前のギャラリーでデザイングッズ展も見た。お茶の水のパタゴニアショップに立ち寄ってから、不忍通りを北上して不忍池から御徒町を回って秋葉まで。
道草を食いながら、全行程ほぼ5キロをのんびりと4時間掛けて廻ったのだ。まあ手始めはこんなモンかなあ。

cup that I bought2回目はちょっとハードな行程で、TXから千代田線で千駄木下車。自転車を組み立てて、根津にあるギャラリーを見てから、青山に向かった。
地図上では皇居の北側を廻って行って5〜6キロかなあ。少しアップダウンがあってメタボ解消には丁度いいかも。
淡路町から靖国通りを千鳥ヶ淵まで快調に飛ばしていたら、私の前を自転車に乗った女性が颯爽と走っていた。スピードを上げてペダリングするのだが付いて行けない。彼女は長めの髪をポニーテールにして、細身のポインターのようなシティーロードバイクに乗っている。私はダックスフンドの様な折りたたみ自転車である。必至で追いついて信号で立ち止まった姿をチラッと横目で見たら、何と45歳前後の女性だった。彼女に敬意を表しながら私の体力も考えて、付いていくのを止めた。その踏ん張りが祟ってか、赤坂から青山一丁目に向けての上り坂で、足が痙りそうになった。
汗をかきながら青山の画廊に着いて、知り合いの展覧会を見て水分を補給してから、代々木にの画廊まで行くのに要した時間はたったの10分弱。素晴らしい
代々木から霞ヶ関を通って新橋へ、そこから画廊を廻りながら銀座、京橋、秋葉原のTX駅まで、今日の全行程・約20キロ、ちょっとハードなツーリングだったが、途中多くの画廊にも立ち寄って、楽しく充実した時間を過ごせた事を考えると、一挙四徳の6時間だった。

写真上が柳橋から見た神田川、写真中がお茶の水のとあるビルの工事現場の変なクレーン、写真下が湯島聖堂の祈願のお札。

2009.2月28日

旧友
久しぶりに旧友が集まった。old friendsあれから約40年が経過した。浪人生時代に昼夜を問わず遊びまり「悪のグループ」と呼ばれていた古い仲間である。その当時はそれぞれが大きな夢と希望を抱きながら、自分がその気になれば何だって出来ると思い込んでいた時代だった。
今では、みんな落ち着いて、スタイリストやデザイナーやコマーシャルプロデューサーや陶芸家、自分のジャンルの中でバリバリやっている連中なのだ。
数週間前に当時の恩師(悪のグループの総帥)の上京に合わせて集まったのだが、今回は備前焼きで活躍している脇本の個展で、再集合した。
脇本は備前で大きな登り窯を持っている窯元で、外国でも何回か個展を開催している陶芸家である。(写真は青山のとある蕎麦屋での昼間の宴会・左から坪内、中本、広野。脇本、私)
cup that I bought私は以前から、釉薬を使わない備前焼(土と炎だけで成立する素朴さ)が好きで、何年か前に彼の家に逗留してオブジェを作らせてもらった事がある。でもやはり自分が思ったようにはいかないのだ。当たり前だ
彼の近作の茶碗が気になった。種類の違う土を混ざらない程度に練り込んで、そのまま焼いた素朴な茶碗である。
大谷石を思わせる素地の風合いが気に入った。作者としては、種類の違う粘土を混ざらないように練り込む技術の開発に非常に苦労したらしい。なるほどねえ。一番簡単そうに見えるところが実は一番難しいのだ。
抹茶茶碗程の大きさになると値が張るので、冷や酒用に片手サイズのものを買った。夜家に帰って、早速これで一杯やってみた。
脇本の人間性が暖かみとなって、酒に染みこんでいく。器の柔らかな膨らみが、杯を持つ手に心地よい。土と炎の深い色合いが、時空を超えて、若かりし頃の心が弾む様な波動を伝えて来るのだ。
あの頃、我々を取り巻く全てが、光り輝いていた。

2009.1月31日

不可解な冬の1ヶ月
今年に入って、ほとんど家から出ていない。もちろん大学に出校する日以外は、と言う意味である。
オヤジが終日家に隠って何をやってるのか???
 主婦に転身してせっせと家事をこなしている訳じゃないし、寒さに耐えきれず夕方まで布団に入っているわけでもない。
昨年から手を付けないでいたメキシコからのインタビューに対する返答文を、2週間半掛けて書き上げた。アメリカのコミッションへのアプリケーション資料を1週間掛けて制作した。イギリスから要請のあった資料を1週間掛けて作ったのだ。
これが日本語だったら、1週間もあれば全てが纏まる資料なのだが、日本語で書いても難しい内容を、私の貧しい英語力で書くんだから捗るわけはないのだ。A4にして15ページ分は優に書いた気がする。
インタビューの返答文だけでも、ちゃんと意味が通じるものにしたいと思い、G.山口に来ているネイティブの英語の先生に校正をお願いしたところ、私の書いている内容がさっぱり分からないらしくて、「この人、頭が悪いんじゃないですか?」と、逆聞きされたそうだ。
だって、「貴方の仕事における、時間とは何か?」「石を割るという作業は、どういう位置付けなのか?」等々の非常に高度かつ哲学的な質問が14問もあるんだから、右から左に Yes or No で応えられる代物じゃないのだ。日本語で答えたって分かりにくい文章を、下手な英語で書くんだからチンプンカンプンだったのだろう。
最終的に画廊のオーナーが逐一説明して下さったようで、校正上がり文を2週間後の昨日受け取ったのだ。
早速先方にメールで送った。そして今日、お礼のメールが来た。その文面に、「有り難う。貴方の返答文をこれから解読します。」と書いてあった。


Copyright © Atsuo Okamoto